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【第1部 竜の爪を磨く】27.飛ぶ者を追う
ツェットが鳴いている。
厩舎に足を踏み入れて俺は顔をしかめる。〈黒〉の急な異動がきまり、厩舎は慌ただしい雰囲気だが、俺は竜の声を聞き分けるのが得意なうえ、ツェットとは六年のつきあいだ。
意味深にめくばせする連中に気づかないふりをして俺は大股でツェットの仕切りへ急いだ。細いさえずるような鳴き声は仔竜が庇護者を求める響きに似ていたから、いささか焦った。ところが近づいてみると、片方の翼をギプスで固められたツェットは止まり木の上でよたよたしながらも隣の区画へ首をのばし、甘えるようにエスクーにとさかをこすりつけている。
俺は舌打ちをした。もちろん竜に聞かせるためだ。
「ツェット!」
つづけて声を張り上げたとたん、うしろから肩を叩かれた。
「エシュ」
ふりむくとアルヴァが立っていた。俺の顔を一目みて、顔をしかめる。
「すごい顔色だな」
「そりゃどうもありがとう」
「褒めてない。ひどいって意味だよ。歩き回って大丈夫なのか? 皮をむいた玉ネギなみに白い」
「青くないだけましだ。大丈夫もくそも、明日発つんだよ。こいつで」
俺はツェットの首の先を指さす。床の上にいるエスクーは首を上に長く伸ばし、顎の下にはさむようにツェットのとさかをうけとめていた。渦を巻く眸がくるりと回って俺の方をみるが、冷静な印象以外は伝わってこなかった。
「黄金の竜か」アルヴァがいった。「それで鞍を替える指示が出たんだな」
「鞍を替える?」
「二人用 にしろとさ」
悪態が飛び出しそうになったが、俺はすんでのところでこらえる。
「アルヴァ、ツェットの翼は? いつ治る?」
アルヴァは真剣な表情になった。
「こっちへ来てくれ。説明する」
俺はまた顔をしかめた。いい話ではなさそうだった。
壁に映し出されたツェットの右翼は大きくねじれていた。いまはギプスで正しい位置に補正しているが、折れている骨は一本二本どころではない。
「竜の翼は再生するし、翼を支える骨も再生するが、こうなると時間がかかる。下手をすれば一年」
アルヴァは暗い声でいった。脳天気にエスクーに甘えていたツェットよりこたえているようにみえた。
「騎乗竜は片翼が長期に渡って使えないと平衡がおかしくなる。特別に面倒をみなきゃならん。それに翼が再生されても飛ぶ訓練はかなり必要になる。エシュ、どうする?」
「どうするって?」俺は聞き返した。
「この基地で預かれないことはない。ただし経費は〈黒〉の負担だ。明日から城壁都市だろう。竜は薄情だ。再訓練では以前の乗り手を思い出させるのも苦労するかもしれん」
アルヴァは口に出さなかったが、いいたいことはわかった。たいていの帝国軍人にとって竜は取り換えのきく物体、装備品にすぎない。壊れた機械をスクラップにして再生するように、飛べなくなった竜は交換に出されるのだ。今のツェットのように、飛べるようになるまで費用や時間がかかる竜も。
しかも交換といっても、飛べない竜は帝国軍にとって肉の塊と等価である。まともに飛べる騎乗竜は、年老いて現役から退いても士官候補生の訓練用や万一の予備役として帝都の郊外や辺境で余生をおくり、天寿をまっとうできるが、軍役中に飛べなくなれば話は別だ。軍にどれほど貢献した竜であっても安楽死させられ、肉、皮、腱、鉤爪、血液や臓腑に含まれる希少金属までもが余すところなく再利用される。
「預かってくれ」俺は即答する。「厩舎長あての申請が必要だろう。何でも書く」
「そうか」アルヴァはみるからにほっとした表情になった。「〈黒〉の団長は?」
「俺が代行してる。権限は問題ない」
「よかった。そっちの団長が厄介なことになったと聞いたんで……心配していたんだ」
