「おお、壮観だ。ここまでになりましたか」 　変異竜の列をみおろしながら使者のレシェフがいった。 「光栄の至りです」 　俺は宮殿むけの敬礼とともに答えたが、それを聞いているのかいないのか、レシェフは純白のフロックコートの袖をふる。一頭一頭を指さす仕草は上流らしいジェスチャーにあふれていて、つまりルーの屋敷で仕込まれた程度の教養しかない俺には何を意味しているのかわからない。とはいえ、ため息まじりの口調は賛嘆にちがいないし、眸は午前の太陽をうけた使者の制服も負けないくらい輝いている。 　促成哺育から軍事用の訓練段階へ移行して、あらたに作られた訓練場はすり鉢型だ。上流ふうにいうなら円形劇場形式と呼ぶのだろうか。いつもなら俺はすり鉢の底近くにいて、他の〈黒〉の連中とともに竜たちを相手にしているが、団長になるとそればかりではいられない。すり鉢の上方は観覧席になっていて、近頃は他の軍団の高官も視察にやってくるからだ。 　いまの〈黒〉には副官がいない。自分がイヒカの副官だったころには考えもしなかったが、いまの俺には副官がいないことがいささか悩みになっていた。皇帝は〈黒〉の再編と竜の訓練について、すくなくとも軍内部では秘匿させなかった。むしろ逆で、変異体の竜と〈黒〉のもつ役割を軍の高官に知らしめているようにみえる。 　もっともどんな珍奇なおもちゃを手に入れようと〈黒〉は他軍団の影にすぎない。反帝国と辺境を平定する作戦全体は〈黄金〉の立案によるものだ。ところが〈黄金〉の参謀連中はまだひとりもこの訓練場にあらわれていなかった。俺にとってはありがたいことに、アーロンも来ていない。 　城壁都市へ〈黒〉が移ったとき、アーロンはしばらくのあいだ連絡役として帝都とここを往復していたが、変異体の実体化と訓練が開始された時はその任を解かれている。今はきっと帝都の軍本部にいるのだろう。 　かわりにというのでもないが、ときどき〈黒〉を訪れるのがこの使者、レシェフだ。予告なく突然あらわれては俺に変異体の竜をみせろといい、満足すると去っていく。彼はきっと、セランやアーロンよりさらに上の階級の人間なのだろう。 　奇妙な話かもしれないが、俺がそう思うようになった理由は、この男がときおりみせる傍若無人なふるまいのせいだった。レシェフと話をするたびに、作法にのっとった物言いや使者の制服が示すものとは裏腹の印象――およそ階級など存在しないとでも思っているかのような、自分以外のすべてはとるに足らない存在だと思っているかのような、そんな印象がどんどん強くなってくるのだ。 　おかげで俺は何年もまえにルーに聞いた「宮廷人」という言葉を思い出した。ルーは冗談めかした口調で、彼らは皇帝の血統につらなる家系に生まれて、宮殿に生息する生きものだといっていた。上流と呼ばれる軍人や貴族よりさらに上の、皇帝に近い立場の人々だと。 　ま、皇帝の「使者」なんだからそんな人間もいるのだろう。レシェフはセランのような美貌の持ち主ではなく、むしろ平凡な顔立ちだった。使者の制服がなければ、あるいはこのふるまいがなければ、俺は帝都ですれちがってもわからないかもしれない。それに近頃は俺も慣れてしまった。彼が皇帝陛下の勅書を持ってきたのは最初に宮殿で対面したときだけで、あとは今日のように先触れもなく登場する。 　レシェフがみつめる竜たちは帝国軍の標準品種とはちがい、すべて特徴や能力が異なる上に、標準品種の優美さや均整はない。だがこの使者は新しいおもちゃを与えられた子供のように竜の訓練を眺めるのだった。 「あの棘の見事なこと」 　そういってレシェフがみているのは灰色竜のドルンだ。ひときわ大きいうえに、醜い棘に覆われた竜。最近やっと、俺以外の人間の命令を聞くようになった。それでもこいつに乗れるのは今のところ俺ひとり。ツェットがいない俺の竜になるのは決まりとしても、帝国は特定の人間の命令にしか従わない竜を許さないだろう。帝国軍の竜は遊び相手ではない。 　そういう意味では、ここで〈黒〉が訓練している竜たちはまだ「帝国軍の竜」とはいえない。しいていえば〈黒〉の竜だ。それでもレシェフのおかげで俺はいま、皇帝陛下の覚えめでたい。 「さて、エシュ。あの竜たちはいつ間近で見られるようになるのでしょう。陛下は観兵式を望んでおられます」 「観兵式？」驚愕した俺は反射的に問い返し、あわてて発言をとりつくろった。 「御前披露は訓練が完全に終わるまではご容赦いただけませんか」 「良いでしょう。ですが、陛下はもうひとつの勅命がどうなっているかも気にしておられます」 「もうひとつ……」 　俺は使者の質問を繰り返した。今日の訪問の目的はこれか。 「〈異法〉の件でしょうか」 「その通り。それに〈異法〉の行使に必要な竜石も」 　レシェフは俺に向き直ると純白の袖を俺の左手に伸ばした。 「この中に入っているのでしょう。あれをもっと手に入れるのです」 　使者の手が指輪に触れたのは一瞬のことだ。それでも俺は反射的にこぶしを握り、あとずさろうとした。レシェフは気を害した様子もなかった。ただ俺の返事を待っている。 「竜石を手に入れるのは簡単ではありません」 　迷ったあげく、俺の口から出たのはほとんど中身のない返事だ。レシェフもそう思ったらしい。 「もちろんそうでしょう。簡単なら帝国はとうに成し遂げている。辺境はあなたの故郷ですね、エシュ？」 　白い手がまた俺の方へ伸びる。命じることに慣れた目にうながされ、俺はしぶしぶ指輪をはめた手をさし出した。レシェフはゆっくり俺の手のひらをなぞり〈法〉道具である指輪にたどりつく。白いやわらかな指先が撫でるように金属の輪を一周する。とたんに背筋に寒気のような、ふるえるような感触が走った。レシェフの唇がゆるみ、笑みがうかぶ。どういうわけか俺は罠にかけられたような気分でいる。レシェフがいった。 「エシュ。陛下の命令です。竜石について教えなさい。それはどこからきて、どこへ行くのです？」