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【第3部 翼の定位】9.無尽
暗闇のなか、アーロンの腕が俺の肩にまきつく。温かい手のひらが背中を撫で、腰をゆるくつかむ。視界は完全な闇に閉ざされて、さっきと同じ空間にいるのかどうかもはっきりしなかった。竜は俺たちを間隙に閉じこめたのではないだろうか? そんな考えが浮かんで消える。
しかしこの暗闇は冷たくはない。逆だ。肌になじんだシャツのように温かくなじみ深い気配がある。これはアーロンのせいだろうか? いまの俺が感じているのはアーロンの肌の感触と匂いだけだ。それに唇――アーロンの唇が俺の首筋に吸いつき、上にのぼる。俺の口に重なり、舌が入ってきて、俺も自分の舌をのばしてこたえる。やむにやまれぬ強い衝動が俺のなかを満たす。
俺たちは水の中のようにねっとりした空気に包まれ、俺はアーロンにしがみついて激しくキスを返す。竜にこのおかしな空間へほうりこまれてから、俺たちは何度も抱きあってきたのに、なぜか全然足りない気がしている。アーロンの指が俺の尻にくいこみ、中をさぐる。ゆるやかな愛撫に俺は我慢できなくなり、唇をもぎはなすが、言葉にならない喘ぎがもれただけだ。
水のように濃い気体のなかで、俺たちはいつのまにかアクロバットでもするような姿勢でつながろうとしている。アーロンが俺の中に入ってくると、キスと同様に何度も経験したことなのに、はじめての時のように胸が震える。きっと何もみえないからだ。俺の中をアーロンがいっぱいにして、奥をえぐられるように何度も突かれる。なにひとつみえないのに星が散ったような気がする。小さな爆発がくるように快感がやってきて、俺は弾き飛ばされる――
(諒、なぜ笑ってるんだ?)
俺は目をひらく。橙色の明かりに照らされた中、気づかうように俺をみつめる眸と視線があう。
(俺、笑ってた?)
(寝言――かな。大声じゃないけど、眠ったまま笑ってるから、びっくりした)
(ごめん。すごく気持ちいい夢をみてた)
俺は男の首に腕をまわす。
(きっと透のせいだ)
透はあわてたような、恥ずかしがっているような表情を浮かべる。
(そ、そうか……よかった?)
(すごくよかった)
透に話している俺の隣で幽霊のように別の俺が立ち上がり、部屋を見まわし、今が|い《・》|つ《・》なのかを思い出そうとする。これは前世の俺が初めて透の部屋に行った時の記憶だ。何度かゲームのイベントで会って、さぐるような会話や視線のあげくに、相手と自分が求めているものが一致しているとわかって、こうして部屋までやってきた。俺たちはドアを閉めるなりキスをして、おたがいの服を脱がせ、体じゅうにキスをしまくって、立ったままさんざんいちゃついてからベッドに倒れ、セックスをした。
あのとき、最初はすこし怖かったのだ――またベッドでいちゃついている前世の俺と透を見下ろしながら、俺はすこしずつ思い出す。透と知り合ったのは、俺がそれまでセックスの相手をみつけていた場所ではなかった。おなじゲームのユーザーに俺とおなじ人間がいるなんて、奇跡かそれとも間違いか。何かの間違いだったらどうしたらいいのかと恐れていた。だがそんなことはなく――透は俺の体に夢中で、俺はそのことが嬉しかった。
俺はベッドのふたりを見下ろす。前世の俺は透の肩のくぼみに頭をのせ、目を閉じている。
おまえ、ずっと寂しかったんだろう?
彼に会えたことが嬉しかったんだろう?
俺の声が聞こえたのように前世の俺が目をあけた。俺に気づいたわけではなく、ぼんやり天井を眺めている。
おまえは繋ぎとめる努力をしなかった。
透が死んでからずっと、そのことを後悔していた。あの日、自分の肉体が消滅したときもそうだった。
おまえは認めようとしなかった。
ずっと寂しかったのに。
「これからどうなるだろう」
アーロンが耳元でささやき、俺は目をあける。
前世の自分をみたと思った、あれは夢だったのだろうか? あたりは真っ暗だ。
それでも触れる肌がアーロンの存在を証明している。俺の存在はアーロンが証明してくれるだろう。
そう思ったとたんに自分でも理由のわからない喜びの感覚が体の底から突き上げて、俺は突然、俺をこの世界に、アーロンのいる世界へ放りこんだ神に感謝しそうになる。
「さあな。待つしかなさそうだ」
俺たちは竜に食われ、今は暗闇の中に閉じこめられている。その時になって俺は突然、俺たちふたりを包んでいるのが空気ではなく液体であることに気づく。温かくさらりとした液体が俺たちを覆っているのに、俺たちは呼吸をしているし、目も鼻も喉も耳も苦しくもない。俺たちはこの暗闇で魚に変えられてしまったんだろうか? 竜は俺たちに何をした?
アーロンが動いた。ぴったり体をくっつけているおかげで、頭の上の方へまっすぐ、俺を抱いていない方の腕を伸ばしたのがわかった。
「変だ」
「どうした?」
「さっきまでなかった壁のような……ものがある。こっちも……」
俺も腕をのばし、指先が堅い表面に当たるのを感じた。ゆっくりと手をすべらせる。まっすぐな壁ではなく、なめらかな球面のように感じられる。突然足先が何かに届く。俺はハッとしてアーロンを掴む。
「この壁、縮んでいる?」
アーロンは答えず、俺を自分の方へ引き寄せる。俺たちは片手で相手を掴み、空いた手でおそるおそる周囲をさぐる。たしかに手に触れる球面がさっきより近づいている。そう思ったとたんアーロンの手が俺をひき、自分の胸へと抱き寄せた。俺たちはまたキスをした。指先に触れる肌をさぐりながら、何度も繰り返しキスをした。
ピシッと、堅いものが砕けるような、割れるような、小さな音が聞こえた。
闇に光が射した。
ひび割れたような細く白い筋が俺とアーロンを照らしている。
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