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【第2部 飲みこまれた石】9.アーロン―水のなかにそのままいる
広い会議場の中空に竜と竜石の像 が映っては消える。アーロンは投影図を操作しながら皇帝と軍の高官に計画を披露する。周到に準備したかいあって内容はすっかり頭に入っているし、声はよどみなく響きわたる。
「……以上が皇帝陛下の勅令をもって作られた本計画の概要です。試算その他の資料でお分かりかと思いますが、大規模な出兵を伴うものではありません。さらに、本計画は辺境の反乱者を直接叩くものとはなりません。しかし本計画の実施により、現在反乱者の攻撃手段として使われている野生竜を帝国軍が逆に利用できる可能性がひらけ、最終的に反乱者殲滅をなしとげる、その足掛かりになると確信します」
アーロンは発言を締めくくり、会議場を見回した。薄幕で囲まれた皇帝の御座は沈黙したままだ。御前会議の慣習によればこれは肯定という意味である。逆に異論がある場合、皇帝陛下は真っ先に発言する。十分な長さの沈黙によって皇帝の是認が出席者全員に浸透したあと、やっとアーロンの上官、カディームが口をひらいた。
「アーロン、この度の計画立案、ご苦労だった。それでは陛下、具体的な実施時期と部隊編成について……」
上官があとを引き取るなかアーロンは表情を変えずに一礼し、着席した。陛下の命令を――少なくとも最初の部分は――達成できたとわかって満足していた。ちらりと議場を見回すが、軍団長の反応には差があった。都市部と無関係と知った〈碧〉は他人事の顔をしているし、〈紅〉はとくに関心を示していない。しょせん無数の作戦のひとつにすぎず、皇帝の勅令でなければ御前会議で検討するような案件ではない、とでも思っているにちがいなかった。
一方〈萌黄〉の軍団長は神経質に眉をぴくぴくさせている。〈黒〉が再編中で出動停止している現在、〈萌黄〉の一部には従来はなかった偵察や即応の出動が増えている。資料を見れば、この計画に〈黒〉の参加が必須なのはあきらかで、だから――
アーロンは〈萌黄〉の奥にいる男にそっと視線をやる。エシュは能面のような無表情を貼りつけたまま刺すような視線で投影図をみていた。無数の作戦のひとつにすぎなくとも、〈紅〉とちがって〈黒〉はこの計画のかなめだ。皇帝はさらに先を考えている。竜石を獲得できれば、次はエシュの〈異法〉が必要となる。
「すごい竜をみた、飛翔台で」
「どこの軍団だよ」
「御前会議に来てるあれだ――黒。皇帝陛下直属の……」
会議場から出たとたん、士官たちの興奮したささやきが耳に入った。部下のひとりが話の輪に加わっているのにアーロンはすぐ気づいたが、黙ってまっすぐ手洗いへ行った。
話題になっているのはエシュの竜にちがいない。アーロンも会議がはじまる前に部下から送られた映像を確認していた。こんな形で再編途中の〈黒〉の竜が現れるとは、軍本部の誰も予想していなかった。
皇帝陛下の勅令によって開始された変異体部隊の訓練は機密扱いにはなっていない。エシュの竜はすでに特殊軍用竜として登録されていた。
唐突に実物が空を羽ばたいてやってきたからといって誰にも文句はいえないが、ジャーナルの連中は予告がほしかっただろうし、会議が終わったとたんにエシュは〈萌黄〉と〈紅〉の軍団長に捕まっている。
アーロンが議場を出る時は一癖ある〈萌黄〉の声だけが響いていた。〈黄金〉の士官が興奮するくらいなのだから〈黒〉の再編でわりをくっている〈萌黄〉があれこれいいたがるのは無理もなかった。
廊下には広報部と共にジャーナルの連中がたむろしていたが、ありがたいことに今日のアーロンは用無しだ。軍人の取材が許可制なのはありがたかった。その代わりアーロンは顔見知りの記者を目顔で捕まえ、手洗いの方向へ腕を引く。
「誰待ちだ?」
撮影機を首から下げた男は窓の外へ手を振った。
「あの竜に乗ってきた人――と、竜ですね。ま、どっちかといえば竜だけでもいい」
「許可が出たのか」
「ええ」
