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【第2部 飲みこまれた石】3.アーロン―矢の束を投げ捨てる

「目線をこちらにください。はい、ありがとうございます。次ですが……竜にこう、触った姿勢でお願いできますか?」  アーロンは帝国軍広報部の係員の指示のままエスクーの胴に手をかける。このあたりのうろこは黄金がかかった色合いで、金属の光沢をおびている。 「すこし右に――はい、こちらをまっすぐ。ありがとうございます」  撮影機がパシャリパシャリと音を立てるあいだもエスクーは澄ました顔だった。不足のない竜だ、とアーロンは思う。  アーロンが手をひと振りするとエスクーの褐色の首がわずかに下がる。静かな眸が広報部の撮影班を見下ろしている。他の竜の鳴き声や羽ばたきが聞こえても身じろぎもせず、アーロンの横に控える姿は彫像のようだ。ジャーナルの記事のために飛翔台の前に連れ出されても――飛ぶことがなくとも――動揺のかけらもみせない。  エスクーはアーロンが〈黄金〉に所属してから三頭目の竜だった。アーロンの竜だけでなく〈黄金〉の竜は頻繁に入れ替わる。配属されて六年経つが、アーロンはそれを不思議に思ったこともない。帝国軍の竜は個々の兵士に支給される装備品と等しいから、最善の状態に整備され、あるいは交換されているべきだ。自分の騎乗竜の交代に失望したことはなく、逆にありがたいと思ったこともない。  しかしエスクーはこれまででもっとも優秀だから、急に交換されることでもあれば残念に思うだろう。その前の二頭に比べてなにか問題があるとすれば、厩舎で眠るときの奇妙な姿勢くらいだ。他の点は申し分ないし、アーロンの意思もよく通じる。厩舎員も含めて、アーロン以外の人間には馴れ馴れしい態度をとらないのも規律を感じさせて好ましかった。  もっともひとりだけ例外はいる。  エシュ。彼を他の軍人や竜を扱う人間と同じように考えるべきではない。  アーロンはいわれるままポーズをとりながら、むかしの友人でかつ恋人でもあった男を思い浮かべ、同時に喉の奥に感じた苦い気分を顔に出さないよう飲み下した。少年のころは仔竜と共に眠ったこともあるという男は、辺境の基地でエスクーにはじめてあった瞬間にその心をつかんでいた。エスクーがエシュの頬を舐めるのをみてアーロンは度肝を抜かれたものだ。この竜はアーロンの指示をよく聞くが、そんな態度をみせたことは一度もない。  いや、まさかアーロンはそんなエシュを羨ましいとは思わない。竜は人間ではなく、軍の竜は遊び相手ではないのだから。  エシュは例外で、特殊なのだ。  もう一枚、鞍に座ったところを撮りたいという希望にこたえてアーロンは竜の背にあがった。この撮影は広報部がジャーナルに流す記事のためで、アーロンは過去に何度か似たような経験をしていたが、今回の係員がことさら丁寧なのは皇帝陛下直々の指示があったためだろうか。鞍におさまるとエスクーが首をのばし、命令のままに翼をひろげる。撮影機の音が響くなか、ちらりと下をみると見物人(ギャラリー)が増えていた。ここまで撮影についてきた上官の他に〈黄金〉の同輩の顔もみえるし、他の軍団の色もある。  まるで役者だ。でなければ偶像。アーロンは苦笑いが浮かびそうになるのをこらえる。皇帝陛下がこの役を演じることを望む以上、従わないわけにはいかない。 「どうもありがとうございました。のちほどチェック用原稿を回しますので」 「ご苦労さん」  竜の背を降りると上官のカディームが係員に愛想良く話しているところだった。アーロンはエスクーを厩舎員に預けて見物人の前に戻った。ブランドンが組んだ腕をほどき「まるで俳優だな」といった。 「これも任務のうちだ」  アーロンは無表情で返した。ブランドンはアーロンより五歳は上で〈萌黄〉からの転属組だ。軽くかけられた言葉の裏側には嫌味がある。アーロンはよく知っているが、だからといって何も感じない。ブランドンは優秀だが部下の人望はいまひとつで、とくにリップサービスもしないのに部下受けのいいアーロンをやっかんでいるらしい。  自分がジャーナルでよく「軍の英雄」扱いをされることに対して〈黄金〉内部にも賛否両論があるのも知っていた。しかし上層部は問題視していない。直属の上官であるカディームはむしろ、アーロンがこの役割を淡々と引き受けるのを喜んでいた。  彼は一度だけアーロンに「帝国市民向けのわかりやすいアイドルが必要なのさ」ともらしたことがある。アーロンも、軍大学を出た直後はともかく、今は誰ひとり「親の威光」とはいえない実績を持っている。偶像(アイドル)におさまるにはちょうどいいということらしい。父のヴォルフからアーロンに帝国の英雄像が受け継がれるのは軍にとって都合がいいのだ。  ともかく撮影機は片付けられ、見物人は散りはじめた。アーロンは離れていくエスクーの尾を何気なくみつめながら、また竜の扱いに素晴らしく長けた男のことを考えていた。  いや、正確にいえばその男の竜のことを。エスクーよりも小さく、眸はくるくると動く感情に満たされていた幸福そうな――いや、幸福そう竜。エシュはツェットと呼んでいた。黒鉄(くろがね)竜との戦いで翼が折れた竜は辺境の基地にそのまま預けられている。もちろんエシュは竜を処分しなかったのだ。 「エスクーは映えるな。それでも、陛下の肝いりで〈黒〉が訓練している竜どもは凄いらしいぞ」  ブランドンがいった。 「なにしろ変異体の実体化部隊だ。手こずっているとも聞く。陛下も無茶なことをなさる」  アーロンは同輩の方へ向き直った。 「〈黒〉の新任団長は竜に関しては飛びぬけている。難しくてもうまくやるだろう」 「辺境ではどうだったんだ? 連中を指揮下において」 「本部に提出した報告の通りさ」 「 まさか〈黒〉の副官が〈異法〉を使えるなんて、恐れ入ったよ。同期だったという話じゃないか。知っていたのか」 「いや」  またこれか。何人に同じことを訊ねられただろう。  ブランドンに何を感じていようと、うっとうしい気分や、まして言及された男に対する感情を表に出すのは得策ではない。アーロンは軽く首をふり、物言いたげに待っている広報部の係員へ声をかけた。 「何か?」 「これを」  差し出されたのは封筒の束だった。開封済、確認済みの印がちらりとみえた。 「以前ジャーナルに載った記事のあとで広報部へ届いたものです。ファンレターですよ。中身も問題ありませんのでお渡ししておきます」  ブランドンの口から妙な音がもれたが、アーロンは無表情で受けとった。 「ありがとうございます」 「以前確認した通り、物品はみな寄附として処理しました」 「問題ありません」  係員が去っていくなか、次にブランドンから聞こえたのはわざとらしい口笛だ。 「ファンレターにプレゼントか。まさしくアイドルだな。あの美人の使者は知ってるのか?」  すこし先でカディームが手招きするのをいいことに、アーロンは同輩を無視した。セランについてこんなところで口に出されるいわれはない。上官はブランドンを待たなかった。わずかに声を低めていった。 「本部へ戻れ。陛下の使者がお見えだそうだ」  アーロンは眉をあげた。 「使者――私に?」 「ラングニョール殿ではないらしいがな。急げ」  皇帝陛下には何度も拝謁している。ついこの前も――だが陛下の使者が意味するのは勅書だ。  アーロンは眉をひそめたが、疑問を口に出すことはなかった。帝都にはいたるところに目と耳がある。

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