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第3話

 海未の新しい王子さまが現れるまでの、奈津は期間限定の王子さまになる。 「そんなことして、君はいいの?」  恐る恐るといった表情で海未が下から尋ねてくる。当たり前だ。それでは奈津にメリットなんてひとつもない。 「んー、でも、その間、君は泡になったりしないでしょ?」  また海に飛び込まれては心臓に悪いし、何かあったら後味が悪い。理由はそれだけのはずなのに、俯いていた海未の顔が「困ったなあ」という表情と、幸福な笑顔の混じった顔をしていて、予想外にどきりとした。今日はじめて会ったばかりの変な人だと思っていたけれど、今まで会った人の中でいちばん奈津を惹き付ける。  思わず両手で海未の両頬を包んで、まじまじと見てしまった。くっきりとした二重目蓋に大きな瞳、すっと伸びた鼻梁はかたちがよくて、ふっくらした唇はさすがに血の気が引いている。それが小さな輪郭の中にバランスよく配置されている。つまりは造作がよい。 「なあに?」  海未がこてん、と小首を傾げる。そんなあどけない仕草にも奈津の心は惹かれた。つまりこれは一目惚れだ。  一目惚れなんて、絶対無縁だと思っていたのに。  これでは海未に新しい王子さまが出来たときに泡になるのは、奈津の方だ。けれど奈津は人間なので、泡になって消えることはできない。心だけ泡になって溶けて消えて、あとは空っぽのからだで生きていくのだろうか。 「あのさ、」  ここで大事なことをまだ訊いていないことに気付いた。 「君の名前を教えて?」  奈津に両頬を挟まれたままの海未は、その言葉に「ぷっ」と吹き出した。それからは何かの糸が切れたように笑い続ける。 「あは、あはは。おれら、名前も知らないのに、何やってんだろ」  しゃがんでお腹を抱えて笑う海未に、そんなに笑わなくてもと奈津はむくれる。でも本当に、名前すら知らなかった。それなのに海未に一目惚れしてしまったのだから、おかしいと言えば、確かにおかしい。 「僕は二宮奈津。そこの大学の二年生」  今は真暗闇の中に建つ交差点の向こうの校舎を指さして、教える。すると海未は「おや?」という顔をした。 「おれ、そこの大学の裏のカフェでバリスタしてるよ」  案外近くにいたんだね。でも接点がこれ、ってどうかと思う、と奈津も海未も腹を抱えて笑った。そんなことで笑い合えるなんて、さっきまでは予想もしなかった。  そういえば海未の家はどこにあるのだろう。このずぶ濡れの格好では、電車にも乗れないだろう。 「そういえば、家って、」  奈津が切り出すと、海未はちょっと「やらかしたな」という顔をした。 「神待ちするから、大丈夫」  聞き慣れない単語を聞いた。「『神待ち』?」  すると海未はスマートフォンを片手で掲げて持つと、写真を一枚撮った。そして文章を打ち込む。その画面を見せてくれた。「うみ。十八歳。神待ちです」という短い文章と、上目遣いの写真が一枚貼られていた。これは、余り、いやかなり、よろしくないんじゃないだろうか。

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