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タイムラグ

気分の悪さが一通り落ち着いて、洗面台に向かう。 歯を磨きながら、ぼーっとさっきの月城さんの顔を思い浮かべていた。 謝らなきゃな。 捨てられたことなんて覚えてないし、それで傷つけられたわけでもない。 むしろお世話になってる身であの言い様はあまりにひどいと思う。 口をゆすいで、スッキリすると、気を引き締めてリビングに向かった。 ソファでノートパソコンに向かう彼の後ろにそっと立つ。 「あ、あの。月城さん……さっきはお世話になってる身で生意気言ってごめんなさい」 チラッと月城さんは顔をあげて、その瞳にオレを映した。 相変わらず何を考えてるのかわからない。 「お前のこと、好きに扱っていいんだな?」 「え?」 ああ、そんなことも言ってしまった気がする。 「どうぞ」 そう笑って答える。 変に優しくされるより、父さんにされていたように物同然に扱われる方が気持ちは楽だ。 そう思うのになぜだか、少しだけ怖い気がして少し震えた手にそっと爪を立てておさえた。 「じゃあ古典の教科書持ってきて」 「はい?」 「教科書」 拍子抜けする言葉に、戸惑いながらも頷いて、教科書を持って来た。 「俺の仕事終わるまで、リチェールはそばにいてたまに触らせろ。その間は勉強するなりテレビ見るなりしてたらいい」 さわるって言葉に少しだけ背中に冷たいものが走る。 けれど、笑って頷いた。 ________ 「……………月城さん、これ楽しいですか?」 オレの呆れた声に、月城さんはパソコンから目も話さず、うんと言う。 触らせろ、何て言うから、昔からたまに知らないおじさん達にされていたセクハラみたいなものを想像していたのに。 月城さんは片膝にオレを横向きに乗せて、たまに髪とかホッぺとか撫でてくるだけだった。 なんかこれ、ただイチャイチャしてるだけみたいで、逆に恥ずかしいんだけど。   ちらっと月城さんを盗み見る。 見れば見るほど作られたもののように整った顔だと思う。 褐色の肌が色っぽくて、睫毛が長くて、鼻筋が通ってて、口元はなんだか色っぽい。 なんでオレなんかと付き合ってたんだろう。 あと、すごいいい匂いするんだよな。 安心するような。 まだ昼過ぎでバイトには時間がある。 ベランダから差し込む光がちょうどよく眠気を誘ってきて、つい彼の肩にもたれてしまう。 そういえば昨日は寝てないし、今の時間はくっついてさえいれば好きに過ごしていいと言われた。 睡眠はわりとデリケートなオレがだれかのそばで寝るなんてあり得ない、と頭の隅で思うのに、ゆっくりと重たくなる瞼を感じながら意識が薄れていった。

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