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【第2部 飲みこまれた石】14.エシュ―滑りやすい枝に座る

 宮殿の窓のない部屋で、俺はまだ皇帝陛下の前にひざまずいている。  陛下はまだ、俺に立てと命じない。 「そなたの指輪はみごとなものだ。しかし……」  皇帝は頭の上で指輪を入れた小箱を揺らし、俺は片膝をついたまま上を見あげている。あまり長い時間続けるような姿勢ではない。このあとよろめかずに立ち上がれるかどうか不安になるが、帝国の最高権力者は気にする様子もない。 「神の告げること、為されることは驚異に満ちている。神が余に与えたものをみせてやろうぞ」  俺の指輪を入れた箱はそのまま円卓に戻された。俺は心の底からほっとする。自分でも理由はわからなかったが、皇帝陛下にだけは絶対に触れられたくなかった。膝から感覚が失われそうだが、俺は無表情を保とうとする。一方皇帝は満足そうな笑みを浮かべたまま円卓に手を伸ばしている。どこからか黒い手袋を取りあげ、ひどくゆっくりに感じる動作で両手にはめた。  濡れたような光沢をもつ黒い革には、甲にも内側にも銀色に光る金属の粒がびっしりと埋めこまれている。〈法〉道具だ。  こういった道具でもっともポピュラーなのは短い杖で、握りを|格納場所《ストレージ》にしている場合が多かった。だが俺の指輪や(ライフル)のように、法の使い手は上級になればなるほど、さまざまな道具を目的に合わせて使い分ける。手袋は行政官の〈法〉道具としてたまに目にするが、皇帝の指先から肘を覆うそれはひどく不穏な気持ちをかきたてた。  皇帝は手袋をはめたまま紅い実をつまみ、微笑みながら俺の口元へさしだしてくる。拒否できるわけもなく、俺はまた果実を唇で受けた。黒革に覆われた指が口の中へ入り、舌に触れる。金属の冷たい感触が粘膜をかすめたとたん、ビリっとした不思議な感覚が喉から背中まで伝わった。  そのまま果物が喉の奥へ押し込まれ、俺はむせそうになる。果物はなんとか喉をくだっていき、生理的な涙があふれてくるが、皇帝は俺の顎をつかんだままだ。唇の端からみっともなくこぼれた唾液を黒革の指がすくったとき、ふいに下腹部から突き上げてくるような、熱い衝撃が俺を襲った。 「あっ……うっ……?」 「良いな。実によい」  やっと顎を解放されたが、俺の全身は内側から炙られるような、じくじくした感覚に襲われている。皇帝の指は俺の髪の房をからめた。強く引かれた反動で姿勢が崩れ、俺はついに両手を床についたが、皇帝は思いがけない強い力で俺の結んだ髪をつかみ、引き上げた。 「……へい……か?」  そうつぶやくだけでやっとだった。手袋からあふれた力が俺の腕を拘束し、引っ張り上げ、吊り下げたからだ。涙に覆われた視界では前に立つ男はひどく大きくみえた。手袋をはめた両手が俺の軍服に触れる。銀色の金属が触れると飾り緒や飾り剣がなぜかばらばらに外れ、ベルトがするすると抜け落ちていく。宙づりにされたままなのに、いつのまにか俺の肌はむきだしになっている。  皇帝の指――手袋の指がへそのまわりをくるりと撫でた。とたんに、予想もしなかった甘美な感覚が首筋からつま先まで駆け抜けた。 「あっ…あああっあぅっ……」 「予想した通り良い声で啼く。余の竜……まず悦びを教えてやろうぞ……」  あの手袋が〈法〉を増幅している――と判断する理性は長く続かなかった。身に着けていたものは無慈悲な力によって剥がれおち、俺は無防備な姿を帝国の最高権力者に晒していた。黒革につつまれた手が胸から背中、腰を撫でおろし、さらに尻のあいだを割る。異物を挿れられる感覚に体がぴくんと跳ねた。何かが奥へ……入っていく。 「あぅっ……ぁあ、ああんあ――や……んんっ――」  もう目をあけていることができなかった。前をかすめたもどかしい指に俺は腰を揺すりあげてしまう。俺の動きを受けたように尻に挿れられたものが蠢き、快感に頭のすみが白くはじけた。 「あああっんっ……はあっあっ… 」 「良いかげんに濡れたな。愛いやつめ……楽しい夜になりそうだ」  冷静な声が俺の耳を通りすぎる。罠が大きな音を立て、完全に閉じたのを俺は悟った。  