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【第3部 翼の定位】6.輪廻
*
(エシュ、ルー、イヒカ、レシェフ。ヴォルフにアーロン……か。名前に凝りすぎだろう。ルーは光の神か? イヒカは鹿だったな)
(「ルー」や「イヒカ」は先代の趣味だ。「エシュ」はいい名だと思わないか? トリックスターだ。にっちもさっちもいかないこの世界の再生にふさわしい)
(頑固な祭司の息子を動かすため、彼方の地より遣わせり、と?「エシュ」の導入で特異点を動かすから「トリックスター」とはいいえて妙だな。それにしてもどうやって設計したんだ。想像もつかない)
(実は設計していない。例の憑依機能を使って別の時空線の霊魂を選んで連れてきた)
(連れてきたぁ?)
(ガイドラインに沿ってスクリーニングした。導入前に調整もした。問題はない……)
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金色の粒にふちどられた雲はアーロンをふわりとうけとめた。同じように隣におちたエシュに手をのばし、守るように腕の中に入れる。
この場所はいったい何なのだろう。目覚めた場所は森で、泉を渡って洞窟に入り、洞窟の底からさらに下へ落ち、次に上と下が入れ替わった。ここが竜の腹の中なら、たとえば俺とエシュは袋に入れられた豆のように竜の臓腑に閉じこめられ、揺さぶられている、ということか?
連続する奇妙な出来事と、さらに奇妙な竜の言葉について、アーロンは自分でも意外なほど冷静に受けとめていた。皇帝や自分が神の駒だということ、エシュは神に自分を殺せと命じられていたこと。
いったいいつはじまったのか。最初に出会った時も、エシュはその命令を知っていたのだろうか。
周囲の壁はあいかわらず乳白色に染まっているが、さっきよりいくぶん暗くなったようだ。突然、自分の腕やエシュに肩に濃淡のある光の帯が横切った。光の中にちらちらと投影された像 が浮かんでいる。
アーロンは眉をひそめ、まばたきした。像はあっという間に切り替わり、まばたきの間の残像でしか捉えられない。雲の隙間や乳白の壁、あらゆるところに映るが、あっという間に流れていく。アーロンはそのひとつに夢でみたあの男の姿をみたように思った。
「やめろ!」エシュがアーロンの腕の中でもがいた。
「そいつを止めろ!」
『そいつもおまえの魂だぞ』
竜がこたえた。エシュが呻くようにつぶやいた。
「どうして俺なんだ……俺が転生しなければならなかった?」
その表情に夢の中でみた男の顔が重なり、アーロンはふいに竜の言葉が真実だと確信した。エシュはたしかに、アーロンが生まれたのとは違う場所から来たのだ。
そう、エシュは他の誰にも似ていなかったのではないか? 最初に出会った時も、予備学校でも士官学校でも、それこそがアーロンを惹きつけて離さなかったのでは?
「エシュ」
アーロンはエシュの胸に手をまわし、強く抱き寄せた。そのつもりはなかったのに胸の尖りに指が触れる。寄り添ったエシュの唇からため息がもれたと思うと、逆に腕をつかまれる。寝台のような白い雲の上でくるりと視界が反転する。
「ちくしょう。何だろうとかまうもんか。そこの竜――アニマだかなんだか、さっさと話せ」
アーロンの胸にのしかかったエシュは上体をそらして宙をみていた。
「話したくて仕方がないんだろう。竜がこんなにお喋りだとは思わなかったぜ。さっさとからくりを吐け。俺はこいつが欲しいんだ。まったくこの場所は――ムラムラさせやがって」
ぬるま湯のように暖かい空気がふわりと流れた。笑い声が聞こえたわけでもないのに、アーロンは微笑の気配を感じとった。
『それでは、一度消滅した世界の話からはじめよう』
『そこには〈地図〉も〈法〉もなかった。ヒトは欲望に従って世界をつくりかえ、産み殖えて地に満ちた。やがてヒトは世界を覆うが、ヒトの重さにたわんだ世界は逆にヒトを襲いはじめ、こうしてヒトと世界の殺し合いがはじまった……もちろん最初に消えるのはヒトだ。世界はヒトよりも先に在るのだから』
