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【第3部 翼の定位】4.繚乱

「アーロン、来るな――」  小さく声が響く。アーロンは洞窟の床にひらいた穴をのぞきこんでいた。丸い乳白の光のなかにエシュの黒髪がたしかにみえる。アーロンの周囲にある洞窟の壁はいま、柔らかな乳白色だ。ところどころに暁を思わせる紅色が脈打っている。エシュを引きずりこんだ穴からはもっと明るい光があふれていた。  穴の周囲は管でも通したようになめらかだ。中に手をつっこみ、腕を思い切りのばす。乳白の光はアーロンの視界をくらませたが、指先がやっと何かに触れた。なめらかだが石の硬さではない、張った皮に触れたような、奇妙な感触だった。  この洞窟の下に巨大な空間があるのではなく、この床自体がゴムのように伸び、エシュを中に閉じこめているのではないか。突拍子もないと思いつつもそんな推測が頭に浮かんだ。アーロンは洞窟の床に尻をつき、穴に足を差し入れた。恐怖は感じなかった。  尻を床から浮かせたとたん、穴の表面がうねるように動いてアーロンを下へ押し出していく。手をのばしてもつかむところがなく、弾力のある表面に背中が跳ね返る。アーロンは無様に回転しながら落ち、衝撃にそなえて反射的に目をつぶった。 「あっ……あああっ、や――」  喘ぐような、悲鳴のような声にハッとした。目をあけるとエシュの黒髪がすぐそこ、一度跳躍すれば届きそうなほど近くにあった。乳白の壁に半身を包まれるように捕らえられている。全身にまとわりつく白い紐のようなものが衣服をなかば引き裂いていた。上を向いた顎も首筋も赤く染まっている。むきだしになった右胸で、ぽつんと蕾のように立ち上がっている乳首にアーロンは一瞬釘付けになった。無意識にごくりと唾を飲み、そのとたん自分の体の反応に呆れかえった。  我に返ったアーロンの両足は弾力のある乳白の床を踏んでいる。すぐさまエシュに走り寄り、両肩に手をかけた。 「大丈夫か。いま助ける!」  エシュは霞がかかったような目線をアーロンに向けた。 「……俺に触るな――おまえも――」  アーロンはエシュの両足にからみつく白い物質を引きはがし、胸を抱きかかえるようにして自分の方へと引っ張った。エシュが腕の内側へ倒れるように落ちると同時に甘い匂いが広がって、乳白の壁一面に白い液体が滲みだした。液体はエシュの全身を濡らし、アーロンの顔や手も濡らした。 「これは……」  唇から舌にうつった液体はひどく甘く、喉の奥をかすったとたんに全身が熱くなった。アーロンは抱きしめたエシュのうなじをみおろし、たちどころに湧きあがった衝動をなんとかこらえた。くそ。こんなところで―― 「あっ、あああああっ」  エシュがアーロンの腕の中でもがいた。まだ彼の腰に白い紐がまとわりついている。アーロンは片手でエシュを支えながら、軟体動物の触手のようにうごめくそれを引きちぎろうとした。紐はエシュの背中の中央を押さえつけるように絡みつく。抱きよせたエシュから熱い吐息が漏れ、股間で堅くはりつめたものがアーロンの腿を押した。 「……アーロン……やっ、ああぅ……」 「この――離れろ!」  怒りと興奮で全身がかっと燃えたような気がした。アーロンは白い触手様のものを力任せにひきちぎったが、反動でエシュの体を抱きしめたまま床にしゃがみ、そのまま尻をついた。  触手はエシュの皮膚から剥がれたとたん先端から白い液体をびしゃっと溢れさせ、アーロンは今度こそずぶぬれになっている。わずかにぬるりとした液体はアーロンの首筋から背中へ垂れ、ズボンの下にまではいりこむ。  冷たくはなかった。逆だ。ぬるま湯のように温かく肌をなぞる。股間の緊張がさらに高まり、欲望を吐き出したくて目がくらみそうだ。  抱きとめた男の体温がますますアーロンを刺激するが、エシュは足に力が入らないらしい。重みがアーロンにのしかかってくる。触手が絡みついていた背中の中心をそっとなぞると、四角い傷跡が指先に触れた。アーロンはどきりとした。即座によみがえったのは、帝都でエシュを抱いた時の記憶だ。エシュの背中には皇帝の印が刻まれていた。 「そこを……触らないでくれ……アーロン……」  エシュが熱い息を吐きながらいった。 「触られると……つら……」 「大丈夫だ。どこか――うわあああ!」  ふいに尻を支えるものがなくなった。アーロンはエシュを抱きしめたまま背中から墜ちたが、落下の衝撃はほとんどなかった。乳白に輝く空間でふたりを受けとめたのは弾力のある表面だ。  頭上から白い液体が垂れ、唇から喉へおちた。ごくりと飲みこんだとたん体じゅうに力がみなぎり、アーロンはついに抑えられなくなった。  腕の中の半裸の男を押さえつけ、唇を重ねる。エシュは首を揺らしたものの、抗わなかった。舌をからめ、歯をなぞる。エシュの口の中もひどく甘い。あの液体の味だ。一度離した唇を今度は逆に追いかけられる。 「……アーロン……」  熱い吐息とともに名前を呼ばれ、アーロンとおなじ欲望に満たされた眸がアーロンをみつめた。アーロンはエシュの上にのしかかり、もがくようにして服を脱いだ。エシュが身につけていたものは引き裂かれた布の切れ端になっている。