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【第2部 飲みこまれた石】16.エシュ―あそこで幟がひるがえる

『エシュ、連中をみつけたぞ。すぐにそっちへ追いこむ』  耳のあたりにティッキーの声が響き、俺は「了解」とだけ答えた。  ドルンは灌木のしげみに沈んでいる。この灰色竜の体色は鉱山地帯にぴったりだ。寝かせた棘は尖った銀緑色の葉にそっくりで、身動きしなければ完全に背景の一部になる。ドルンの棘には他にも機能がある。一本一本の内部が中空になっていて、周囲の匂いを一時的に閉じこめたり排出することで自分を環境に溶けこませるのだ。  この竜――ドルンとして実体化させる前に俺が〈地図化〉した灰色竜は反帝国の地図師によって作られた。既存の竜種の〈地図〉に野生竜の精髄(エッセンス)を組みこんで変異させ、これまでにない特徴を生み出したのだ。にもかかわらず、彼らは灰色竜を瓶に閉じこめて見殺しにした。帝国軍が迫っていたからやむをえず、だろうか? それとも彼らにも灰色竜が制御できなかったから?  俺がドルンと通じ合えるようになったのは、竜石で彼の〈(テイ)〉につながったからだ。ということは、あの竜を作り出した反帝国の地図師――推測されるに『虹』の地図師――には〈異法〉は使えないということか? そうだとしたら『虹』の地図師は山地の出身ではない、という推測が同時になりたつ。なぜなら――  ドルンが、きたぞ、と俺に教えた。言葉ではなくただ示したのだ。俺の視線はドルンの注意がむいた方向へ自然と動く。反乱者は徒歩で、竜はいない――彼らの竜は標準体だけで、帝国軍がすでに狩ってしまった。この地区で〈萌黄〉が手こずったのは竜のせいではなかった。このあたりは俺の故郷と同じような古い鉱山地帯で、露天掘りではなくアリの巣のような坑道が入り組んでいる。  俺の故郷と同様、一度帝国の領域となった地区だが、〈地図〉を奪取して鉱山の中を逃げ回った反乱者を〈地図〉のない帝国軍の地上部隊は追いつめられなかった。そこに〈萌黄〉が加わってしらみつぶしの掃討戦をやり、〈黒〉も入って〈地図〉を奪取したのは昨日のこと。今日の任務は残敵掃討と首謀者の拠点探しだ。そう、あそこに彼らがいる。  俺の首には竜石が下がっている。石の脈動がドルンと俺をつなぎ、俺はドルンとひとつになっているような錯覚をおぼえる。ひょっとしたらドルンの方もそう思っているのかもしれない。俺たちは〈紅〉の歩兵に追われた反乱者の前に姿を現す。  パニックに陥った敵の前でドルンの棘が立ち上がる。振り回す武器は頭部の一振りで粉砕され、灌木のあいだを走る彼らを追ってドルンと俺は飛ぶ。下方から苦悶の悲鳴があがる――ドルンの鉤爪が背中をつかんだのだ。棘で足止めされた敵の吐く呪いの言葉をきくと、自分こそが悪魔のような気分になる。  風は北西だ。山肌に沿って下から吹きあがるが、ドルンはうまく風に乗り、急降下した。帝都や城壁都市ではでかすぎるように感じられる体躯もこの景色のなかでは小さく思える。俺はドルンのテイとつながって、昼間みつけた反乱者の気配をさぐるが、人間の気配は帝国軍の野営地の外に感じられない。  反乱者の本拠を捜索するために歩兵が作った野営地にいるのは〈紅〉の歩兵部隊と〈黒〉が三人――俺とシュウとフィルだけだ。着地したドルンと俺をじろじろみる〈紅〉の視線を感じるが、こちらから見返すとさっと素知らぬ顔になる。俺はドルンを変異体の群れのなかに落ちつかせ、キャンプの方へ戻った。 「ムネでもモモでもダージ竜を焼くときは冷たい鉄板だよ! 弱火でじっくり、モモは皮から脂が出るから何もいらない、あっ、触るなっ動かすなフィル!」  われら〈黒〉が誇る美食家、解析官のシュウは糧食に焼き肉を添えるつもりらしい。〈黒〉にはありがちなことだが〈紅〉の歩兵隊長はいささか呆れているのではないか。俺たちにしたところで野営中に仕留めた小型竜をその場で調理するなんて事態はめったにないのだが、ダージ竜ならすぐ解体できるとシュウに話したのがまずかった。  だいたい他の部隊なら解析官が出張ってくることもない。しかしこの地区には気になることがあり、シュウについてくるよう命令したのは俺自身である。 「まったくエシュさまさまだよ」  シュウは上機嫌でソースに手持ちのスパイスをほうりこみ(この男は常に自前の調味料セットを持ち歩いている)ぐつぐつ煮えた液体を鉄板の上で焼けている肉にかけた。香ばしく食欲をそそる匂いが立ちのぼったとたん、歩兵のひとりが羨ましそうな目つきでこちらをみた。 「食ったら中に入るな? 