口の中いっぱいに押しこまれていた雄が引き抜かれ、精液と唾液がまざったものが顎を垂れる。尻が叩かれ、パシっと音が鳴る。 「や……あぅっ……ぁ」  嵌められた器具が奥を突いた衝撃で俺は喘ぎながら腰を振る――宙づりにされていたときから、こうして寝台で奉仕している今もずっと中を刺激されつづけて、もう何がなんだかわからない。両手首をうしろで拘束されたまま、自分と男の体液で濡れたシーツに顔を押しつけられる。背中を何度か打たれたが、衝撃は腰のなかでうごめく快感とあわさって、苦痛と快楽の区別がつかない。  ふいに器具がするりと抜かれ、甘い余韻に俺は小さくため息をつく。尻の中心に熱く堅い雄の感触を感じると誘うように腰を揺らしてしまう。背中に満足げな吐息を感じる。快楽でひらかれた俺の体はとっくに羞恥を忘れ、楔を打ちこまれるのを待ちかまえている。うつぶせで皇帝陛下の雄を呑みこみ、快感の来る場所を擦られるたびに喘ぎを漏らす。それでもまだ……まだ先がある。もっと奥、もっと…… 「そなたは余のものだ。余の竜……逃がしはせぬ」  低いささやきと同時に腰を激しく打ちつけられる。のしかかる男が俺の中に精を放ったのを感じながら、ようやく終わってくれたという気分が押し寄せた。急に全身がだるくなり、途方もない疲労感がやってきた。拘束が解けたのだ。  うつぶせになったままの俺の頬に丸いものが当たった。俺は重いまぶたをおしあけた。青珠のついた飾りピンが俺の喉に尖端をつきつけている。 「良き夜であった。エシュ」  俺の顎をもちあげた皇帝の手にはもう手袋はなかった。 「宮殿の召喚にはこれからも即座に応えるように。遅れはゆるさぬ」 「陛下……」 「むろんそなたは〈黒〉の長だ。軍務に支障をきたさせはせぬ。余の竜部隊を率いるのだからな」  背中を押さえつけられ、起き上がれないまま、俺は皇帝が立ち上がる気配を感じた。見送りは不要ということか。疲労と困惑と怯えが入り混じり、俺はそのままじっとしていた。  今日の午前中、俺は竜に乗っていた。ドルンの背で模擬戦を戦ったのだ。あのとき感じた力の感覚はすっかり失せ、今は無力感と――屈辱だけがある。  こんなことになるとは思ってもいなかった。  ぱたんと小さな音が鳴った。 「お清めいたします」  俺はだるい体でなんとか寝返りをうち、仰向けになった。晩餐会の前に俺の体をあれこれいじった召使のひとりが寝台の横に立っている。ため息をついたあと、何もかもが面倒になり、俺はそのまま熱い布で体を拭かれるにまかせた。ところどころ滲みた箇所に召使は軟膏を塗り、俺を起き上がらせてローブを着せ、長椅子へとうながした。  俺はおとなしく移動し、円卓に指輪をみつけてほっとした。果物の鉢はなくなり、代わりに軽食と飲み物が用意されていた。俺が冷たい竜肉のハムを齧っているあいだに召使はシーツを変え、寝台を整え、青珠の飾りピンをそっと円卓に置いた。 「浴室は今もお使いいただけます。明日の朝、お支度を手伝いに参ります」 「来なくていい」  俺はぶっきらぼうにいったが、召使は静かに繰り返した。 「参ります。皇帝陛下のご命令です」  召使はひきさがり、俺は座ったまま考えをまとめようとした。今夜起きたことは帝国の最高権力者の気まぐれなのか、それとも変異体の竜部隊を軍に組み入れたことと同じような、深謀遠慮に基づく作戦の一部なのか。  快楽はあってもこんなに楽しくないセックスは初めてだった。命令ひとつで自分を――自分の部下を思うままにできる存在と肌をあわせるなど悪夢にひとしい。  頭を抱えこんでいると眠くなった。今日は考える気力が残っていないのだ。眠らなくてはならなかった。明日はドルンと城壁都市へ戻る。〈萌黄〉の要請にこたえなければならない。〈黒〉が呑気に変異体を再編していたあいだ、辺境ではまた反乱の機運が高まっている。俺は竜を実戦へ連れ出さなければならないのだ。  清潔な寝台に横になると、シーツからふわっと花の香りが漂った。即座に俺が連想したのはアーロン――いや、帝都にあるアーロンの家だった。あいつに薔薇の話をしてから半日も経っていないのに、ずっと以前のことのような気がした。

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