竜の言葉が聞こえるが、アーロンはエシュの髪が腹をこするのに気をとられている。黒髪の男はアーロンの足に体重をかけ、股のあいだに顔を埋めていた。舌をつかった焦らすような愛撫がはじまる。尖端を唾液で濡らし、茎をなぞり、ついに口の中ふかくに受け入れてしゃぶりはじめる。
『ヒトはヒトの欲望を消し去ることはできない。存在の精髄を形づくるものを消すことはできない。ではヒトにあわせて世界を調整し、安定させることはできないか? そこで彼らは〈地図〉と〈法〉を世界にもたらし、帝国を作った。欲望の傾向を定めた駒を置き、働かせることにした。〈地図〉を作る「軍人」、〈地図〉を集める〈皇帝〉、皇帝を助ける〈英雄〉それらをつなぐ〈使者〉』
エシュがゆっくりと顔をあげ、アーロンの屹立が頬を叩いた。黒髪の男はこぼれた唾液を拭おうともせずに虚空に向かっていった。
「彼ら?」
『神、あるいは神々、駒の指し手、おまえたちに干渉する力だ』
「おまえはどこにいる」
『私の出番はこのあとだ。帝国と〈地図〉と〈法〉があるだけではだめだったのさ。帝国が|世界図《アニマ・ムンディ》を完成したとたん、この世界は消えてしまった』
「その話なら……前に聞いたぞ。ユルグだ。皇帝がすべての〈地図〉を集めれば世界は消滅する……」
ユルグ。エシュの口から出た名が注意をひいたのも一瞬のことだった。エシュがアーロンの腹にまたがり、自分の指でうしろをさぐりはじめたからだ。両足を広げ、たまらなく煽情的な身振りとともにアーロンの屹立を飲みこんでいく。濡れた熱い襞に包まれる感覚にアーロンは思わず目を閉じた。両手でエシュの尻をつかみ、深く埋めこまれる感覚を味わう。
『おまえは〈地図〉を精製できるから、あれの意味を知っている。地図化は一方通行のプロセスだ。一度精製された〈地図〉は〈法〉で弄り操作できるが、〈地図〉精製前には戻せない。精製された〈地図〉で覆われた世界はおのずから消滅した。そこで神々は悟った。世界には、原理的に地図化を逃れるものが必要だ。だから彼らは私を作った。ヒトに対抗して生きる意思、竜の意思だ。私がこの世界に生まれたとき、辺境があらわれた』
「……あ……つまりこの世界はシミュレーションなのか? ゲーム……のような? 誰か……俺を転生させられるような……存在が作った虚構なのか?」
『しらん。そんなことはどうでもいい。彼らは私を彼らの道具だと思っていた。私の役割は野生の胎、〈地図〉にならぬ未知を生むこと。帝国は〈地図〉を集めて管理するが、辺境は帝国から〈地図〉を奪い、私が生む未知の野生を守る……辺境にも帝国にも神々の駒が配置される』
アーロンは目をあけた。エシュは目を閉じ、尻にアーロンを根元まで受け入れたまま小さく背中を揺らしている。
虚構? ここにいるエシュ、いま自分が感じている体が幻ということがありえるだろうか。アーロンはエシュの腰を支えたまま軽く上に突き上げる。「あぁっ……」叫ぶような声とともに、アーロンを包む襞がきゅっとしまった。
「アーロン……あぁ、あ……ん」
アーロンはしなるように体を揺らしたエシュの胸に指をのばした。堅く尖った胸の先をつまむ。愛しい男が快感にふるえると満足のため息がこぼれる。自分の腹を叩くエシュの屹立を片手で包み、ゆるやかなリズムで愛撫した。エシュがねだるように腰を揺らす。それでも達する瞬間を長く引き伸ばしたかった。エシュとは何年も離れていたのだから、ここがどこであろうとも、できるだけゆっくり――
また竜の言葉がきこえるようになるまで、どのくらいの時間がたったのか。
ふたりはまだ雲の寝台に寝そべっていた。エシュはアーロンの隣で仰向けになり、頭の下で腕を組んでいる。いつのまにかあたりは薄暗くなっていた。乳白色だった壁は灰色に沈み、ときおり橙色の光がまたたいては消えた。竜は前触れもなく話しはじめた。
『帝国はヒトの欲望を肯定し、辺境はヒトの欲望が世界を覆うのを防ぐ。辺境と帝国はつねに均衡する。これでうまくいくはずだった。アーロン。おまえが最後に均衡を壊さなければ』
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