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第19話

 海未のいなくなった部屋は、元の狭いワンルームに戻っただけなのに、奈津にはどこか欠けているように思えた。使う食器は半分に戻ったし、グリルに入れる食パンは一枚で、トマトを六等分するのは面倒だから四等分になった。布団もようやくはみ出さずに眠れる。  タオルケットを一枚使って丸まって眠れる。けれどそこに、奈津を抱きしめてくれる海未の細腕はない。  記憶の中の海未はいつも笑っていて、あどけない顔をしていた。睫毛は長くてくっきりとした二重の下の瞳は大きくて、いつも楽しそうだった。奈津の鼻先に海未の鼻先を押し付けてきたときもあった。 「もしかしたら、奈津さんがおれの王子さまかもしれないじゃない」  海未くんの王子さまは有紀さんだったじゃないか。  記憶の中の海未がこてん、と首を傾げる。 「そんなすぐにわかるわけないよ。奈津さんが本当になってよ」  ごめんね。僕には海未くんの本物の王子さまにはなれなかったよ。  頭の中の海未が困ったように「あは」と笑って、「ひどい顔してる」と言ってくれた。でもそのあと奈津の口角を無理矢理引っ張り上げてくれる海未はいない。  眠りは浅く、何度も見る夢にはいつも海未が出てきて、奈津の夢見は悪かった。朝ごはんを食べる気は起きなかったので、寝不足でコンクリートの一部が欠けた階段を下っていく。 「あれ?」  急に声をかけられて、奈津の足は止まった。自然俯いていた顔を上げると、背の高い、柔和な顔立ちの男性がいた。有紀だ。 「海未くんと一緒にいた人」  有紀は奈津を指してそう言った。なので「二宮です」と挨拶する。 「二宮くん。海未くんは元気?」  これも多分、一種の社交辞令だろう。 「いえ、僕もちょっと知り合っただけなので、詳しくは」  言外にもう海未との接点はないことを示す。有紀は「そうなの」と、別段不思議そうでもなく答えた。 「あの子、ちょっと変わった子だもんね。少し優しくするとすぐ懐くけど、俺、ああいう子、頭悪そうで、苦手なんだよね。あ、これ内緒だよ」  人差し指を唇にあてて、有紀は言う。悪いことを言ったとも思っていないふうだ。  これが海未の言っていた、優しくて、変なことを言ってもよく笑ってくれて、たまに頭を撫でてくれる手が大きくて温かかった人なんだろうか。全くもって、海未の片思いもいいところじゃないか。端から海未の王子さまになる可能性なんて、どこにもなかった。  奈津は、この人の代わりになるつもりだったのだろうか。そう思ったら、肩のちからが抜けてしまった。 「そう、ですか」  脱力した奈津は有紀に別れを告げた。海未に会いたかった。例え期間限定でも、奈津は海未の王子さまを降りてしまった。二回も王子さまを失くした海未はどんな気持ちだろう。

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