素肌が触れあい、足がからむ。 「あっ、ふっ……」  むき出しの乳首に歯を立てると下にいる男から甘い声が漏れる。エシュの中心は堅く濡れそぼっている。アーロンも同様で、根元からなぞってやると悲鳴のようにまた啼いた。したたり落ちる温かい液体がおたがいの皮膚と皮膚の境界をなくすようだ。胸から肩口、首筋とアーロンは唇をおしつけ、愛撫する。  ずっとこうしたかった、という思いがわきあがる。エシュを抱きたかった。ほかに誰もいない場所、誰の目も気にしないところで、こんなふうに。  快感に蕩けたまなざしがアーロンをみつめる。ひとことも発しないのに、お互いの心が通じたようにふたりは体勢を変え、エシュはうつぶせになってアーロンの前に背中を晒した。乳白の光に照らされて皇帝の印があらわになる。印をつけた者への押さえきれない憎しみを感じながらも、アーロンは傷跡から目をそらした。そのときだった。 (その印を消せ)  声がきこえた。  揺れる空気が生み出した錯覚のような、しわがれた響きだ。エシュの背中が強張った。 (消すのだ。帝都の駒がつけたいらぬ印だ) 「おまえ……おまえだな!」  うつぶせのままエシュがうめいた。 「アーロン……俺たちは……」 「エシュ。待て」  アーロンはエシュの背中をそっと撫でた。こんな声に気をそらされても欲望は醒めず、エシュのうなじで揺れる髪が逆に興奮をかきたてる。そのまま印の傷に指をそえる。 「あ、ああっ……」  エシュは甘ったるい声をあげ、びくっと体をふるわせた。 「どうやったら消せるんだ。これは〈法〉で刻まれたものだ」  何に話しかけているのか理解しないまま、アーロンは乳白色の光に声を投げた。 (〈法〉か)  空気がかすかに揺れた。 (ここは圏外だ。おまえたちの欲望に従えばいい)  圏外? 「……アーロン、俺たちは……」  エシュが途切れ途切れにいった。 「……やっぱり……竜の腹の中に……あっ」  ぽたりと白い雫がおちた。さっきアーロンを濡らした液体より粘り気のある液体だった。エシュの背中に跳ねかえり、王冠のような形を描く。傷跡を覆うように広がった雫をアーロンは指でなぞり、眉をひそめた。 「エシュ」 「触るなって……あっ……やめっ……」 「傷が……消えかけている」 「そんな馬鹿な――ああっアーロン――」  うつぶせのままエシュは肩を揺らして抵抗したが、アーロンはエシュの腰を押さえつけた。また雫が落ちてくる。傷跡に塗りひろげると甘い香りが漂った。アーロンの腕の下でエシュはあきらかに快楽に震えていた。アーロンは片手で背中の傷跡に雫を塗り、もう片手でエシュの尻をさぐった。蕾は待っていたかのようにひくひくと脈打ち、アーロンの指を受け入れる。ゆっくりと奥をさぐるとエシュは指の動きにこたえるように腰をずらした。 「あっ、あっ、ああん、はっ……」  どこで感じるのかはよく知っていた。エシュの喉から甘いすすり泣きが漏れ、腰が誘うように揺れた。 「アーロン――頼む……たの……」  懇願の響きがたまらなかった。アーロンは両手でエシュの腰をつかみ、ひきよせる。おのれをつきたて、エシュに熱く、じわじわと包まれるのを感じる。 「ああ……エシュ……」  たまらず腰を前に出す。奥をえぐるとエシュの肩がふるえ、締めつけられる快感にアーロンも長い吐息をついた。 「あっ、あっ、ああんっ、あ……」  いったんおたがいの律動が重なると止めようもない。アーロンはかすれた声で叫ぶエシュを激しく揺さぶった。やがて坂を登りきるように射精の瞬間が訪れ、エシュの中に欲望をあふれさせる。乳白の光の中でアーロンは目を閉じていた。つながったまま上体を倒し、エシュの背中に自分の胸をつける。  エシュの呼吸はまだ荒かった。アーロンは快楽の余韻にひたりながらそっと体をずらし、愛しい男を腕に抱いて横たわった。汗ばんだ背中をそっと撫でおろす。傷があった場所に触れたのに、エシュはぴくりとも反応しない。 「エシュ、傷が……」 「ん……?」  物憂げな声と共にエシュが目をあける。 「消えている」 「――なんだって……」  黒い眸がアーロンをみつめた。おそるおそるといった調子で腕をうしろに回す。 「ない――なくなってる。そういえば痛みも――」 「ずっと痛かったのか?」  そのつもりはなかったのに、問い詰めるような調子になっていた。エシュの眸に昏い影が動き、アーロンは後悔した。 「いや……消えてよかった。大丈夫か?」  エシュはこたえなかった。 「あの声。消せ、といった……」  独り言のようなつぶやきがふいに、警告の響きを帯びた。 「アーロン!」  アーロンは飛び上がるように体を起こし、エシュの視線を追った。ふたりの頭上、乳白色の光の中に金色の翼が浮かんでいた。みつめているとぱたりと一度羽ばたき、また一度羽ばたいた。そのたびに小さな金の竜があらわになってくる。  竜は羽毛のようにふわふわと宙を舞い、アーロンの顔のあたりまで降りてきた。青い石のような眸がアーロンを正面から見据える。 『消えたか』  アーロンの脳裏に声が響いた。

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