僕は留守番だよな」 「ランチが豪華すぎたからって居眠りするなよ。インターセプトしてくれ。万が一迷ったときはシュウが頼りだ」  俺は坑道の入口を眺めながら答えた。捕虜の見張りは〈紅〉の担当で、俺とフィルが中に入る歩兵隊の先導をつとめる。  岩の内部はなつかしい匂いがした。奪還した〈地図〉は本隊が帰還する前に確認していたし、俺にとってはこの手の坑道はなじみ深い構造をしている。いっけん複雑に入り組んでみえても規則性がある。俺は水の匂いを探しながら道を辿った。 「エシュ殿。連中は何か隠しているとお考えですか」  俺に追いついた歩兵隊長がしゃちこばった顔つきで訊ねた。 「さあな。軍本部は反乱者が独自開発した法道具があるとにらんでいるらしい。居住跡に残されたものはあらいざらい運び出せ」 「はっ」  歩兵隊長はすぐに離れていく。大げさなほど怖れ敬われているような気がする――たぶん気のせいではなかった。変異体のお披露目から他軍団の士官が俺に向ける視線はがらりと変わり、以前のように小馬鹿にされたり、蔑まれることはなくなった。そして変異体を実戦に出したとたん、以前より遠巻きにされるようになった。  最近の帝国軍は反乱者に対して後手にまわりがちで、奪われた地図の再奪取作戦が続いているが、〈黒〉が投入された作戦は短期間で再制圧を完了していた。指揮官はおもてむき〈黒〉の投入をありがたがるものの、異様な外見ぞろいの変異体にはヒラの兵隊も怖れを抱いているのがみえみえだ。理由はだいたい見当がつく。変異体が他の竜とちがって、反乱者を捕縛する前に死なせたり、重傷を負わせてしまうからだろう。  帝国軍は反乱者を殺すことに興味はない。人間も竜も、帝国の仕組みに従うよう再教育できる。殺すのはむしろ反乱者、反帝国の側だった。反乱者は帝国軍のこういった側面につけこんできたのだが、帝国は〈黒〉を投入することでそのバランスを壊している。そのうち帝国軍の兵士は敵よりも俺たちを恐れるようになるんじゃないか。  岩の通路が急に広くなった。居住跡だ。歩兵隊長がてきぱきと指示をくだし、兵士たちが岩盤にあけられた坑に散った。 「どっちへ行きますか?」  フィルが途惑った表情でたずねた。二手に分かれた細い道がある。俺は迷わず一方を指した。分岐のパターンに見覚えがあった。行きついた先は天井の高い小部屋で、これも既視感を呼びおこすものだった。けっして大広間というわけではないが、子供の背丈なら話は変わる。俺は大人たちの足のあいだで背伸びをしながら、祭壇のように高くなったあたりに目をこらして……。 「団長?」  訝しげにたずねるフィルに向かって俺は手をふる。 「つきあたりに石段があるだろう。あのあたりを探そう」 「こっちですか?」 「ああ」  礼拝堂、あるいは集会所。俺の故郷にも似た部屋があった。俺はフィルとふたりで石の床に刻まれた四角い割れ目を叩いた。 「ああ、蓋になってる。開きますよ。どうしてわかったんです?」 「勘だ」  俺は適当にこたえたが、軍本部が喜ぶものが出てくるとは思っていなかった。重い石蓋の下は大きくくりぬかれた穴で、俺たちは足を下ろし、重い箱や樽をひっぱりあげた。ためしに箱と樽をひとつずつあけたが、中身は精製前の鉱石と燃料油で、役には立つがお宝とはいいがたい。 「これ、何でしょうね」  穴に潜っていたフィルが最後に細長い竜革のケースを床に押し上げた。なめらかな表面は新しい光沢を放っている。鍵穴らしい凹みがついた金属の帯でぴったり閉じられていた。 「開きませんね」 「待て。やってみる」  俺は指輪をひらき、長いあいだストレージの底に入れたままになっていた道具を取り出した。鉱山の人間にはなじみ深い、父から譲り受けた〈法〉道具だ。フィルは怪訝な目つきをしたが、俺は説明せずに尖った先端を金属の凹みに押し当てる。そっと力を流して手ごたえを探すうち、カチリと噛み合った感覚を得ると同時に金属の帯がスライドする。俺はケースの蓋をずらした。ちらりとみえた切っ先に胸がざわついた。フィルが不思議そうな声でいった。 「剣? どうしてこんなところへ隠してあるんです?」 「ただの剣じゃない。法道具だ」  俺は柄に指をすべらせ、伝わってきた気配に眉をひそめた。フィルの顔にはもっとよく見たいと書いてあったが、かまわず蓋を閉めた。心の奥底で確信していた。俺はこの剣を見たことがあった。一度は現実で、それ以外は夢の中で。  これは黒鉄(くろがね)竜を操っていた剣だ。俺の夢でアーロンが握っていた剣でもある。

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