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【第1部 竜の爪を磨く】19.挑発する風

「〈法〉によって帝国の秩序を維持するのが軍人の役割だ。士官候補生となった諸君はこれから〈法〉と〈地図〉を徹底的に学ぶ――いや、叩きこまれる。諸君が使い物になるまで、執拗にな。我々は怠惰な者に容赦しない。また、我々は不品行な者にも容赦しない。竜の悪徳に染まった者は三年のあいだに脱落することになる。諸君らの健闘を祈る」  士官学校の一年目はこんな演説ではじまった。地図をより多く手に入れる者がこの世界を支配する。その原則と方法を叩きこまれる毎日だ。  入校一年目の日々は順調で、かつ愉快だった。  アーロンは一組で寄宿舎は白群(びゃくぐん)、俺は三組で寄宿舎は紅鳶(べにとび)だった。最初の試験で、俺は〈地図と法〉の科目と竜の騎乗ではクラスのトップを取り、新しい友人たちと楽しくやっていた。アーロンはアーロンで、同じ試験で全教科学年一位を取り、学生会に引き抜かれた。  士官学校の伝統はクラス対抗、寄宿舎対抗の競争である。各学年四つのクラスは学年ごとに成績を競い、全学年がそろう四つの寄宿舎――白群(びゃくぐん)紅鳶(べにとび)青碧(せいへき)真朱(まそお)は、季節ごとの行事――秋の新候補生歓迎祭、冬の竜食祭、春の学寮祭、そして夏の「飛翔と走駆」試合――の出来栄えを競うのだ。  歓迎祭以外は学外者にも公開されるし、それぞれ別の基準で評価されるから、各舎長のリーダーシップと舎生の能力を生かした分担が必要になる。歓迎祭は出し物を見た新入生の投票で、料理大会である竜食祭は食事の売上で、学寮祭は展示の観客動員数でポイントがついた。一年の最後となるイベント、夏の「飛翔と走駆」は竜の騎乗能力を競う。どのイベントも、勝利した寄宿舎には特典が与えられる。  竜食祭の特典がもっともわかりやすく、候補生もいちばん熱狂することになった――寄宿舎で出される朝夕の食事の予算が上がるのだ。俺の眼には学校の食堂も寄宿舎の食堂もかなり贅沢に映ったが、十代の食欲は竜肉のステーキを欲するのである。俺は一年生が最初に経験するイベント、冬の竜食祭で故郷の郷土料理を提案して高ポイントを稼ぎ、勝利に貢献して一躍ヒーローになった。  士官候補生は帝国軍人となる未来に向け、詰めこみ勉強と実践訓練のかたわら、寄宿舎ごとの対抗行事に忙殺される。だから卒業生のほとんどは士官学校での日々を「あっという間だった」と回想する。  食欲と性欲に占領されがちな育ちざかりの脳をこれらの競争で刺激されるのは、悪いものでもなかった。それに三年間のあいだ健全な競争によって培われた絆は、軍属になった後もなにかと役に立つ。  四つの寄宿舎のなかでも、俺の紅鳶とアーロンの白群は長年対抗関係にあった。竜食祭で紅鳶がリードすれば学寮祭では白群が獲るといった様相である。しかし竜の騎乗を競う夏の試合「飛翔と走駆」では、紅鳶は白群にここ三年惜敗していた。俺が一年のとき紅鳶の舎長を務めていた三年のヴォータンは、今度こそ勝利すると心に決めていたらしい。竜食祭のあと俺は彼に呼び出された。 「おまえが一年のエシュか。小さいな」  舎長室に入っての第一声がこれだ。  ヴォータンは規格外にでかい男で、体型もすでに大人の男なみだった。当時の俺は彼の胸のあたりまでの背丈しかなく、わかりきったことを口に出すのかと呆れたものである。後で知ったが、ヴォータンが初対面でそういわなかった相手は一人しかいないらしい。 「はあ」 「あの竜肉の煮込み、美味かった。紅鳶の正式メニューに加えるように要請するつもりだ」 「それはどうも……ありがとうございます」 「ところで、騎乗成績の発表を見た。おまえはクラストップだそうだな。で、休暇の予定を聞きたい」 「は?」 「冬と春の長期休暇のあいだ、紅鳶は夏の試合に備えて選抜メンバーで特訓を行う。おまえはもう選抜入りだ。参加できるな?」 「はあ?」  否も応もなかった。最初の休みに屋敷へ帰った時、ルーは俺から話を聞くなり爆笑したものである。 「エシュは紅鳶、アーロンは白群か。これはヴォルフが喜ぶな」 「どうしてですか?」 「私もむかし紅鳶で、ヴォルフは白群だった。夏の試合で私は三年間、ヴォルフに勝利した」  俺はあっけにとられてルーをみつめた。彼はにやにや笑っている。 「あいつのことだ、アーロンをけしかけるぞ」 「けしかける――って」 「私もおまえが負けるなんて、我慢ならんがね」  どうしてあなた方の勝負を俺が引き受けなければならないんですか。口にこそ出さなかったが、俺の気持ちは表情に出ていたようだ。 「なに、私は心配していない」ルーは自信たっぷりにいった。 「竜の背に乗ったおまえに勝てる者など、士官学校にいやしないさ」  たしかにその通りだった。竜に乗る技術だけなら、俺は教官にも勝てただろう。一年目の終わり、俺はアーロンを大きく引き離して、勝った。  士官学校のカリキュラムには、竜に関する幅広い講義と演習がある。  