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タイムラグ

リチェールside 西川さんと仕事のことを話ながら職場に向かう途中、どこか上の空だった。 月城さんが触れた髪をそっと手で押さえる。 あの人の触れ方、なんであんなに優しいんだろう。 あの人の切なそうな笑顔を見ると、胸がいちいち騒ぐのはなんで? もしかしたら、ゆーいちが言ってたオレがあの人にベタ惚れだったって言うのもあながち嘘ではないのかもしれない。 ……だとしたら危険だ。 あの人にだけは絶対に心を許してはいけない。 だって、フラれて家から追い出されてたんでしょう? 信じて頼ってたものに捨てられる時のショックはもう二度と味わいたくなかった。 ただ身寄りのないオレを引き取ってこうして優しくしてくれてるのも事実で、どうしていいのかわからない。 いっそ本当にあの家を出ていってしまいたかった。 「ねぇ、聞いてるルリ?」 「え?」 西川さんと近い距離で目を合わされ、びくっと体が跳ねた。 いけない。 ぼーっとしていた。 「ごめんなさい。ぼーっとしてました」 「まぁ色々あったからね」 そう言って西川さんはもう一度説明を始めてくれた。 昨日も軽く聞いたけどバイト先ではオレは別のバーからのヘルプらしく、そこの先輩と来てるらしい。 その先輩とバーのオーナーにも事情を話さなきゃと頭のなかで考えていると、くいっと西川さんに手を捕まれた。 「あとね、ルリ。昨日のことなんだけど」 「っ、はい」 突然掴まれるのはどうにも慣れない。 これも、月城さんと今日したようにくっついていたら慣れるものなのだろうか。 「昨日、彼と別れて泣いてるルリを帰らせたこと後悔してたんだよね。まさか事故に遭うなんて思わないじゃん。ルリには泣くほど好きな相手もいるし気持ちに蓋をしたけど」 ぐっと腕をつかむ手に力をこめられどきっとする。 「ねぇ、昨日もし彼とのこと綺麗に忘れたら俺と付き合ってって約束してたんだけど、それって有効だったりする?」 え………? 西川さんの言ったことを理解する前にスッと顔が近付いて来て、離れる。 唇に柔らかい感触が残ってキスされたと理解するとぞわっと鳥肌が立って手を振り払った。 「やだ……っ!」 少し距離を開けて西川さんを睨むと、彼は困ったように微笑んだ。 「あの人とは付き合ってもないのに一緒に住めるんでしょ?そのうち体の関係も求められると思うよ。それでも大丈夫?」 いや、自分の肉親に普段から性の捌け口にされてんだから、これくらいなんともないだろ。 なんでオレ、今女みたいな声で逃げたんだろう。 これ以上のことをあの家にいるとすることになるかもしれないという西川さんの言葉に嫌な汗が額に滲む。 「今は焦っちゃったけど、俺はリチェールのペースに合わせるよ。リチェールが今の環境が辛いなら逃げ道のひとつとして覚えてて」 「……オレ達昨日知り合ったばっかなんですよね…?」 なんで、オレにそこまで。 思わず警戒してしまう。 西川さんはへらっと顔を赤くして微笑んだ。 「昨日、リチェールがあの人と別れて泣いてる健気な姿見てさ、俺もまたこんな一途な恋愛したいって思ったんだよね。相手を想って泣きながら身を引くリチェールを大切に愛したいって思った。幸せにするから俺と付き合ってよ」 そんなこと言われたって覚えてないし、まるでオレじゃない別の人と重ねられるようで気まずい。 「返事はいらないよ。月城さんの所から逃げたくなったらいつでもおいで」 さらっと髪を撫でられ、それにすらオレに向けられる感情に男同士に向けられるものがこめられてると思うと、顔が引き攣る。 なにも言えないまま、いつのまにかバイト先について、そこからは忙しく一日の遅れを煩わしいと思われないよう必死だった。 「ルリ、大丈夫?顔色悪いけど」 オレと一緒にバーからのヘルプに来た男性が心配そうにオレの顔を覗きこんできた。 暁さんと言ったか、すごく美人で近くで目が合うとドキッとしてしまう。 「大丈夫ですよー。今日は色々フォローしてくれてありがとうございます」 「ううん。昨日は大変だったんだろ?傷が痛むなら無理しないでね」 この人との会話はなんだか心地がいい。 混じり気のない純粋な心配という気持ちだけのように見えるから。 仕事が終わって、二人で着替えていると、月城さんからメッセージが入った。 もう外に車を停めてるらしい。 なぜか、ホッとしてる自分がいて気まずい気持ちになる。 「すみません。オレ迎えが来てるんでお先に失礼しますー」 「うん、お疲れ。月城さんによろしくね」 この人も月城さん知ってるんだ。 結構オープンにしてたんだな。アホだなオレ。 別れた後、面倒なことになるって想像できなかったのかな。 暁さんに挨拶をして、急いで裏口に向かい、彼の車を見付けた。 向こうは気付いていないようで、誰かと電話している。 彼を見つけて西川さんにキスをされて荒れていた心がぎゅっと締め付けられるようだった。 きっと、あの人がオレを見る目がどこまでも優しくて愛しいように見つめてくるから。 ……頭では危険信号がなってる。 この人にだけは、頼りにしちゃだめだ。きっと抜け出せなくなってしまう。 「リチェール、まって」 もう少しで車と言う所で待ち伏せしていた西川さんに呼び止められた。 思わず、びくっと体が一歩引いてしまう。 「ごめん、さっきのこともう一回ちゃんと謝りたくて」 この人は職場の先輩でうまくやらなきゃいけない相手で関係を修復したいのに、どうしてオレは焦ってるんだろう。 こういうことを何もなかったことにするのは、得意だろ。 月城さんがそばにいることばかり意識してしまう。 「いきなりキスしてごめん。でも俺の気持ちは変わらないから。俺の家のカギ念のため渡しておくね。受け取ってくれるかな」 差し出された鍵を、断ろうと口を開いた時、後ろからくんっと手を引かれ、あのタバコと香水の混ざった匂いに包まれた。 「いらねぇよ。人のもんに手ぇ出すな」 ゾッとするほど低い声に顔をあげると、月城さんがオレを片手で抱き締めて怖い顔で西川さんを睨んでいた。

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