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【第2部 飲みこまれた石】10.エシュ―岸の近くには行ったことがない

 晴れた空に七色の小旗が翼のようにはためいた。楽隊の旋律にあわせてくるりと回り、方向を変え、星型に集まってふたたび散乱する。演習場の観覧席から拍手が起きる。すると小旗は漏斗状に渦巻きながら上空へ集まって柱状になり、お辞儀をするかのように観覧席に向かって深く折れた。  どっと笑い声があがった。小旗でつくられた柱には七色のねじれ模様が浮かんでいる。黄金、紅、萌黄、紫紺、碧、灰、黒――演出を担当したチームの能書きによると、これは帝国軍が「七軍団」となったことを祝っているとのこと。ちなみに小旗はすべて〈法〉による幻影(イリュージョン)で、実物ではない。このささやかな見世物(スペクタクル)は俺たちが待機している演習場の隅からも拝めるわけで、観覧席から見える光景はさぞかし立派なことだろう。 「大騒ぎですね」七色の柱を眺めながらフィルがあっさりと総括した。 「帝都の連中はお祭り騒ぎが好きだからな」ティッキーがいった。「この演習場も祭りのために用意されているのさ」 「前にここで演習をやったのって、いつですか?」  フィルの質問にティッキーは鼻を鳴らす。 「総合演習場を使うのは御前演習の時だけだ。つまりこれまで〈黒〉(おれたち)の出番はなかった。七色のお飾りもなかったしな。俺たちの『演習』は辺境の実戦さ。この先は知らんが――なあ、エシュ」 「ん? なんだって?」  俺は二人の会話を聞いていなかったふうを装う。今はこれからはじまる演習だけに集中し、この先のことなど考えたくないというのが本音だ。変異体を訓練していたあいだ〈黒〉はどの地区にも出動していない。だが現在辺境に派遣されている〈萌黄〉からは再三の出動要請があり、この演習が終われば今度こそ変異体(ルーキー)を連れて実戦へ出なければならない。  先日の御前会議に提出された計画のこともある。正式な作戦名が長すぎるためあっさり「竜石作戦」と呼ばれているが、この実施も間近に迫っていた。〈萌黄〉が手こずっているという地区を片づけ次第〈黒〉はこっちへ投入されることになる。 「エシュ。先の心配で頭がいっぱいか?」  ティッキーが肩をどやしつけたので、俺は反射的にいいかえした。 「悪いか。なんといってもあいつらのデビューだからな」 「演習なんざどうせ遊びだ。終わればひとまず一杯やれるさ」 「ところがあいにく俺はそうじゃない。宮殿に行かなきゃならない」 「何かあるんですか?」  無邪気な口調でフィルがたずねる。俺は眉間にしわをよせた。 「晩餐会だ」 「ばんさんかい?」 「皇帝陛下のパーティだよ。宮殿から使者が招待状を持ってきた」  ティッキーがケタケタ笑った。シュウがいなくてよかったと俺は思った。ふたりそろって爆笑したにちがいない。シュウは今日、城壁都市で留守番である。解析官の|竜《ファウ》は変異体ではなく、だからお披露目を免除された。 「団長ともなると難儀だな」 「笑うな。採寸までされたんだぞ。正装をあつらえるとかで」  冗談抜きで皇帝の使者が帝都から仕立て屋を連れてきたのだ。支給品の軍服は宮殿にはふさわしくないという。正装といっても肩章と飾緒、剣帯を装備するだけで、デザインは同じはずなのに。 「そりゃ至れり尽くせりだ。演習の方がマシって顔だけどな、エシュ?」 「いちいち聞くなよ――」  イヒカじゃあるまいし、と続けそうになって、俺はあわてて言葉を飲みこむ。ティッキーはまだ笑っていた。  総合演習場は帝都と城壁都市の中間地点にひろがっている。ほんの数日前まで基礎だけになっていた飛翔台や〈紅〉が使う砲台もすでに準備万端だ。  ティッキーがいったとおり、この演習場は御前演習の時しか使われず、劇場のような観覧席も毎回臨時に設営されるという。たった一日で壊すにはもったいなく思える作りだった。もっともよい場所に皇帝陛下の御座が設けられているのはもちろん、帝都の貴族や軍関係者の席があり、さらに今日のお祭りのためにチケットを買った帝国臣民の席がある。  ようやく開始時刻がきた。〈紅〉と〈碧〉によるパレードのあと〈萌黄〉〈黄金〉の飛翔部隊が上空にあがる。俺はドルンの背の上で鞍におさまっている。保定ベルトで腰から下を固定し、飛翔の合図を確認して離陸、上昇。空は快晴、風はまあまあ。ドルンのあとにつづくのは再編により〈黒〉に加わった変異体竜、総勢四十七頭。  他の軍団の竜がすらりとそろいの頭を掲げているのに対し、こちらは大きさも体形も個別の能力にもばらつきがある、似たところのない竜どもである。  通常の帝国軍とちがうところは他にもある。竜の背中にいる〈黒〉の人間は八つの小隊に編成されているが、この竜は全体で群れをなす。一頭一頭の竜は乗り手の命令に従うが、群れ全体で統率することもできる。  一頭一頭が異なる変異体なのにどうして統率された群れになれるのか。理由はふたつだ。彼らの実体化のプロセスに俺がいたこと。