「ツェットを? 俺を?」
「そりゃもちろん、りゅ――いや、両方ともだよ」
俺は吹き出しそうになる。
「竜でいいさ。それはともかくツェットのあの態度はなんだ。まるで求愛してるみたいじゃないか。雄同士のくせに」
「雄同士でも求愛はするぜ」アルヴァは平然とのたまった。
「竜にくわしいくせに、知らないのか? 軍属の竜にはよくある。仔を作る必要がなくても連れあいは必要なんだ。ツェットの恋が実るかどうかはわからんが」
俺はげんなりしていった。
「恋ね。エスクーは相手にしないだろう」
「そうでもないぞ。俺は脈ありとみてる。竜はひとめぼれ体質だしな。人間のことはすぐに忘れるが、同族は何年離れても覚えている。エスクーに再会すれば成就するんじゃないか」
「あっそ」
アルヴァは映像を消すと壁の棚をひっかきまわしはじめた。何か探しているらしい。俺に背を向けたまま唐突に「エシュは人間よりも、竜に似てるところがある」といった。
「なんだって?」
「だから好きだった。城壁都市でも元気でな」
過去形か。ふりむいたアルヴァは無表情だった。
「ツェットを預けるのに? 俺はいずれ戻るぞ」
「釘を刺されたんだ。軍規がどうとか、なんとか……」
「は?」
アルヴァは俺の手に書類の束を押しつけた。
「厩舎長に出してくれ。ツェットは俺がみるが、エシュにはもう会わない」
二人用 の竜鞍は古くから――〈地図〉や〈法〉がこの世界に存在する以前からあるが、帝国軍ではほとんど使われていなかった。竜の頭の方にパイロットが、尾の方にナビ役が背中合わせに座り、戦闘時はナビ役が警戒にあたる。背中に乗っかる人間が二人になるわけで、もちろん竜には体力が求められる。
新しい竜鞍を装着したエスクーにツェットがピィピィと呼びかけている。エスクーはときどき頭を振ってこたえているから、アルヴァのいったとおり「脈がある」のかもしれないが、俺はなんとなく不快だった。アーロンの竜でなければもう少しツェットの気持ちに寄り添えたと思うのだが。
「落ちついたら様子を見に来る。俺のこと、ちゃんと覚えてろよ。六年も組んでいたんだ」
俺は止まり木の上によじのぼり、ツェットの顎を撫でる。磨かれたうろこと鉤爪は鈍い光沢をはなち、ところどころに生える産毛のような羽毛もつやつやしている。ギプスに覆われた片翼をのぞけば俺よりずっと調子がよさそうだ。
人間のことはすぐに忘れる、とアルヴァはいった。たしかに竜は薄情だが、帝国軍の扱いを考えれば妥当ともいえる。俺は自分が例外であることを祈った。次にツェットに会えるのはいつになるだろう。
「まだ顔色が悪い」
飛翔台でアーロンは俺をみるなり不機嫌そうな顔でそういった。
「俺に文句をいうな」
俺は後方の鞍へ足をつっこむ。慣れない人間を背に乗せてもエスクーは微動だにしなかった。自分勝手なところのあるツェットならこうはいかない。乗り手に似て優秀なわけだ。むかつく。
ライフルをセットしていると背中でアーロンが「着くまでベルトをしておとなしく座って――いや、眠ってろ」という。
「馬鹿いうな。俺は〈黒〉団長代行だぞ。眠れるか」
「移動するあいだだけだ。〈黒〉が他の軍団とちがうのはわかってる。全員が|単騎《スタンドアロン》になれるのが〈黒〉だ。はじめて知ったときは驚いたが……」
アーロンの声を聞きながら俺は腰をおろし、周囲をみまわした。他の連中もみな飛翔台にいて、いつでも飛び立てる様子だ。
「城壁都市だったな」アーロンがぽつりといった。
その通りだった。シュウやフィルは俺よりあとに〈黒〉へ来たが、古参の連中と初めて会ったのは城壁都市だった。六年前のことだ。
