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【第2部 飲みこまれた石】18.エシュ―炎の気配を嗅ぎつける
*
俺は天蓋におおわれた寝台にうつぶせにねそべっている。枕の上に両腕を投げ出し、自分から腰をもちあげ、尻の奥へ挿しこまれた器具に感覚を奪われている。全身が過敏になっているせいでシーツに触れるだけで産毛が逆立つ。手袋をはめた手が俺の両足をさらにひらかせる。喘ぎと唾液が同時にこぼれ、シーツに吸いこまれていく。
「んんっ――あっ…んっ…はあっ……あっ…あっ……」
あたりは熟した果物や香木のきつい匂いでいっぱいだ。ふいに何度も背中を打たれ、ぴしり、ぴしりと音が響く。同時に尻の中の器具が妖しくうごめき、俺の頭は痛みを感じるかわりに甘くしびれた。唇からさらに唾液があふれるのをぼんやりと感じるが、とめようもない。
「はあっ……んっ……へい……か――」
尻の中を埋めていた感覚がずるりと抜かれた。俺はうつぶせになったまま息をつくが、物足りなさにあえいでしまう。背中をさらに強く打たれ、体の芯まで響く痛みとも快感ともつかない感覚に酔いしれながら、ねだるように腰をふる。押し入ってくる太く熱いものに中を揺さぶられる。背中のあたりで嗤うような声がきこえてもかまってなどいられない。つらぬかれたまま何度も背中を打たれ、俺のなかにいる男が達して、ようやく解放されると、苦痛と快感の名残にぐったりと横たわるだけになる。
俺とちがって皇帝陛下は元気なものだ。手袋をはめた両手が俺の体を人形のようにもちあげ、座らせる。今度は俺の体は寝台の背に縛りつけられたように動かなくなり、無防備な裸のまま両足をひろげている。
あまったるい匂いに頭はくらくらしたままで、夢の中にいるようにふわふわした心持ちだ。瞼が重くなり、うっかり目をとじたとたんに顎を軽くはたかれる。目をあけると皇帝陛下はガウンを羽織ったままだった。俺はいつも背中から犯される。陛下はけっして俺の前で素裸にならない。
「エシュ。良い顔だ」
いったい皇帝陛下は俺の何をみているのだろう。目をあけたまま夢うつつで俺はそんなことを思う。頭が働かないのはこの部屋で与えられるもののせいだが、強引に口に入れられるものを俺は毎回拒否できない。
「これまでそなたが目撃した、もっとも巨大な竜はどんなものだ?」
「もっとも……巨大な竜……?」
「そなたしかしらない竜がいるなら、余に教えよ」
俺は回らない舌でなんとか話をする。幼いころに山地で目撃した年老いた竜――たちまち間隙へ消えうせた巨竜や、つがいと出会うために雨を追い、高層を移動する竜のこと。
雨の竜なら俺だけでなく、アーロンもみたのだ。俺はぼんやり思い出すが、自分の言葉がよく聞こえない。
「そなたは今回、剣を持ち帰ったな」
揺らいでいく意識のしたで皇帝陛下の声がきこえた。
「神も余に話された。あれこそが竜を殺す剣と……あれはふさわしいものへ与えなければならぬ」
*
ぬけるような青空のした、城壁都市のリングの影が地面に濃く刻まれていた。フィールドは竜たちの声で騒がしい。高音の旋律をくりかえしさえずる竜からブオーンブオーンと唸るような音を出す竜まで、変異体の鳴き声はヴァリエーションも豊かだ。
シュウが訓練場の柵から身を乗り出し、命令に応じて駆けまわる竜を熱心に観察していた。通信機のチャネルは竜の心音を計測する装置にひらきっぱなしだと聞いていたので、俺は横にならんで肩を叩いた。
「明日竜 を貸してくれ」
シュウは呆れた声を出した。
「また帝都?」
「ああ」
「辺境から戻ったばかりのくせに? ドルンは?」
「休ませる。突発事態が起きなければ辺境制圧は当分予定がない。次は例の竜石作戦だ」
「だったら明日はその会議か」
シュウはひとりで納得し、興味をなくしたようだった。
いまの〈黒〉にとって変異体を実体化した城壁都市は|本拠地《ホーム》のようなものだが、ここはもともとシュウの本拠地でもあった場所で、解析官が必要とする物資も揃っている。〈黒〉が正式軍団に格上げされて予算も増えたので、俺はシュウの部下となる研究員を増やした。出動がないときの〈黒〉は人間も竜も基礎訓練にあけくれているが、変異体にはまだ未知の要素も多く、彼らに合った装具の開発もこれからだ。そのため訓練場を駆けまわる竜に計器をつけてデータを取るのである。
城壁都市の厩舎員も最近はすっかり変異体に慣れ、ドルンを「ぴょんぴょん」と呼ぶ猛者も登場した。あだ名の由来は鳴き声ではなく、厩舎員泣かせの尻尾で突っ立っている棘をさしているようだ。もちろんドルンはそれが自分の呼び名だとは思っていない。
「明後日には戻る。何かあったらすぐ連絡をくれ」
それで話を終わるつもりだったのに、シュウはくるっとふりむいた。
「エシュ、誰も連れて行かないのか?」
「大丈夫だ。必要ない」
「っても、軍団長だろ? 身の回りの世話をする下士官のひとりやふたり、連れて行った方が箔がつくよ。イヒカだって――いや、せめて副官をきめれば」
俺はにやりと笑ってみせる。
「シュウ、そんなことをいっていいのか? やぶへびになるぞ」
