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タイムラグ

お風呂を借りてお礼だけ伝えると部屋に引きこもって一年分の学力を取り戻すために勉強をした。 しばらくすると月城さんがノックをしてドア越しに話しかけてきた。 「リチェール、ご飯あるからおいで」 「え、あ……はい」 本当にこの部屋には入らないんだ。   男同士だし自分の家なんだからノックなしで開けてくれていいのに。 足音が離れていって、先にダイニングに戻ってくれたんだろう。 広げていた勉強道具を整えて、オレも向かおうと立ち上がったとき、ポケットの中のスマホが着信を知らせた。 取り出して確認すると、グレッグ伯父さんからで、一瞬顔が強張る。 記憶喪失のこと言わなきゃ。 『はい、もしもし』 『新しい男は見つかったのか?』 開口一番の意味不明な言葉に、はい?と聞き返す。 『だから、昨日の話だよ』 『すみません。実はオレ、昨日事故に遭って一年ほど記憶が曖昧なんです。何の話ですか?』 『はあ?事故?』 心底めんどくさそうな声に、よくこの人オレのこと引き取ったなと思う。 とりあえず、昨日あったことを説明して、この一年イギリスで何があったのかを尋ねた。 『お前がロンに抱かれるのは嫌だって騒いだせいでロンは捕まったんだよ。すぐに出てきたけどもう両親がお前に会えることはない。そのせいで俺はその尻拭いだ』    頭が真っ白になる。 どうして、オレが父さんに抱かれてたことを知ってるの? 父さんが捕まった? じゃあ母さんは? それ、だれがどこまで知ってるの?ゆーいちは? 固まるオレにグレッグ伯父さんはさらに言葉を続けた。 『月城に股開いて日本での居場所出来たからって、親を捨てるなんて、お前がうちの息子じゃなくてよかったよ。 昨日、その月城にも捨てられたらしいけど、すぐ他の男見つけて大好きな日本に居座るんだろ?早くしろよ。俺に少しでも迷惑だけはかけたらすぐ日本から呼び戻してさっさと施設にいれてやるからな』 オレ、そんなことしてたの? いや、してたのかもしれない。 だって、ゆーいちのそばにいれるなら親に抱かれるくらいなんともなかったから。 『……すみません。気を付けます』 それからまた2、3口小言を言われて、通話を一方的に切られた。 この体は、居場所を作るためどれだけの男に触れられたんだろう。 ふ、と皮肉な笑いが込み上げて、汚い体に爪を立てた。 少し気まずい雰囲気を残したままダイニングに向かうと、料理はあるものの月城さんはソファに座っていた。 「先に傷の手当てするから、そこに座れ」 手には救急箱があった。 お風呂からあがって、血が服につかないようにと適当にガーゼで押さえただけの手当ては確かにおざなりなものだったけど、別に放っておけば治る怪我なのに。 「大丈夫ですよ、大した怪我じゃないんで」 「いいから」 中々に強情で、仕方なく少し距離を置いてソファに腰かけた。 オレの服を脱がして、触れてくる手はやっぱり大きい。 前のオレが何人の男としたのか知らないけど、父さんとしたことしか記憶にないオレはセックスはイコールであのイメージだ。 だからこの手がどうしても警戒してしまう。 「本当に触られるの苦手だよな。すぐ終わるから」 それなのに、オレを気遣うよう撫でてくる手も、優しい声も、それほどに嫌なものには思えなくて自分で自分がわからない。 まぁ元々、殴られることも抱かれることも何ともないことだったけど。 手当てが終わって、ぎこちなく二人で向かい合って座る。 準備されたご飯はカツ丼と親子丼だった。 ゆーいちの家にいくと、ユミちゃんがイギリスでも作ってくれていたから好きな料理のひとつだ。 「月城さんが作ってくれたんですか?」 「いや、出前。リチェールが好きだっただろ好きな方選んでいいからな」 「あ、いえ、月城さん選んでください。あと、お金……」 「いいから。お前から金をとる気はない。さっきの金も返すから将来の自分のためにとってろ」 「………困ります」 むしろ、ここに住んでいいなら少しでも家賃としてお金を受け取ってもらえる方が気が楽なのに。 「……親子丼でいいな」 静かに月城さんは親子丼を前に出して、カツ丼に箸をつけた。 たしかにどちらかというと親子丼の方が好きだけど、そんなこともこの人に話していたのだろうか。 少し冷めてしまった親子丼にちびちび箸をつけても味がしなかった。 「明日からあと一週間くらい学校あるけど、どうする?休んでもいいけど」 「お陰さまで急いで家を探す必要もなくなったんで、行くつもりです」 もちろんすぐにでも出ていきたいけど。 学力だって死活問題だった。 だから甘えさせてくれるならせめて春休みまでの一週間くらいならと思えてきた。 「俺そこで養護教諭してるから、なにかあったら保健室に来いよ」 「あ、はい」 なるほど。学校で知り合ったんだ。 この一年オレはどんな気持ちでこの人のそばにいたんだろう。 「リチェール、無理するな。お前そんなに食べれないだろ」 「え?」 言われた言葉にビックリして顔をあげる。 正直、半分くらいでお腹一杯で、でもせっかく準備してもらったのに残したいとも言えずに無理矢理飲み込んでいた。 「残していいから。吐きやすいんだから無理するな」 吐きやすい? たしかに、吐きそうだけど。 なんか、お前はこうなんだからって決めつけられるのはオレじゃないなにかに重ねられてるようで気分が悪い。 オレが日本に居座るためにこの人に抱かれたのか、この人が手っとり早く性欲処理をしようと男に手を出したのか知らないけど、それならそれで体だけの関係がいい。 こんな風に、まるで労るような扱いされるのは気持ちが落ち着かなかった。 「お腹すいてたんで、食べれます」 本当はもう限界だったけど、にこっと笑って残りのご飯に手をつけた。 ________ 「うええええええ」 「だから言っただろバカ」 トイレで思いっきり吐くオレの背中を呆れたように月城さんが擦ってくれる。 こんなところ見られたくないから出てっほしいんだけど。 てかバカって言った。 「あっち行って……」 「大丈夫。お前が吐いてるところなんて何回も見てるから。水、持ってきたから口一回ゆすいどけ」 いや前がどうとか、知らないし。 なにも大丈夫じゃない。 中途半端な優しさなんて見せないでほしい。 グレッグ伯父さんとの会話が何度も頭の中で木霊していた。 抱いて、飽きて、捨てた。 そんな所を事故に遭われたものだから保護者として目が離せなくなったんだろう。 抱かれることなんて何ともないし、飽きられて捨てられるのは、母さんの代用品だったオレにはお似合いだけど、中途半端な優しさは一番ムカつく。 「あっち行ってってば!どうせオレら体だけの関係だったんでしょ?好きなように扱っていいから、変な優しさ見せないで!捨てたくせに!」 言ってしまって、ハッと口を押さえた。 今のは別に月城さんに言った訳じゃなくて、体を売ることした脳がなかったこの記憶ない間のオレへの気持ち悪さが募った八つ当たりだ。 恐る恐る月城さんを見ると何を考えてるのかわからないような無表情で、息を飲む。 そのままなにも言わず静かにお水だけ置いて月城さんは出ていった。 「………傷付いた、みたいな顔しないでよ」 そんな顔されたってどうしていいのかわからない。

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