城壁都市では飛翔台から建物に入るまでのあいだにいくつかの検査があり、軍属であっても例外はなかった。それでもアーロンは優先で扱われたのかさっさと行ってしまい、反対に俺を含む〈黒〉は延々と待たされた。異動命令は俺たちに出ているのに、不公平な話だ。
「例の事件のとき、なんと当時の僕の所属は例の反帝国シンパを出したところでね。おかげで大変な目にあった」
検査待ちの通路でシュウがフィルに不穏な話をしていた。不穏ではあっても話すのに差支えはない――とはいえるか。当時シュウは軍属ではなかった。
「シュウもあの時、ここにいたのか?」
俺が口をはさむとシュウはわざとらしく眼を丸くして「あれ、話さなかったっけ?」としらばっくれる。
「聞いてないな」
「「も」っていうことはエシュもか」
「俺は学生だった」
口にだしてから妙な気配を感じて横を見ると、ティッキーがにやにやしていた。他の古参の連中もだ。だがシュウは気にせずに喋りつづけた。
「最初に占拠されたのは当時の僕の所属先の、とあるセクションだった。侵入したときをのぞいて、連中は住民に直接何かするってことはほとんどなかった。ただ彼らはこの都市の〈地図〉を操作したんだ。おかげでよく知ってる通路が突然迷路になるわ、竜が閉じこめられて移動ができなくなるわで大混乱――まあ、少なくとも最初はね」
「どんな風だったんです?」とフィルがたずねる。
「ふつうの反乱軍が辺境を占領するのとは全然ちがった。連中、都市内通信回路を使って、これまで通りにやれと命令するんだ。要するに仕事をしろというのさ。でも毎日道が変わるんだよ。自分の部屋を出ても職場へ向かうルートが全部塞がれていて、戻るしかないこともあった。つまりその日は仕事に来るなってことなんだが、だったら無駄足させるなって腹が立ったよ」
「全住民への行動制限ですか」
「僕は軍属じゃなかったから、非常時にここが要塞になるよう、道が変わるように設計されているなんて知らなかった。あの事件ではじめて知ったんだ。しかも〈地図〉を通して全部監視されている。何日かして僕の知り合いが二人いなくなった。怖かったが、反乱者にどこかへ連れて行かれたのか、自発的に行ったのかもわからない。脱出はできそうになかったし、粛々と仕事をしたさ。予定していた休暇も返上で」
シュウの口調ではかの大事件もまるで冗談のようだし、休暇がとれなかったことのほうが彼には重大らしい。早口でシュウがまくしたてると、本人は真剣に話しているのに、なぜか漫談じみた可笑しさがただよう。実際フィルは笑いをこらえているような表情になっている。
「でも、城壁事件は短期解決しましたよね? 十日か二十日で、軍が突入して……」
「たぶん首謀者側は奪取した〈地図〉をうまく使えなかったんだ」
シュウの手がリズミカルに動き、〈地図〉のキューブを形づくった。
「完全に〈地図〉を理解できなかったから、せっかく占領したのに、あそこから帝都を襲撃することもできなかった。彼らの狙いはたぶんそこだったよね? 思い出すとあれは奇妙な事件だったな……エシュ? 大丈夫? 正気を保ってる?」
「まだ顔色が悪いからな」
ティッキーがアーロンと同じことをいった。ようやく前方のドアが開き、職員らしい影があらわれる。
「ようやくお出ましのようだぜ。無事に中へ入れたらしばらく休め。団長代行」
「そうできたらな」
俺は頭をふる。ティッキーに「団長代行」と呼ばれると奇妙な感じがした。この都市ではじめて会った時、ティッキーはイヒカの横にいた。
六年前の事件で、まっさきに思い出すのは静けさだ。円環型の要塞都市を占拠した反乱者たちはまず竜の羽ばたきと匂いをどこかへ消し去り、シュウが話したように〈地図〉を操作して人の移動を制限した。
俺はシュウとちがいすでに準軍属だったから、非常時にこの都市がどう機能するかを知っていた。しかし敵に占領された場合にどうなるかはあの瞬間まで考えたことがなかった。軍大学の学生といってもこの程度のお粗末さである。
