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【第2部 飲みこまれた石】22.エシュ―押し寄せる水際

 俺たちはまたキスをする。  そうしないと、俺はさらによけいなことを喋ってしまう。シーツの上で、俺は上半身裸で、アーロンは服を着たままだ。布越しに体温が伝わってくる。  アーロンの唇を吸いながら、ぼんやりした頭で、どうしてここに来てしまったんだろう、と俺は思う。ユルグやタキのもとから夢中で逃げ出し、もっとも近い自動軌道までたどりついて、行き先もろくに確認せずに乗りこんだ。気がついたらここで降りていた。  山地で育った人間にとって道を記憶するのは簡単なことだ。たとえ一度しか訪れなかった場所だとしても。でも、道を知っていたって行かずにすませることもできるんじゃないか?  できたはずだ。イヒカについて確認したいなど、ただのいいわけだ。  それなのに俺は来てしまった。  アーロンの胸にひきよせられて、唇をあわせているのは心地よすぎる。でもそんな風に思うのだっていまさらだ。こいつといったい何度寝た? アーロンとのセックスはいつだって最高だった。でも、体だけじゃなく心まで渡してしまったら、俺はいったいどうなるんだろう?  意識の片隅でそんなことを思っても、もう止められない。何年も前、俺はこの男から離れようと決意した。あのときは成功したと思ったのだ。俺がこの世界にいる理由を作った神に、これ以上つけいる隙をあたえずにすむと思った。  それなのに俺は来てしまった。俺のほんとうの望みをなかったことにできなかった。  俺は口の中をくすぐるアーロンの舌を自分の舌で追いかける。あおむけになった俺のうえにアーロンがのしかかる。俺はあいつのシャツをひきはがそうとする。俺だけ裸にするなんて真似は許せない。  アーロンは俺の手を払い、シャツのボタンをはずした。自分のベルトを引き抜いて床に投げ、俺のズボンを脱がせにかかる。やがて裸の足が絡みあい、おたがいの、とっくに張りつめている欲望が触れる。先走りで濡れたものが擦れるだけでもたまらないのに、アーロンは舌でじっくり俺の胸をなぶりはじめた。最近は誰にもろくに――皇帝陛下には俺ごときを愛撫する趣味はない――弄ってもらえなかった部分がたちまち反応し、離れたつま先や股間まで感じて、俺はうめく。 「あ――あっ、アーロン……」  俺は手を伸ばし、上にいる男の首に触れる。アーロンの口はゆっくり下へずれていく。口でペニスをしゃぶられながら尻を揉まれ、入口をゆるゆると愛撫されるのだからたまらない。 「はあっ……あっ…んんっ…あ――」  アーロンの唇は勤勉に上下し、俺の放ったものを全部呑みこんだ。解放感にぼうっとしたのもつかのま、尻の中でひやりとするものがこぼれ、アーロンの指が俺の中をさぐりはじめる。たちまち快感が来る場所を押さえられ、俺は喘ぎながら目をあける。昼間宮殿でさんざんいたぶられたのに、この底知れない飢えはなんだろう?  「こいよ……アーロン……」  俺はたしかめなくちゃいけない。  この男にもっと無茶苦茶にされなくちゃいけない。  そんな思いが同時にあらわれて自分でもわけがわからなくなる。いったい俺は何をたしかめたいんだろう。この世界に俺が存在していることを、だろうか?  アーロンの目が鋭く光った。俺の両足をひろげ、腰を抱えるようにして入ってくる。揺さぶられたとたん、背中に刺すような痛みが走った。体がこわばったのを察したのか、アーロンの動きがとまる。 「大丈夫か?」 「かまうか。つづけろ」俺は性急に口走った。「はやく……」 「痛むなら……」 「おまえのせいじゃない」  背中はひりつくようにさらに痛んだ。陛下の手袋が脳裏にうかぶ。あれは法道具だった。たぶんろくでもない傷がついているにちがいない。 「……アーロン」  俺は手をのばし、アーロンの手をつかむ。指が絡み、アーロンが俺の上でゆっくり動いた。背中の痛みに揺すられた快感が重なって、何が何だかわからなくなる。 「アーロン……俺は……おまえのもの……なんだろう?」 「エシュ、」 「おまえが必要だ」  言葉は勝手に口から飛び出した。