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【第1部 竜の爪を磨く】17.果物に歯を埋める

 アーロンの唇は熟した果物の味がした。かすかに刺すようなスパイスの匂いも。俺の口は勝手にひらき、俺自身を裏切って、進んでアーロンを味わおうとする。とたんに舌をさしこまれ、絡められた。噛みつくような勢いでアーロンが俺の舌を吸う。鼻まであいつの匂いでいっぱいになり、頭の芯がふわふわと浮いているような感覚に襲われる。  歯の裏側をなぞるあいつの舌を捕まえようとすると、するっと逃げていき、下唇を食まれた。顎を唾液で濡らされて、堅い床に押しつけられた背中をさざめきが走る。のしかかるアーロンは重く、筋肉が堅く主張して、俺はつかまれた手首をふりほどくのがやっとだ。  俺はアーロンの首に腕を回し、やみくもに唇をおしつけ、耳たぶを噛む。アーロンの背中がびくっとふるえたと思うと、激しい勢いで引きはがされた。  また床に押しつけられて、俺はアーロンのしかめた眉をみている。眸がおたがいの欲望を映しあって、息があがる。制服の堅い布地を通してもはっきりわかるくらい、熱くて固いものが俺の太腿を擦った。理性はとうに麻痺して、俺は誘うように腰をゆする。  上にいる男を裸に剥きたかった。裸に剥いて、繋がりたかった。他に何も考えられない。  アーロンは荒い息をつき、無言のまま眼を伏せると俺のベルトをゆるめた。下半身の布だけ一気に下げられて前が空気に触れたとたん、強引に裏向きにひっくり返される。俺は反射的に手と膝をついたが、もう少しで床を舐めるところだった。アルヴァとの情交で緩んだうしろの穴が空気に触れ、ひくひく疼くのを自覚したとたん、アーロンの重みと吐息が背中に乗った。  前に回された手で俺自身を握られ、息をのむ。声をもらしそうになったとき、アーロンが中に入ってきた。ゆっくり――と思えたのは最初だけだった。息を吐いたとたんぐいっと奥まで圧迫がくる。俺はまた息を吐き――アーロンが動いた。  頭の芯が白くはじけた。床をみつめたまま唸るような声が勝手に出て、唾液が糸を引く。快感の長い波が俺を遠くに押しやって、薄れたと思ったら戻ってくる。俺にかぶさっている男も喉の奥から唸りのような声をもらし、俺は可笑しくてたまらなくなる。俺たちはただの獣か、まぐわう竜のつがいだ。でもそうやって気がそれたのも一瞬だけだった。さらに奥を突かれたとたん、視界がかすむような感覚に襲われて、中にいるアーロン以外何もわからなくなる。 「あ――」  アーロンの濡れた指が内腿をこすり、自分があっけなく射精したのがわかった。それでも快感はやまず、俺はアーロンが突いてくるたびに腰を揺らして応えている。腕から力が抜け、ひたいが床を擦ってもとめられない。真っ白に麻痺した意識に、ふいに幻影がはじけた。  山地の透明な空気のなかで俺は膝をつき、石の上に腹ばいになっている。視線の先にあるのはアーロンの背中だ。彼の足元でなにかが光った。〈地図〉の媒体(メディウム)のようだったが、精髄(エッセンス)がない。  俺は膝をつき、起き上がろうとするが、うしろから体をつらぬくものが俺の自由を奪っている。腹ばいになったまま俺はアーロンのブーツをみつめ、彼が立っているのは岩でも土でもなく、うろこに覆われた生き物なのを知る。妙にゆっくりした動きでアーロンがふりむく。その手に長い、まがまがしく光るものがある。  怒りとも憎しみともつかない感情に息がとまりそうになったとき、背後から体を引き起こされ、髪を強くひっぱられた。俺は意識を取り戻した。アーロンが荒い息をつきながら俺の首筋に顔を埋めていた。  長くひきのばされた音が消えるように快感の余韻が薄れていく。完全に消えてしまうと、体液で濡れた布が冷たく、ただ不快だった。  俺はまだ腰を支えているアーロンの腕を今度こそふりほどいた。着たままだった上着に唾液の染みがついている。下半身のだるさをものともせず、俺は床に散らばった他の布切れを拾い、身に着けて、袖で顔をぬぐった。  背後でアーロンがごそごそ動く音が聞こえる。俺はふりむいた。アーロンは服を整え、顔をあげた。刺すような眼つきで俺をみる。俺も黙って見返した。  どのくらい、馬鹿みたいにそこに突っ立っていたのか。  俺もアーロンも黙ったままだった。アーロンはまた顔をしかめていた。突然、俺はこいつに罪を犯させたことになるのかもしれない、という考えがうかんだ。セランとつきあっているならもちろんそうなる。帝国市民の貞操観念は明瞭かつ厳格だ。婚姻していようがいまいが、きまったパートナーのいる人間は他の者と接触してはならない。たとえ単純な肉欲が原因だとしても。  そもそもこいつは昔から、俺のだらしない下半身に我慢がならなかったのだ。 「――何が俺のせいだって?」  それなのにやっと俺の口から出たのはそんな言葉だった。くすぶる罪悪感や、この部屋の居心地の悪さを押しつけるように。  アーロンは突っ立ったまま、はっとしたように眼をみひらき、首をふった。唐突に脳裏にひとつのイメージが浮かんだ。剣を持ったアーロンが竜の頭を押さえつけている。血が剣の切っ先から滴っている。俺の耳元で声にならない声がささやく。 (彼を殺して英雄になりなさい) 「――エシュ」 「ふざけるな」  やつあたりのように俺は吐き捨てた。  アーロンは俺に裏切るなといったが、俺だってアーロンにセランを裏切らせたかったわけじゃない。俺たちはただ――ただ……なんだというのだろう?  その先については考えたくなかった。  俺はアーロンの横をすりぬけ、扉をあけた。廊下は物音ひとつしなかった。兵舎へつづく小道を歩きだすと横殴りの風が俺の髪をぐしゃぐしゃにかきまぜる。  真っ黒にみえる俺の髪にはところどころ薄い色の毛の房が混じっている。昔のアーロンは俺の髪が気になってたまらないようだった。学校の規則違反すれすれの長さのせいかと思ったら、ある日、黒に混じる金色の毛に触りたいのだと告白した。俺は笑って好きにしろといったものだ。  俺もアーロンも子どもだった。前世の「俺」が何を覚えていようとも、精神は肉体という檻から出られない。

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