帝国軍は〈地図〉を奪取する作戦で各種の竜を使役し、また野生の竜を〈地図〉化したが、この世界で竜が人間に使われる範囲はそれだけではない。〈地図〉化された竜は食品、繊維、医薬といった産業で隅々まで利用され、帝国経済で重要な役割をもっていた。竜の肉、骨、皮、羽毛、鉤爪がすべて利用されるのはもちろん、生きた竜は荷役にも移動にも戦闘にも、また各種の負荷実験にも使われる。時には生体工場として微生物の合成や希少鉱物の抽出に使われることもある。  帝国では竜は「物品」なのだ。その観念は辺境で育った俺にはなじまないものだった。他の士官候補生はみな生まれながらの帝国臣民で、俺のような感覚とは無縁だ。特にアーロンと話すとき、違和感はとても強くなった。  ヴォルフ将軍を父に持つ彼は、帝国臣民中の帝国臣民といってもいい。俺にとって竜は人間と同様に「物」として扱うのに抵抗を覚える存在だが、アーロンにとっては自分のために存在する、利用すべき生き物、あるいは駒だ。  いや、こんな考え方はアーロンに限った話ではない。だが教官や他の候補生が何をいっても聞き流せるのに、アーロンの場合は別だった。彼がそんな風に竜をみていると思うと、俺の心の底がささくれるような、竜の鉤爪にひっかかれてちりちりと痛むような――そんな感じがした。  それでも俺は士官学校で、連日アーロンと顔を合わせていた。  寄宿舎もクラスも違うのに、いやまさにそのせいで、俺とアーロンは何かと関わることになったのだ。教官たちが健全な対抗関係を奨励していたのもある。ここでは|好敵手《ライバル》は親友とほぼ同義とみなされる。  授業のあとや週末になるとアーロンは俺を探し出し、学生会の連中がとやかくいうのにもかまわず――アーロン以外の学生会連中は当初から俺を敬遠していた――勉強や課外活動や、ときにはただの気晴らしに誘った。  たいして不思議なことでもない。彼と俺は予備学校からの友人で、それぞれの親も同じ年頃に学友の間柄で、それに彼に会えば俺も――楽しかったのだ。 「エシュ、ゲームルームで」  いささか退屈な講義が終わって教室を出ると、アーロンが廊下で腕を組んで待っている。 「やるのか?」俺はにやにや笑う。「また俺が勝つぞ」 「どうだか」アーロンは俺の肩に腕を回す。 「昨夜寝る前に敗因を考えていた。二手で勝てた」 「いいや。今日も負けて三組のリードに貢献しろよ」  一年の春学期には正規の授業カリキュラムに戦略シミュレーション「タロン」が導入された。三次元戦略ゲームの一種だが、士官学校では〈地図〉の奪取を学ぶためにある。放課後であっても学校のゲームルームで対戦すれば、結果はクラス対抗成績に算入される。  俺もアーロンもこれが得意だった。成績は拮抗していただろう。盤の上にたちあがるシミュレーションの地形は透けて、対面するアーロンの顔がその向こうにみえた。俺は手を振って駒を配置し、動かす。アーロンが笑う。ときにはくやしそうに眉をひそめる。  投影されたゲームの像の向こうにいるアーロンを眺めるのが好きだった。時々まっすぐに俺を見る、涼し気な眼元も、眸も、堅い意志を感じさせる顎も。  二年生になると、クラス対抗の成績競争は激烈をきわめた。オールラウンダーのアーロンは自クラスの平均点を全般に上昇させることに貢献し、特化型の俺は自クラスで特定の科目を突出させた。競争は俺たちをより近づけた。追い抜いたと思ったとたんに追い越され、また追い抜くゲームほど楽しいものはない。  もっとも、気楽に楽しむだけの日々は、あまり長く続かなかった。  問題はいつだって、この世界の『神』なのだ。  アーロンと出会ってからも俺は夢の中で『神』の声を何度も聞いた。でも故郷で聞いていた時とちがい、帝都では俺の方から『神』に声をかけることはできなかった。  あの夢は思い出したようにやってきた。山地で、巨竜を殺した男をみつめている夢だ。  俺はいつも銃を持っていて、最後にいつも男を狙った。故郷で飛ぶときに使っていた、子どもでも使える軽い銃。だが引き金を引くことはない。子どものころから何度も聞いたあの声が耳元でささやいたとたん、眼がさめる。  夢にあらわれる男は今のアーロンとは、ある意味では似ても似つかない。厳しい顔つきや冷たい眼、冷酷な動作……だが俺は目覚めるたびに、あの男がアーロンだという確信を深めるのだ。夢の中で名を呼んだこともある。  。  そう自覚したとき、子どものころから俺に干渉してきた『神』に対する敵意はふたたび強くなった。  たとえそいつが未来を見通せるのだとしても、未来のために俺に干渉してくるのだとしても、たとえこの世界の因果を左右できる超越者であっても。俺がこの世界に生まれたのがそいつの操作の結果だとしても、いいようにされるなど、ごめんだ。  どうすればこの『神』の術中にはまらずにいられるのだろう。  二年生の夏の試合で、俺はアーロンにわざと負けた。彼から距離をとることにしたのだ。  そして夏の休暇のあいだに、俺は帝都の夜を知った。

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