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タイムラグ

千side 隣でスヤスヤ眠りだしたリチェールを起こさないようにそっと額にキスをした。 男に触られるの怖いくせに、こんな安心しきった無防備な寝顔を見せるのはどうかと思う。 これじゃ勘違いする男は後をたたないだろう。 リチェールの癖のような笑顔を張り付け当時よりずっとツンツンした態度は、俺が元カレと言うことに怯えてるんだろう。   思えば自分の父親のことだって仕方のないことだと受け入れながらも怯えた猫のように強気な口調だった。 俺は今あの部類なのかとショックにため息をこぼした。 そばにいるだけで幸せそうに笑って、名前を呼べば頬を赤くする。 俺のことが好きで好きでたまらないっていうリチェールが可愛くて仕方なかった。 最後に記憶のあるリチェールの表情は絶望したように顔を真っ青にしていたもので、胸をキリキリと締め付けてくる。 横で俺にもたれて眠る小さな体をそっと抱き締めた。 「早くお前にちゃんと謝りたいよ、リチェール」 このままリチェールの記憶が戻らなくたって、俺の気持ちは変わらない。 生涯愛せるのはこの子だけだろう。 それでもやっぱり、抜け落ちた一年は諦めてしまうには色濃く、リチェールにとって辛い記憶も多いと思うけど、大切にしたいものだった。 「っくしゅん」 リチェールが眠って2時間くらいして、自分のくしゃみに驚いたようにビクッと目を覚ました。 今どんな状況で寝ていたのか覚えていないのか寝惚けた顔できょろきょろする姿は可愛らしい。 「おはようリチェール」 「わっ!わわ……っ!」 声をかけると距離の近さにまたビクッと怯えたように弾けるように離れようとしてソファから落ちそうになる体を支えた。 「ご、こめんなさ……っ」 「はいはい。怖くないから。怪我してるんだからこの距離でも落ちたら痛いぞ」 ひょいっと簡単に抱き上げれてしまえる体を膝にのせて、落ち着くまで頭を撫でる。 つい、リチェールがこうしていると落ち着いていっていたから癖のようにそうしてしまったけど、今のリチェールにとってはストレスかもしれないとハッとして手を離して顔色を伺った。 「あなた、オレのことが飼ってる犬猫みたいに可愛がりますね……」 けれど覗いた顔は、戸惑ったように赤く、怯えた様子はなかった。 その表情に、たまらずもう一度抱き締めた。 「たしかに可愛くて仕方ないよ。リチェールのことは」 そう言うと、さらに顔を赤くして反らす姿に愛しさが増す。 リチェールの自分を傷付けた相手をすぐ許すところや、そもそも傷つけられたことに対しての概念の薄さには腹立つことは多々ある。 自分を捨てたと思ってる相手にそんな顔したらだめだろ。 そう思うのに、やっぱり救われる。 嫌いな男に対してさえこれなら、本当に勘違いする男は多いな、と内心ため息をついた。 しばらくまた同じ体勢のままパソコンで作業をしていた。 リチェールもくっつくことに少しは慣れたのか、難しい顔をして古典の教科書とにらめっこをしてる。 その静かな空間は、家のチャイムによって遮られた。 「月城先生、ルリいる?」 インターフォンで確認すると、エントランスには佐久本と原野が来ていて、佐久本の声にリチェールが反応してインターフォンに駆け寄ってきた。 「お前今日からバイト行くんだろ?学校終わってすぐ来たら少しは会える時間あるかなって」 家に招いた佐久本は、ニッと少年らしく笑って、リチェールはホッとしたように佐久本に抱き付く。 「明日から学校も行くのにそんなにオレに会いたかったわけー?」 会いたかったのはリチェールの方だろう。 まるでこの世で頼れるのはこいつだけと言うように体を擦り付ける姿にいらっとしてしまう。 俺は命令してそばに座らせるのがやっとの状態だっていうのに。 「俺もだけど、こいつの方がルリルリうるさいから連れてきた」 佐久本の後ろに隠れる原野は目が真っ赤で少し晴れていて昨日は泣きはらしたんだろうと容易に想像できる顔で、少し怯えたようにリチェールを見つめた。 「あ、昨日の。来てくれてありがとう。ごめんねー、名前聞いてもいいかな?」 へらりと優しく笑うリチェールに原野は傷付いたように、瞳に涙を溜める。 「わ、ごめん!泣かないでー?」 わたわたと焦るリチェールの手をつかんで、原野はぐっと涙をこらえて顔をあげた。 「原野……純也……」 その声は震えていて痛々しい。 「純也だよ……ルリ……思い出して……」 ぼた、ぼたと溢れてしまった涙は二人を繋ぐ手に落ちていく。 その姿にリチェールは悲しそうに微笑んだ。 「この一年、オレをよくしてくれてたみたいでありがとう。オレも早く君のこと思い出したいな。よかったら思い出話聞かせて、純也くん」 リチェールの言葉についにまた涙をこぼして原野が抱き付く。 「本当に仲良かったんだよ、お前ら。 俺より純也と過ごす時間の方が最近は多かったもん」 「そうなの?こんな可愛い子との思い出忘れちゃうなんて勿体無いなぁ。大丈夫だよ、純也くん。オレ、頭いいからすぐ思い出すからねー」 リチェールの胸の中でこくこくと頷きながら、結局喋れないほど泣いて泣き疲れて寝てしまったので佐倉を呼んだ。 聞けば昨日原野は一睡もしてないと言うことだった。

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