エシュの巨大な灰色竜は、もとは反帝国が作り出した変異体――既存竜種と野生竜のハイブリッドである。アーロンとエシュのふたりで地中に埋められていたこの竜を発見し、エシュが再地図化し、そこからもう一度実体化された生き物だ。巨大さといい、棘に覆われた異様な風体といい、ジャーナルの連中には格好の被写体にちがいない。
もっとも連中がいくら取材をしたところで、どの程度公にされるかは皇帝陛下の意向次第だ。今日、エシュがあの竜で現れたのは皇帝陛下の命だろうか。
自分でも理由がわからなかったが、この想像はアーロンを不快にした。
「アーロン、ご苦労」
手洗いから戻ると上官のカディームがぽんと肩を叩いた。会議場はほぼ空で、エシュの姿もない。
「例の計画について、陛下からは何ひとつ異論が出なかった。あのうるさい方がな。戦果としては十分すぎるほどだ。〈黒〉のエシュがあの竜に乗ってきたからには、御前演習の日程もじきに決まる」
「演習?」アーロンは眉をあげたが、すぐに理解した。
「〈黒〉再編部隊の御前披露ですか」
「ああ。城壁の内側の総合演習地で実施することになる。もちろん〈黒〉だけに出番があるわけではない。貴族も全員観覧席にいる、大がかりなものになるだろうな。反帝国への威嚇にもなる。〈灰〉と〈碧〉はこの機会に帝都のアジビラを一掃するだろう」
アーロンは黙ってうなずき、上官に歩調をあわせた。
「アーロン、例の竜をみたか?」
「映像は撮らせました」
「実物はまだか。だったら行こう。〈黒〉の団長は城壁都市へとんぼ返りするらしい」
カディームはもう歩きだしている。アーロンはためらいながらあとを追ったが、いつのまにか上官を追い越しそうになっていた。飛翔台をみはらす展望室はいつになく人影が多く、窓際には士官たちがずらりとはりついている。カディームとアーロンが窓際に近づくと下士官が数人しりぞき、おかげで中央の飛翔台へ向かう灰色竜がよくみえた。
「あんなにでかいやつ、どうやって上げるんだ」
「噴射させるんだろ」
「にしたって、反動が……」
「あの頭みたか?」
「訓練中に何人も怪我させたって話だぜ」
「黒のあいつ、小さいな」
「竜がでかいからだろ」
予定外の見世物を前に楽しそうな士官たちの横で、アーロンは黙って飛翔台を見下ろす。エシュの腕があがったと思うと灰色竜は飛翔台の手前でとまり、地に尾をつけた。エシュは夕陽を受けて朱に染まった装具に触れる。
おおっ…というどよめきがアーロンの背後であがった。まばたきするほどのあいだにエシュは竜の尾の上にいて――そして次の数秒で、装具伝いに竜の背を駆け上がった。
通常の手順なら竜を飛翔台にあげてからタラップを使うものだ。背中の鞍にエシュが手をかけるのと竜が動き出すのはほぼ同時だったが、身軽な男は振り落とされることもなく鞍のなかにおさまっている。
地上に向けて手を振ったのは、周囲の人間を下がらせようとしたのか、人影が散ったとたん竜は飛翔台にむけて勢いよく走りだし、翼を広げた。
「そのまま飛ぶのか?」
呆れた声でつぶやいたのは上官のカディームだ。光のせいか、灰というより銀色がかって見える翼が垂直から水平へ数回羽ばたき、次の一瞬で竜は飛翔台を離れていた。すさまじい速度で宙にあがると信じられない速度で上空へ飛び出す。見物人はみなあっけにとられて竜が飛び去るのを見守った。翼の影はたちまち遠く、小さくなった。
「なんだありゃ」
「変異体ってみんなああなのか?」
「あんな竜乗りたくないね」
「っていうかあの乗り方だよ。さすがにあれは特別だろ」
「なあ、例の異法ってあの黒の」
アーロンは声の方向をふりむいた。士官のひとりがハッとした表情で口をつぐんだ。
「あれが〈黒〉の竜というわけだ。陛下の命令でも俺なら躊躇するが、な……」
隣ではカディームが腕を組み、首をひねっている。
「しかし御前演習では我々も負けていられない」
「その通りです」
アーロンは窓に背を向けたが、まぶたのうらにはかの竜が飛び立つ一瞬の光景が焼きついていた。醜い灰色の棘に覆われているのに、あの竜はエシュを背に乗せた瞬間、全身銀色に輝いたようにみえたのだった。
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