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シャワーを浴びて、リビングに戻るとふわっとコーヒーのいい香りが鼻を掠めた。
「あ、あの!ルリさんと昨日話してる時に四季さんは朝必ずコーヒー飲むって話聞いて、差し出がましいかと思ったんですけど、淹れておきました。
あと、すみません。冷蔵庫の中、賞味期限ギリギリのものがあったので簡単にスープだけ作ったんですけど、いかがでしょうか」
俺の顔を見るなりペコっと頭を下げてくる瑞稀に、苦笑が溢れてしまう。
低い位置の頭をぽんと撫でると、瑞稀は恐る恐る顔を上げた。
「ありがとう。オフの日とか料理するの好きなんだけど、中々作る暇なくて腐らせちゃうことよくあったんだよね。助かるよ」
鍋に入ったスープを見ると、美味しそうな野菜スープが湯気を立てていて、食欲がそそられる。
さっそく一緒に食べようと顔を上げると、瑞稀が口を辛そうにぎゅっと結んで固まっていた。
「え、なに。どうした?」
今なんか俺変なこと言った?
なんでこいつ泣きそうなの。
いや、今の会話に泣く要素はないだろ。
うん。絶対ない。
だとしたら、なんか色々我慢してたものが今溢れたのだろうか。
20センチ以上低い瑞稀の顔は俯かれるとよく見えなくて、膝を曲げて視線を合わせた。
「ごめん。いきなり知らない家に連れてこられて、泣きたくもなるよな」
「……すみません。嬉しくて」
絞り出すように呟かれた小さな声にまた体が固まる。
嬉しくて?
「……ご飯作って、ありがとうって言ってもらえるなら、これから毎日作ります」
なんだよそれ。
ありがとうって言われて、嬉しくて泣きそうなの?
どんな人生だよ。
たった15の子供が死にたいなんて思うほどの日常がどんなものだったのか、俺には想像もつかない。
涙も溢さず肩を震わせる姿にどうしてか胸がズキっと痛んだ。
「瑞稀に家事をさせたかったわけじゃないんだけど、負担にならない程度でお願いしようかな。面倒い日とか飽きたら辞めてもいいからね」
「負担なんて。住ませていただいてるんですから、何かさせてもらった方が嬉しいです」
ほら、もう。
住ませていただいてるって。
昨日の俺の話忘れたのかよ。
これももうこの子に染み付いた感覚なんだろうから、そうじゃないってこと教えるには時間をかけるしかないよな。
「じゃあご飯食べようか。皿用意するから、瑞稀座ってていいよ」
「え!?」
「……今度は何。あ、いや、やっぱいいや。想像ついた。はい、何も言わないで座ってて」
「いえ、僕が用意しますから、四季さん座っててください!」
言うと思った。
お前は使用人か。
皿を二つとスプーン二つ棚から出すと慌てたように瑞稀が周りをうろうろする。
焦りすぎだろ。
「もう。じゃあ瑞稀は飲み物の用意お願い。コーヒーも淹れててくれたんだろ?カップはそこの左上の棚ね」
「はい。それも僕がします。全部しますから座っててください」
「はいはい。ほら、コーヒーはーやーく。俺カフェオレ無糖ね。冷蔵庫に牛乳あるから」
スープを二つの皿に注ぎながら、そう言うと瑞稀も慌てたようにコーヒーを淹れて始めた。
「あの、牛乳とコーヒーの比率は…」
「てきとーてきとー」
「え、えっと…半々くらいでいいでしょうか」
「うん、お願い。はい、スープ並べたよー。早くこっちおいで」
「は、はい!」
いやなんでコーヒーの一つなんだよ。
当然のように一つのコーヒーを俺の前に置いて、ささっとキッチンに戻っていった瑞稀はそのままキッチンの台を拭き始めた。
「……なにしてんの。早く自分の飲み物持っておいで。ご飯にするよ」
「いえ、僕は結構です」
「朝食べないの?」
「いえ、もし残れば頂きますから」
当然と言うように言われた瑞稀の言葉に思わず頭を抱えた。
残飯食べるってこと?
使用人どこか、下僕かよ。
座ったばかりの席を立ってキッチンに行くと、コーヒーをもう一つ淹れた。
瑞稀はまだ子供だし、甘い方が好きだろうから普段自分のものには入れない砂糖を二つ落として、牛乳も半分注ぐ。
「あ、すみません。コーヒーの比率間違えてしまいましたでしょうか」
「ううん。こっちは瑞稀の。うちのコーヒー豆結構美味しいから期待しておいて」
「いえ、僕は…」
まだあーだこーだ言う瑞稀の肩を抱いて逃げないように歩かせる。
そのままストンと椅子に座らせて、俺も向かいに腰を下ろした。
「じゃあ今度こそ食べるよ。はい、いただきます」
「………っい、いただきます」
ようやく観念したのか、瑞稀は緊張したように手を合わせた。
一口スープに口をつけると、とろとろ煮込まれた野菜たちが優しい味で広がる。
この仕事を始めて、いろんな高級店にも行く機会が増えたけど、びっくりするくらい美味しい味に思わず驚く。
「美味しい。瑞稀は料理プロ並みだね」
「いや、そんな……お口に合って、よかったです」
「ていうかさぁ、俺が二つ皿に用意してる時点で普通自分の分って思わない?」
「おかわり分を先にいれてるのかと……」
俺、どんだけ食いしん坊だよ。
気まずそうにマグカップを両手で持ってちびちびと口をつけて瑞稀はパッと顔を上げた。
「コーヒー初めて飲みました!すごく美味しいです」
初めてって。
そんなことある?
カフェオレくらいいくらでも飲む機会あるだろ普通。
さすがの俺でもこれをそのまま口にしたりしないけど。
「でしょ。豆だけはちょっとこだわってるんだよね。いつでも飲んでいいからね」
「僕にはもったいない味です」
「この豆の美味さわかる奴増えると俺も嬉しいからどんどんの飲めって言ってんの。ルリのやつはココアがいい〜ってしか言わないから」
「ルリさんコーヒー苦手なんですね」
「プライベートでは飲まないな。職場で出されたらブラックだろうと笑顔で飲むけど」
ていうか、あいつは本当に気を許した一部のやつ以外の前ならどんなゲテモノ出されても、食えないとか言えずに笑顔で食べて美味しいって言ってみせるだろう。
でも俺がどれだけ本当に美味しいから一口飲んでみろって言っても、ヤダと言ってこのコーヒーを飲まなかった。
「あ、いいこと思いついた。ルリ来たらこのコーヒーさブラックであいつに出して。瑞稀が出したら飲むと思うんだよね」
「……意地悪に僕のこと加担させようとしてません?」
「してる」
「いやです」
あ、こういうのはちゃんと断れるんだ。
今日こそルリに飲ませてやりたかったのに残念。
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