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【第2部 飲みこまれた石】8.エシュ―どこへ逃げようと、どこでもおまえは助からない
「また閣下だ。最近はあれにもこれにも載ってるな」
〈黒〉の隊員しかいない食堂で、シュウがジャーナルを投げ出すように置いた。俺は昼食のトレイごしにのぞきこむ。『月刊騎竜』の表紙にアーロンの顔があった。
近頃シュウは内輪の会話ではアーロンのことを「閣下」という。〈黒〉が誇る優秀な解析官は〈黄金〉の期待の星がいけ好かないらしく、閣下呼ばわりの内実は冗談二割、嫌味八割というところらしい。
「めずらしいな。月刊騎竜なんて」
閣下から話をそらしたくてそういったら、シュウは俺をじろりとみて「それもこれも閣下のせい――いや、団長のせいさ」と答えた。やぶへびだった。
「例の野生竜の資料をまとめるために、この手の雑誌にどのくらい情報があるか念のため調べたんだ」
「あったか?」
「ないわけじゃなかったね」シュウは含みのあるいいかたをした。「竜に詳しい団長殿の情報とは矛盾する与太話もいろいろね」
「悪いな、手間をかけて」
「忙しそうな団長に同情してやるっていってしまったのが運のつきだ」
薬味の壺をぱかっとあけるとシュウは昼食の麺がみえなくなるくらいふりかけている。薬味はピリッとした辛さが舌に残る青葱の一種で、多すぎないかと思ったが俺は口出ししなかった。またやぶへびになると困る。
「エシュ、早く副官を決めなって。手が回らないんだろう」
「人手不足なんだ。解析官が副官を兼任するのはどうだ」
「やだよ」
シュウは即座にこたえて麺を啜り、とたんに目を白黒させた。
「か、辛い。かけすぎた」
「やっぱりそうだったか?」
「気づいていたなら止めてくれたって……」
「刺激が欲しいのかと思ってな」
俺はシュウが置きっぱなしにしたジャーナルをとった。表紙につづいて巻頭にまたでかでかとアーロンが載っている。うしろにいるのは彼の竜、エスクーで、鋭い目がこっちを見据えるように写っている。
いいアングルだった。今のところシュウの「閣下」が冗談だとしても、いずれ本当にそう呼ばれるようになるだろうな、と俺は思った。なにせ〈黄金〉の花道、出世コースにいるのだ。
しかしそういったことを抜きにしても、最近アーロンの顔をあちこちでみかけるのは、帝国放送の打倒反帝国キャンペーンのせいにちがいない。さきの作戦以来アーロンをよく思っていないシュウは、映像で流れたそれをみるなり、呆れたように顔をしかめたものだった。
辛い辛いと唸りながらもシュウは皿の上のものを全部たいらげると、一息で水を飲み干した。
「そうだエシュ、竜の名前のことだけど」
「変異体のか」
「そ。識別名のほかに名前つけるって、あれ、何の意味があるんだ? 変異体だから? それとも」
俺は周囲にざっと視線を流した。食堂にいるのは全員俺の指揮下にある連中ばかりだ。
「固有名の方が竜と意思を通じやすくなるからな」
「僕は竜 に乗っても面倒を感じたことはないけどね。軍の識別名だけど」
「ファウはファウのままでいい。変異体の連中は人間が親みたいなもので、他の竜とちがうんだ。それに今後のことがある」
「それは例のやつ?」
シュウの口だけが動いて言葉を形づくる。〈異法〉――俺はただうなずいた。
厩舎をしばらく歩いても誰も見当たらなかった。厩舎員は〈黒〉の変異体にあまり近寄らなかった。竜だけでなく、俺もこの城壁都市の厩舎では人気がない――いや、こういってはなんだが、各地の厩舎ではうまのあう人間がひとりくらいはいたのだ。〈黒〉は当分城壁都市を動きそうにないのに、アルヴァのような相手がみつからない。欲求不満がたまっているが、俺の顔は〈黒〉の団長として売れすぎてしまい、いまやあとくされのない相手をみつけるのが難しかった。
〈法〉で姿を変えて遊び相手をさがすのは軍大学を出てからはやめていた。バレると逆に面倒が増えかねない。
ドルンは背中を丸めて眠っていた。翼のある竜もここまで大型になると止まり木で休んだりはしない。起きているときは鋭く立っている棘も寝て、鉤爪も隠れているから、今だけは可愛らしくみえる。
他の竜たちが俺をみつけてそわそわしはじめた。こんなでかい図体をしているくせに、彼らにとって俺は「親」なのだ。〈黒〉の隊員がそれぞれの竜を馴らして乗り手となり、名づけたあとも、彼らは俺に関心を寄せていて、俺は肌にひりひりと竜たちの注目を感じる。
あまり良いことではないかもしれなかった。あいつらは帝国のものだから。
「ドルン」
他の竜がざわめくのを無視して俺はドルンの区画に入る。あいつらはあいつらで自分の乗り手と関係を築かなければならない。変異体は間隙をすり抜ける野生竜ではないが、ほかの帝国軍の竜にはない何かがある。それがなんなのか、俺にはまだわからなかった。試してみたいことがあった。
俺は指輪を展開させ、ストレージをひらいて父に譲られた竜石を取り出した。父の石はトゥーレの石よりずっと大きく、赤ん坊のこぶしほどで、縦長の卵型だ。唐突にドルンの頭が揺れ、鋭い棘が立ち上がった。周囲の竜たちのざわめきがさらに大きくなる。