なぜか涙があふれた。 「おまえがいないと……」  首筋にアーロンの息が落ちてくる。俺はもう目をあけていられない。もうだめだ。このまま自分を手放してしまいたい。  時間の感覚も、いつ終わったのかもわからなかった。まるで自分のかたちがなくなったようで、竜の背にいるようにゆらゆらした感覚だけがあって、とほうもなく幸福な気分のまま俺はとろとろと眠りにおちた。目をあけたときも周囲は暗く、俺は暖かい体に頭をくっつけたままぼんやりしていた。髪をまさぐられる感覚にうっとりする。このまま惰眠をむさぼるのだ。  じっさい、その通りに眠ってしまったのだろう。はっと気がついて目をあけるとアーロンが寝台の横に立っていた。 「起きたか」 「……ああ。今は……」 「もう昼だ」 「昼?」  俺はガバっと起き上がった。「なんだって?」 「疲れていたんだろう。よく寝ていたぞ」  アーロンは上から下まできちんと服を着ていた。 「風呂を使うか?」  俺はうなずいて上掛けをはねのけた。シーツには昨夜の痕跡が残っていて、情交の匂いが鼻につく。浴室で体を洗っても背中の傷にはほとんど滲みなかった。  髪を拭いながら浴室を出るとモカのいい匂いがした。これこそ今の俺が必要としているものだ。それにしても昼まで眠ってしまうとは。  寝室のドアは閉まっていて、アーロンは庭に面した部屋のテーブルにカップを並べていた。「あいにくろくな食べ物がない」といいながら、カップの横に穀物スナックの包みをすべらせてよこした。これが朝食がわりとは、ずいぶんなものぐさだ。俺は思わず笑った。 「おまえ、兵舎を出ない方がよかったんじゃないか」  アーロンはぼそっと答えた。 「たいてい軍本部か外で食べるんだ」 「朝から晩まで?」 「不便はしていない。食べるものにこだわりもないし」  たしかに予備学校から軍大学まで、アーロンが食べ物に好き嫌いだの文句だのをいう場面には縁がなかった。 「うちの解析官にきかせてやりたいもんだ」 「解析官?」 「美食家なんだ。肉の焼き加減からして、いちいちうるさい」  モカが効いたのか、俺の頭はやっとまともに動きはじめた。早く城壁都市へ戻らなければならない。シュウの|竜《ファウ》が厩舎で待っている。 「貴重な朝食を分けてもらったな。昨夜は突然たずねてきて悪かっ――」  立ち上がりかけた俺の肘をアーロンが握った。 「エシュ」 「……なんだ」 「宮殿にはよく呼ばれるのか」  俺は肩をすくめた。「陛下は気まぐれだ」 「昨夜は何があったんだ? 俺がきいていいことなら……」  昨夜か。本来アーロンに話すべきは皇帝陛下のことではなく、街で出くわした俺の故郷の人間についてだろう。アーロンならこの情報をうまく使えるかもしれない。ユルグやタキの線を追えばイヒカの行方もわかるかもしれない。  しかし俺はためらった。山地を取り戻すことに協力しろ、という彼らに従うつもりはなかった。だが今ここでアーロンに伝えれば〈黄金〉の上層部のほか〈灰〉や〈碧〉まで動き、俺が知りたいことからは逆に遠ざけられてしまうかもしれない。  黙りこくった俺の肩が重くなる。うなじにアーロンの息を感じ、腕が胸のまえに回る。なかば驚きながら、なかば安堵しながら俺はアーロンのぬくもりを背中で受けとめる。耳の横でアーロンがささやいた。 「イヒカ殿の件、何かわかれば必ず伝える」  俺はうなずいた。 「もう行く。城壁都市へ戻らないと」 「そこまで送る」 「いらん」  アーロンは首をふった。強引に横にならぶ男に俺はさっさと匙をなげた。太陽は中天を過ぎていた。ふたりで道を歩くとまるで軍大学時代にもどったような、懐かしい気分がやってくる。  そこまでといったくせにアーロンは自動軌道までついてきた。ちょうど乗り物が到着したところだった。半透明の扉の向こうに人影がみえる。アーロンが俺のうしろでささやく。 「戻ったらよく休め」  俺はうなずいたが、扉がひらいたとたん思わず息を飲んだ。セランの美貌が目の前にあった。

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