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第10話
大学裏のカフェまでは、教室から徒歩十分程あるらしい。構内を大股に横切って、裏にあるらしいカフェを目指す。奈津は行ったことがなかったので、適当にあたりをつけて足を向けた。
方向は大体合っていたらしく、大して迷うことなく煉瓦造りの小振りな二階建てを見付けた。壁の一面には見事な蔦が這っていた。看板は小さく、遠目にはカフェには見えない。きっと近所の人や常連の人が来る場所なのかもしれない。海未目当ての奈津は浮いているのだろう。
海未はいるだろうか。休憩中の可能性もある。緊張で、奈津は手に薄っすらと汗をかいた。
そんな奈津の内心など関知しない自動ドアが開く。
「いらっしゃいませ」
明るい声は、果たして接客用の海未の声だった。少し長い明るい色の髪をヘアピンで器用に留めた海未が、接客用の笑顔で席に案内してくれる。人目を惹く笑顔に、店内の客が一瞬目を奪われている。
「こちらメニューです。お決まりになったらお呼び下さい」
丁寧に挨拶して海未は奈津から離れた。特別なことは何もなかった。ちょっと期待してしまった自分が恥ずかしい。
バリスタを雇っているだけあって、メニューにはコーヒーのたぐいが多くあった。ブレンド、カフェラテ、カプチーノ、水出しコーヒー等々。
ラテアートをしている海未が見てみたくて、カプチーノを頼んでみた。「わかりました」と接客用の態度で応えた海未はカウンターに入ると、手際よく作業をして、温めたミルクをエスプレッソの中に慎重に垂らしていく。手首を独特に動かしている。何の柄を作っているのか、奈津の席からではわからない。そわそわとした気持ちを隠しながら待っていると、海未がカップを持ってやってきた。
「お待たせしました、カプチーノです」
爪の切りそろえられたきれいな指でサーブされたのは、白いミルクの中にリーフ模様が描かれた、シンプルなものだった。「へえ」と思って見ていると、海未が去り際に小声で話しかけてきた。
「どう?推しバリスタって追いかけたくならない?」
海未は奈津の「推しバリスタ」だろうか。よくわからないけれど、料金の内とはいえ、来るたびこんなサービスをされたら悪い気はしない。また次も来たくなる。まして海未が作っているなら、なおのこと、だ。
奈津は下心も含めてこのカフェに来たけれど、海未も奈津に会いたいと思っていてくれると、嬉しい。けれど期間限定の彼氏で、本命ですらないから、それは望むべくもない。
これじゃあ、奈津の片思いだ。本当に泡になって、消えてしまいそうだ。むしろ泡になりたい。泡になって、海未に関するすべてのことを消してしまいたい。
夜の海に沈んだ海未もそういう気持ちだったのだろうか。エスプレッソに描いたリーフ模様がゆっくりとエスプレッソに滲んでいくラテアートを眺めて、奈津はそんなことを考えていた。
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