「僕は解析官だ。フィルのことをいったんだよ!」
「なるほど。考えとく」
突然シュウはもどかしそうな、言葉をさがしあぐねているような表情になった。
「エシュ、なあ。気になってたんだが、帝都に……帝都に行くたびに変な顔をしてないか?」
「変な顔だって?」
「なんていうか……だから変な顔だよ。軍団長って役職にはいろいろあるのかもしれないけどさ」
俺は肩をすくめてみせた。
「うまく飛んでみせるさ。気にするな」
宮殿からの召喚命令――つまり皇帝陛下のお召しは辺境出動のあいまを縫って届いた。もうあの使者、レシェフは俺の前にあらわれない。必要がなくなったからだ。かわりに無味乾燥な通達だけが届き、俺はそのたびに帝都へおもむく。
俺が案内されるのはいつも同じ、窓のない部屋だ。何度か通った今では上空からでもほぼ正確に宮殿のなかで位置をあてることができるだろう。これは俺が穴だらけの岩場で幼少時を過ごしたおかげだが、位置がわかったところで何がどうなるわけでもない。
〈黒〉が格上げされたおかげで、帝都の軍本部にも上級将官の執務室と宿舎のセットがあてがわれた。執務室の保安を調べた結論として、俺は陛下のお召しの前にここへ法道具を残していくことにした。ほんのわずかな時間でも他人の手に渡して人質をとられたような気分になるよりましだったし、お召しが終わったあと軍本部へ戻るといえば、宮殿の人間はとめなかった。
お召しは昼間のこともあれば夜のこともあった。軍本部から宮殿へ向かう自動軌道に俺が乗るのは把握されていて、到着するとすぐに侍従――緑服のお仕着せをきた連中がやってくる。宮中の使用人たちはけっして俺をじろじろみない。つねに足元の方へ視線を落とし、過剰なほどうやうやしく俺をあつかう。おかげで俺を知らない人間も、俺が特別な何かだと理解するしくみだった。俺について言及するときは、左側とか青珠とか、あるいは単に特別な方と呼んだ。
窓のない部屋へたどりつくと、いつもおなじ召使がいる。俺は浴室で磨かれ、念入りに準備をされる。事前に用意されている飲み物やオブラには軽い興奮剤、つまり媚薬が入っていることが二度目でわかった。快感をつよめ、痛みの感覚を鈍らせる薬だ。
俺はこの手の薬に弱く、はじまるとまず抵抗できないうえに、皇帝陛下は経験豊富なのだった。抱いた人間の体に痕を残すのが好みで、若干サディスティックなふるまいを好むが、壊すことはしない。俺の世話をする召使はそれをよく心得ていて、終わるときちんと手当てをする。
それでも終わった後はへろへろになった。仕事と考えるにはいささかきつかった。宮殿の中には公の組織である帝国軍の内部とはちがう権力が働いていて、俺はいつのまにかその網目にからめとられてしまっている。
俺だけならまだいいが〈黒〉と竜はまるごと皇帝の手のうちだ。
軍本部に与えられた〈黒〉の執務室には家具が置かれているだけで、上級将官用の宿舎も寝るだけの場所にすぎない。それでも宮殿で眠るよりはましだった。困るのは、昼に皇帝陛下にいたぶられると夜になって目が冴えてしまうことだった。
辺境で剣をみつけたあと、俺はいちど夜中の軍本部でアーロンに会った。眠れないままうろうろしていた時だ。こんな夜中まで仕事をしているのかと呆れかえったが、向こうは俺の方こそどうかしているという目つきだった。どっちもどっちというやつだ。
俺は辺境でみつけたあの「剣」が意味することを考えないようにしていた。昔から俺の夢――白昼夢でも夜の夢でも――を通じて、俺を悩ませていた「神」の声はちかごろご無沙汰だ。
あの声が昔から俺の頭にすりこんできたわけのわからない命令と、あの「剣」に関係があるはずがない。アーロンの法道具はずっと杖だった。剣ではないのだ。
眠れないときは街を歩くにかぎる。帝都は学生時代と変わらず賑やかだった。昔のように遊ぼうとは思わないが、色とりどりの光る看板に照らされた道をふらふら散歩していれば、宮殿で鈍らされた勘が戻ってくる。俺は昔のように姿を変えたりしなかった。軍服で闊歩すれば余計な虫が近寄らないからだ。
アーロンの顔なら帝国軍広報のおかげで街中に貼られていたが、長年軍団の影だった〈黒〉はまだ市民にはほとんど知られていない。誰にも知られない人混みにたつと、錯覚であっても多少は自由を取り戻せた気分になる。
――もっともそれも暗い路地で小刀を突きつけられた時までだった。
何気なく曲がった露地の先で、俺は三方から囲まれた。
「エシュ。また会えて嬉しいよ」
目の前の男に面と向かってそういわれても俺には相手の顔がわからなかった。
「誰だ?」
「わからないか? 十四……十五年ぶりならしかたないか。俺はすぐにわかったのに」
年齢は俺と同じくらい、短く刈った黒髪に茶色の眸、肌は日に焼けて浅黒い。手のひらが翻って器用に小刀を回した。俺は眉をひそめた。これは俺の小刀だ。
「まさか、イヒカが――」
「俺はタキだ、エシュ。その髪、変わらないんだな」
タキだって?
刃がきらめき、喉に切っ先がつきつけられる。山地の記憶が雪崩をなして俺の頭を駆け巡った。
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