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【第2部 飲みこまれた石】6.エシュ―釜に残るものをわけよ

「竜石について教えなさい。それはどこからきて、どこへ行くのです?」  使者の声にこたえるように、すり鉢のような訓練場の底で竜が鳴いた。  老竜トゥーレの大きな顎が俺の記憶の中でくわっとひらく。すり減った歯のあいだから長い舌が突きだされ、翼がバサリと音を立てて折りたたまれる。瘤のある喉と腹の皮が揺れ、痙攣するような竜の動きをおそれて幼い俺は後ずさる。トゥーレから敵意は感じられない。俺はおそるおそるまた前に出る。何かを押しつぶしたような音が響き、次の瞬間俺は竜の臭い体液を頭からかぶっている。いびつな丸い石が土のうえに転がり、太陽に照らされてきらめいた。  俺は体液でどろどろになった頭をあげる。トゥーレの眸の中で渦がまわり、静かになる。  あのときトゥーレに与えられた石は鎖に下げられ、いま使者の指先で揺れている。研磨したわけでもないのに鈍い光を放っているが、昼の太陽のもとではほとんど見えない。レシェフは鎖を握っただけで石には触れず、問いかけるように俺をみた。 「この竜石は子供のころ……目の前で竜が吐き戻したものです」  そう答えたとたん、レシェフの眸が竜さながらにきらめいた。 「ほんとうにそうやって手に入れたのですか。おもしろい。腹を裂かずに、竜がおのずから吐くとは」 「俺の場合はそうでした。子供はひとりで竜石を手に入れるのが習わしでした。どこかで拾ってきた者もいれば、俺のように竜から直接手に入れた者もいる。竜種によっては吐き戻した石を巣穴に貯めることもあります。生きた竜の巣から竜石を盗めば祟られると伝えられていましたが、鉱山で放棄された巣をみつかれば、集落の全員で竜石を探すのは普通のことでした」  レシェフは指先で鎖をぶらぶらさせたまま眉を寄せた。 「エシュ、それなら帝国軍は辺境で竜石をたやすく手に入れられるのではありませんか? 平定した地区から竜石を回収できないのはなぜ?」 「再地図化のためです」  俺は冷静に説明しようとこころみたが、皇帝の使者に竜石の話をするのは気が進まなかった。こんな風にレシェフに注視されるのも愉快とはいいがたい。どういうわけか、珍獣として買い手の前に出されたような気分になるのである。  山地で俺を拾ったルーはすくなくともそんな目では見なかった。あれは十四年前で、その後俺はルーに山地のことをあれこれ話したから、軍人を辞める前のルーはこの知識をさまざまな場面で生かしたことだろう。それでも竜石と〈異法〉のことはほとんど話さなかった。あれは俺にとって、自分も知らない場所に隠された第二の心臓のようなもので、無意識のうちに誰にも告げないようにしていたのだ。  文字通りいま、そのことがわかった。しかしレシェフは俺の内心など知らないし、黙って答えを待っている。  ――竜石はどこから来るのか?  竜が喰った石から。そう、竜は石を喰う。空腹のせいではない。  もちろん、野生の竜はいつだって腹を減らしている。きまった時間に餌をもらえたり、手入れの行き届いた放牧地にいないのだからあたりまえだ。大きな獲物を狩った肉食の竜、火炎を吐くやつらは、手に入れた獲物が尽きるまでしばらくは動かない。いっぽうで飛べない草食の竜は、食べ物をさがしてつねに岩山をうろつきまわる。  飛竜でも雑食の連中は、集めた食べ物を貯めこむ。山地ではこの手の竜は、地中に穴を掘ったり、岩のあいだを掘りぬいて、いくつも部屋がある巣をつくる。部屋のひとつは寝室、ひとつは排泄場所、残りの部屋は貯蔵庫で、これはひとつとは限らない。食料の豊富な季節、雑食の飛竜はあちこち飛び回って食べ物をさがし、せっせと巣に持ち帰る。  そしてどの竜も、肉や草やナッツの他に、さまざまな大きさの石を食べる――いや、丸呑みにする。  