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第8話
合鍵がないので、海未は奈津の講義の時間に合わせて部屋を出た。海未のバイトの時間にはまだかなり早いはずだけれど、海未は文句を言わなかった。慣れているのかもしれない。慣れているということは、こういう生活を度々していたことがあるのだろうか。
「今日も『神待ち』するの?」
少し長めの明るい色の髪を器用にヘアピンでまとめた海未は、当然といったふうに「うん」と答えた。溜め息が出る。
「……いるの?」
「たまに。年齢と写真上げとけば」
海未の返答にどこかに行ってしまいそうな気がして、奈津は慌てて海未の腕を掴む。相変わらず強く握ったら折れてしまいそうだ。
「えっと、今日もうちに泊まっていいから」
なんだか犯罪のにおいのすることは止めた方がいいと思う。海未の目が大きく見開かれた。意外だったらしい。
「迷惑じゃないの?」
一応そういう自覚はあるらしい。
「僕、君の……彼氏だから」
さすがに「王子さま」とは言えなかった。しかも、期間限定だけれど。海未の王子さまが見付かるまでの期間限定で、それはいつ終わるかわからない。できることはしてあげたかった。奈津の必死の顔に、一瞬海未はぽかんとしたけれど、次の瞬間笑いだした。
「布団一組しかないのに?」
「布団一組しかないけどっ」
「冷蔵庫、空っぽなのに?」
「今日、買いに行くから」
遅くまで営業しているスーパーもあるから、そこに寄って行けばいいだろう。料理のレパートリーは少ないけれど、なんとかなるだろう。
遂に海未は困ったふうな顔をした。
「おれ、お礼とかできないよ?」
お礼って、何をする気なのだ。奈津からのお願いはひとつだ。
「夜中の海に飛び込まなきゃいいよ」
あれには辟易した。もう二度としないで欲しい。
海未の目が細くなって、頬がほんのり赤くなる。
「奈津さん、ありがとう。よろしくお願いします」
可愛らしい造形の顔が、可愛らしく笑って、ぺこりと頭を下げた。多分こういう笑顔に弱い人は大勢いる。「またあとで連絡するね」と、IDを交換したばかりのスマートフォンを振ってみせてきた。
「いってらっしゃい、奈津さん」
アパートの入り口で海未は手を振って見送ってくれた。そこで奈津は単純な疑問が生じる。
「海未くんはどうするの?」
海未はまた、へら、と笑って、人差し指を唇に押し当てた。
「内緒」
そんな顔も可愛い。けど、「内緒」って何。猜疑心の浮いた目で見ていたのか、海未は、「神待ちじゃないよ」と言ってくれた。とりあえずその言葉に胸を撫で下ろす。
「奈津さん、遅刻するよ」と海未に背中を押されて、奈津は大学へ向かった。
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