俺は竜石を握りしめたままドルンに相対する。竜のまぶたがあがり、縦長の虹彩が渦を巻きながら俺をみつめ、俺は竜の眸をのぞきこむ。渦巻く冷たい深淵がみえるが、竜石からほのかなぬくもりが伝わって、俺はぬくもりをロープのように手首に巻きつけ、淵の底まで潜っていく。深く、深く、薄闇をくぐり抜けて……深淵の底には溝のようなものが切られている。俺の手の中で石がもっと熱くなり、俺は溝の奥をめざし……
『こちらシュウ』
突然通信チャネルがひらき、俺は我にかえった。
『エシュ、どこにいるんだ? きこえてないのか? さっきから帝都のチャネルが呼んでるぜ』
閉じたままのドルンの口が俺の胸と腹に触れている。宝石のような眸が俺の顔を映している。他の竜たちが騒ぐ声がうるさい。そう思ったとたんにドルンの頭がうごき、俺は前に押し出されて床に尻をついた。手のひらで竜石の丸みを押さえつける。頭の中にトゥルルルルルっと笛のような音が短く響く。竜笛に似ているが音程も音色もちがう。
騒いでいた竜が静かになった。見上げた先で、ドルンの眸が俺をみている。
『エシュ?』シュウがまた呼んだ。
「ああ、戻る」
俺は指輪に竜石を戻し、立ち上がった。区画を離れるまえにふりかえるとドルンはまだ俺の方をみている。
〈黒〉の団長執務室――今は俺の部屋――へ戻りながら俺は口笛を吹いていた。ドアのまえにはティッキーがいて、俺をみるなり怪訝な顔で「ご機嫌じゃないか。どうした?」という。
「ドルンを外で飛ばす」
「何だって?」
「もう大丈夫だ。たぶん群れの指揮もとれる」
「群れ?」
「変異体の底 は野生竜と大差ないんだ。みてろ」
俺は自分で思っていたよりずっと興奮していたらしい。わけがわからないというティッキーの表情が俺の気分を冷静にさせた。
「――それはそうと、シュウが探してたぞ」
「軍本部のチャネルをうっかり切ってたんだ。御前会議招集に関する詳細が――あっ」
「どうした?」
「ティッキー、副官代理を頼む」
突然話が変わったせいか、ティッキーは目をむいて今度は呆れ顔になった。
「俺もその話で来たんだ。いいかげん誰か――」
「戻ってから話そう。俺は明日帝都へ行く」
ドルンの翼が大きく弧を描く。他に似たもののいない灰色竜は、あたりをひらひらしている他の騎乗竜を一気に追い抜き、城壁都市を下にみて軽々と上昇気流に乗る。
俺の心はドルンにシンクロしている。もうドルンは俺のもの――俺はドルンのものだ。父から受け継いだ竜石で俺はドルンのテイをみた。テイは竜の心が宿る場所。辺境の竜の乗り手はそう呼ぶ。竜を理解するためにテイを通る、といったふうに。
竜石でドルンのテイをみた俺は、いまやこの竜につなぎとめられているような気分になっている。俺たちは進行方向の低い斜面にいま生まれつつある熱気泡をみつける。一度急降下して、熱気泡を足掛かりにもう一度上空へ。ドルンの翼は途方もなく強く速い。たちまち軍本部の飛翔台がみえる。
「〈黒〉のエシュだ。どこへ降りればいい」
俺は飛翔台の管制官あてに通信チャネルをひらく。向こうにはドルンの巨躯がみえていた。
『中央の三番へ降りろ。でかい竜だな。まさか……』
「噂の変異体さ」
巨大な棘のある竜を見物しようと集まる人々がみえた。俺の口は自然にほころんでいる。
城壁都市の無機質な建物に慣れていたせいか、軍本部の廊下は古めかしく、また装飾過多に感じられた。帝国軍史博物館に通じる廊下を横切るとき、帝国放送の打倒反帝国コマーシャルが聞こえてきた。俺は反射的にそっちをみて、壁に貼られたポスターからあわてて目をそらした。
まったく、軍人のくせに俳優みたいな仕事をしやがって。おかげであそこにもここにもアーロンがいる。
会議場の中には本物のアーロンはいなかった。
俺の席は軍団長の列の末席だが、どんな顔をしてここに座っていればいいのか、勝手がいまいちわからない。作戦会議のたぐいなら慣れているが、皇帝陛下の御前で行われる帝国軍事会議に出席するなどこれが初めてだし、帝都から送られた大袈裟な招集通知も未体験だった。こんな会議に出席したなんて話、イヒカにも聞いたことがない。
皇帝陛下は会議を見下ろす位置にしつらえられた薄幕の中におわすらしい。ということは、実物は拝めないのか。開始時間にはすこし早く、席はまばらにしか埋まっていなかった。名札のある席に腰をおろすと周囲から視線が注がれる。案じていたように〈黒〉はこれまで招集されたことがないのでは、と俺は考える。そもそも〈黒〉は六軍団の影なのだ――いや、再編中のいまはもう、影だったと過去形でいうべきなのか。
俺はひとまず用意された議題と資料をひらき、並んだ長ったらしい題名に目を通した。最後の項目で顔をしかめた。
『高所地帯に生息する竜の探索及び竜石の採取計画(付録:計画実施予備資料)』
付録の一部は俺がシュウに提出させた報告書だ。眉をひそめてめくっていると斜め前に人が座り、両隣にも誰かが座った。俺は書類を閉じて姿勢を正した。〈黄金〉の参謀連中が会議場に入ってくる。俺はまた顔をしかめる。
軍のキャンペーン映像から抜け出したような顔をして、アーロンがそこにいる。
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