竜が石を飲みこむのは消化のためだ。竜の消化器官は種によって異なるが、一度飲みこまれた石は排泄されずに腹の中にある。竜の体液によって腹の石は次第に変化する。帝都では宝石として珍重されるものだ。以前イヒカが出した酒瓶には竜石が浸してあった。あれは俺には理解できない上流の趣味だった。  辺境の竜乗りにとって、野生竜の腹にあった石が意味をもつのは、竜が使う〈法〉の力が石に貯まっているからだ。野生竜は〈法〉を使って空間の裂け目――|間隙《かんげき》に飛びこみ、人間から逃れる。竜の力を貯めた石こそが、帝国が〈異法〉と呼ぶものの要になる。しかし……。 「使者殿。野生竜が作った辺境の竜石は、帝国軍が地区を制圧し再地図化したとき、中に貯められた力が相殺されてしまうのです。ただの石になってしまい、輝きもなくなる」 「それなら帝国の竜に石を作らせればいいのでは? 竜の腹を裂いて石を取り出すのは禁忌であっても、あなたのように竜から人へ渡せばいい」」 「帝国が育てる規格化された竜には石に貯まるような力はありません。あの力は……人間の地図化を逃れて間隙に入る野生竜にしか備わらない」  レシェフに答えながら俺はふと、イヒカの酒瓶のことを考えていた。二十年ものの竜石入り。イヒカは俺にあの酒をふるまいながらそういったが、俺は瓶の底の石を確認したわけではない。あの中にはほんとうに竜石があったのか。その竜石はただの宝石だったのか、それとも……。  俺の思いをよそにレシェフは顔をしかめている。 「奪取された〈地図〉で汚染された地区には再地図化が必要だが……だとすればわれらはこれまで、地図化で無数の竜の宝を消滅させていたということか」  ひとりごとのようにきこえたので、俺は黙ったまま続く言葉を待った。 「エシュ、|黒鉄《くろがね》竜も腹に石をもっていた? あれらの巣にも竜石があっただろうか?」 「それは……わかりません。|黒鉄《くろがね》竜については不明なことが多すぎます」  レシェフは顎に手をあて、宙に視線をさまよわせて沈黙した。考えこんでいるらしい。この男はいったい何者なんだろう。使者は行政官から選ばれるのが一般的だときいているが、どうも官僚らしくない。  俺は違和感を感じてまばたきした。考えにふけっているレシェフの顔が二重にぶれてみえたのだ。  一瞬のことにすぎなかった。俺に向き直ったレシェフにはおかしなところは何もない。竜石を返してよこしたので俺は内心ほっとした。実は俺の指輪にはトゥーレの石のほか、もうひとつ別の石がおさめられている。誰にも教えるつもりはなかった。父から受け継いだ竜石で、俺は一度も使ったことがない。 「再地図化にいたるまでの方法を改めるべきかもしれません」レシェフは腕を組みなおした。「最初の質問に戻りましょう。それではエシュ、どうやって竜石を手に入れる?」 「難しいと申し上げましたが」 「陛下は答えを求めておられる」  俺はため息をつきそうになるのをこらえた。 「高層圏を飛ぶ巨竜は長い年月を生き、体内に多くの竜石を貯めます。巨竜のいるところには吐き戻した竜石でいっぱいの巣がある。これが辺境に伝わる竜の財宝の噂です。間隙から間隙を渡る巨竜は体躯にふさわしい石を持ち、その巣は竜石で輝くといわれています」  レシェフの眉がくいっとあがる。 「ますますおもしろい。探索すべきは高層圏の竜の巣か。これで|世界図《アニマ・ムンディ》が完成するなら……」  キィイイイイ! 突然響き渡った竜の鳴き声に使者の声はかき消された。灰色の影がはためき、俺はドルンが乗り手もいないまま宙を舞うのをみる。まったく、こいつときたら! 「申し訳ない、失礼します」  俺はあわてて断り、竜笛をくわえた。使者はゆったりした仕草で手を振った。 「私はもう行きます」

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