住民は監視されていた。竜の声も羽ばたきも聞こえなくなった都市で、宿舎の壁の向こう側では妙な音が響いていた。都市の反対側や上下の階層移動に使われていた竜が消え、さらに通路を歩いていると前方のドアが勝手に閉まって鍵がかかり、引き返すしかない、といったことが起きた。都市が物理的に人の移動や交流を制限したのだ。通信機はどこにもつながらず、食堂で向かい合って話をしていた人のあいだに突然シャッターが下りてくる。
すべてこの都市に最初から存在していた機能だった。自然の地形のない、すべて人の手で作られた通路はモジュールの組み合わせだ。住民が眠る夜中に機械装置が作動し、目覚めると道が変わっている。彼らは都市を操作する〈地図〉を奪取し、操作している。
そう悟った時、首謀者たちの居場所の見当がついた。
帝国の動きは早かった。帝都はすぐそこで、軍の駐屯地も近隣にある。占拠された翌日、俺の部屋の窓から〈萌黄〉の竜が飛ぶのがみえた。地上にはきっと〈紅〉がいるだろう。
すぐにも制圧しにくるかと思ったのに、軍はこなかった。
軍が動けない理由があるのだと俺は思った。いったい何だろう? 占拠者たちは住民からコミュニケーションの手段をとりあげ、帝都とコンタクトをとっているのか、帝都と交渉しているのなら彼らは何を要求しているのか。
城壁都市には帝都へ動力を供給する〈地図〉がある。そのことは多くの人間が知っているが、具体的にどこにあるかを知る者はこの都市にいるのだろうか?
毎朝同じ時間に音響装置からアナウンスが流れたが、いつも同じ内容だった。初日のアナウンスを少し変え、さらにもう一項目が付け加えられただけだ。
『城壁都市の諸君にお伝えする。我々はこの都市の〈地図〉を持っている。神よ、いつもの平和を我らに与えよ』
聞くたびに俺は内心悪態をついた。何が神だ。
しかし実をいえば、この事態がはじまった時点では俺の生活にはたいして支障がなかった。|論文《ペーパー》が大詰めで完全にひきこもっていて、出かける必要も他人と話す必要もなかったのだ。指導教官には草稿をみせたばかりで、次に面会するのは仕上げてからということになっていた。
人間というのはへそ曲がりだ。自由に話せないとなると逆のことがしたくなる。
会いたくて仕方がなくなる。
アーロンはどうしているだろう。
アーロンの宿舎の場所だけは知っていた。俺の宿舎のある居住区からはかなり離れている。竜で飛ぶこともできず、表の道は毎日勝手に変わる――だが、緊急用の通路はどうだ? 非常時に街路が封鎖された時に機能するものから施設整備に使う狭い通路まである。占拠者がこの都市の〈地図〉を完全に理解し、自在に使えるのなら望みはない。
でも本当にそうだろうか? だったらどうして連中はすぐに事を起こさないんだ? どうして毎朝くだらない祈りなぞ唱えている?
流動的で見通しのきかない状況のなか、得体のしれない敵のことをああでもないこうでもないと想像するのは妙な興奮と懐かしさに満ちていた。思えば俺は辺境でルーに拾われる直前、帝国軍の侵攻の不安と仲間の不信に挟まれながら、生きのびるために自分がどう行動すべきかを毎日考えていたのではなかったか。俺はたった十四歳だったが、ああいう状況下では年齢はたいして問題にならない。
|論文《ペーパー》作業のついでに、ここへ来てからのガイダンス資料一式を手元に置いていたのが幸いした。俺は部屋に閉じこもって図面をにらみ、記憶に頼って補助線を引いた。占領された日から数えて十日目の深夜、行動を起こした。
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