ドルンと俺が(テイ)でつながったこと。そして俺とつながったドルンは群れを率いるアドバンテージを得たこと。 〈萌黄〉と〈黄金〉の竜のあとを俺たちも飛ぶ。竜のホバリング――噴射と滑空、羽ばたきをくり返しながら中空に留まる技術は簡単ではないが、ドルンと四十七頭の竜は背中にいる〈黒〉の制御のもと、見事にやってのける。観覧席のすぐ近くまで行き、急上昇のあと列をそろえて旋回し、観客の拍手と歓声をきく。その後いったん脇へ退き、続いてはじまるのは模擬戦闘だ。  二つの陣に分かれ、ダミーの目標を追ってポイントを競う模擬戦は士官学校でも軍大学でも頻繁に行われた訓練のひとつだ。地上戦は〈紅〉と〈碧〉が対戦したが、空中戦は〈萌黄〉と〈黄金〉の精鋭、それに俺たち〈黒〉の三すくみ対決だ。御前演習なので万が一の事故を避けるため竜の火炎は禁止され、敵を落とすためにはダミー火炎弾が使われた。 「各小隊、行くぞ。〈黒〉(おれたち)以外は全部落とせ。味方を落とすなよ」 『おう!』  単騎(スタンドアロン)と少人数出動が常態の〈黒〉にしては威勢のいい返事が戻ってきた。ダミー弾は竜の顎にセットした弾倉から喉の筋によって押し出されるカラー弾で、当たれば遠目にもはっきり見えるマーク――赤色を中心に各軍団の色が囲む――がつく。ひとめで勝敗や戦況がわかる仕組みである。この竜弾の実弾は火炎が吐けない竜種が実戦に使っているものだ。乗り手は装具を通して竜に指令を出す。竜の能力と人の能力、双方が試される。  ドルンが統率するようになってから、変異体はダミー弾を使った空中戦訓練が楽しいゲームだと理解した。それぞれの乗り手と息を合わせ、群れとして自陣のフォーメーションを作り、相手を出し抜くのだ。観客がいようがいまいが関係がない。  俺とドルンは真っ先に空中へ飛び出し〈萌黄〉の前に出る。灰色竜がこれほど速く飛べるとわかっていない連中がパニックを起こしているところにダミー弾を発射。顔を真っ赤に染めて一頭が離脱、背中の乗り手を赤く塗ってもう一頭が離脱、上方から回りこんだ影へドルンが首をのばし、続いて一頭離脱。前方に注意をもどすとさっそく一小隊が俺をマークしているが、ほんの数秒のうちに下方から回りこんだ〈黒〉の竜が二頭を赤く染めている。全部異なる特徴をもつ変異体は他の軍団の竜からみわけやすい。つまり誤射が少なくていい。  ダミー弾は炸裂すると酸っぱいような匂いを発した。模擬戦とはいえ、久しぶりの本格的な空中戦に俺の気分は高揚する。いや、高揚しているのはドルンの方か? 自然にこみあげる笑いを抑えられないまま俺は空を舞う。気づくと〈萌黄〉の竜は一頭もいなかった。 『団長、上!』  俺は空を振り仰ぐ。まっすぐこっちへ向かってくるのは〈黄金〉の竜だ。遠目でもすぐにわかった。あれはエスクーだ。  アーロン。  ドルンは俺のわずかな動揺など意に介さなかった――こいつはツェットとはちがう。あそこにいるのはただの敵、ただの目標だ。ドルンと俺は優位なポジションを取り返すべく、羽ばたいて上にあがる。上にあがればあがるほど風が強くなり、俺はドルンの棘の動きで風を読む。この竜の異様な風体にはじつは意味がある。  たちまち俺たちはエスクーと同じ高度を維持し、逆に追う。速度と高度のために他の竜はついてこられないから、まるで一騎打ちだ。場外失格にならないため、演習場の端で俺は方向を変える。ドルンはエスクーをダミー弾の射程に入れようしているが〈黄金〉の竜はすばやく身をひねり、小刻みに方向を変え、狙いをそれる。ちっ。  エスクーは俺の上にきて、また下に来る。旋回した瞬間に乗り手の顔がこちらを向く。アーロンは笑っていない。耳の中で血の脈が大きく律動を鳴らし、俺はアーロンの視線に射抜かれたように硬直する。 「――痛っ」  突然ドルンの首筋の棘が逆立ち、ハーネスを握る俺の手首を撫でた。そう、ドルンにしてみれば撫でたという感覚だろうが、手袋がなければ流血していたところだ。我にかえった俺はアーロンから目を背け、ドルンに集中する。二頭の竜はお互い触れそうなところまで接近し、今度は接近しすぎてダミー弾が発射できない。  ドルンは棘を逆立てたが、エスクーは他の竜のように怯えなかった。また上に出ようというのか、翻ったエスクーの翼をドルンがほとんど垂直になって追う。もう一度水平になったとき、俺たち――ドルンとエスクー、アーロンと俺はほぼ真正面に相手をみている。  射程圏。  炸裂音が響いた。視界が一瞬で鮮烈な赤に染まる。ドルンの頭が赤と黄金のマークに彩られている。俺は顔についた染料をぬぐいながらすぐ横を通り抜けるエスクーの羽ばたきを聴く。〈黄金〉の竜の首にも鮮烈な赤が刻まれているが、こっちは黒の縁取りだ。 『エシュ!』 『おい、相討ちかよ!』 〈黒〉の無遠慮な通信に俺は苦笑する。旋回する竜の背でアーロンの手があがり、こちらを向いた。口もとに浮かんだ微笑みをみたとたん、俺の胸はまた激しく鼓動を打った。

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