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こころ
千side
リチェールが屋上で過呼吸を起こしてから、数日。
あれからどういう心境の変化があったのか、リチェールに前のような刺々しさはない。
リビングのドアを開けると、リチェールが振り返ってへにゃっと笑った。
「月城さん、お帰りなさい」
「ただいま」
キッチンから、いい匂いがしてくる。
バイトが休みの日、リチェールはこうして夕飯を作ってくれるようになった。
「何作ってんの」
「玉子とベーコンのガレットと、オニオンスープです。サラダも残さないでくださいね」
以前のように和食は作らなくなったけど、やっぱりリチェールのご飯はうまい。
一緒に暮らして慣れたのか、頭を撫ても、びくっとしなくなった。
今のところは平和だ。
けれど、ポケットのなかで振動するスマホに内心ため息をつく。
取り出して確認すると、やはり父親からで、着替えてくると言って寝室に向かうと仕方なく通話を繋げた。
「今週の日曜日だぞ。わかってるな」
「15時からだろ?」
……結局お見合いには行くことにした。
予想はしていたけど、リチェールがホテルで働いてることが知られて、父親が持ちかけてきた。
親友の前オーナーに恩を感じてるスタッフは多いらしく、その内の一人が西川だった。
今、リチェールは俺より西川になついてるし、仕事でも頼りにしてるのだろう。
リチェールになにもしない代わりに今回だけはお見合いに出席することにした。
どうせリチェールはヘルプスタッフで、すぐにこのホテルをやめて元のバーに戻る。
この一ヶ月さえ乗りきれたらいいのだから今は大人しくしておくべきだろう。
今は俺を好きという気持ちもなく、リチェールが傷付くこともない。
過呼吸を起こすほどストレスのたまってる今のリチェールにこれ以上負担がかからないよう動くことが最優先だった。
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