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【第3部 翼の定位】19.邁進

 鉤爪にロープを結びつけられた飛竜が音もなく流れる水の上を飛ぶ。ハーネスとロープに装着したランプが暗い水面に点々と反射し、地底の空間はぼんやり輝いている。星屑のようにきらめくのは岩盤にむき出しになった鉱物の結晶だ。  竜が飛んでいるのは尾が水に浸かりそうなくらいのぎりぎりの高さで、鉤爪のロープは小舟を曳く牽引具につなげられている。小舟の上には地竜が二頭、そのあいだで砦の人間が手綱を握っている。小舟を曳く竜はさらに五頭つづくが、最後の舟には荷箱しか積んでいない。  俺は列のしんがりを飛ぶツェットの背で竜たちの声に耳を傾ける。小舟を曳く飛竜も小舟に乗る地竜も、家畜化された標準竜種だ。荷役や掘削、耕作などでおなじみの竜たちで、俺も子供のころはこんな竜たちの世話をした。  荷役の飛竜は帝国軍の騎乗竜よりひとまわり小さく、飛んでも速度も高さも出ない。そのかわり辛抱強くて耐久力があり、指揮する人間に従って荷車や舟を曳く。地竜は図体は大きいが群れと共にいるかぎりは穏やかな性格である。  隊列の先頭を騎乗竜で導いているのはタキだが、俺は水の上を行く竜の声をきいている。俺たちは竜だけが知っている大深度地下の水脈をたどって、城壁都市に向かっているのだ。  俺はアーロンのことを考えないようにする。あいつが出発して三日になるが、シュウはコードを受け取っていない。  俺たちがアニマ・ドラコーに呑まれた時、共に消えたはずの剣をアーロンが持っていることも、俺は考えないようにする――考えてもわからないことを考えてどうする。それに、俺には今やるべき作戦がある。 『エシュ、係留地点だ』  タキの声が耳元に響く。ぶつぶつと途切れるようなぶっきらぼうな口調に俺は慣れはじめていた。小舟の列を曳く竜がゆったりした動作で地底の川のほとりに着地する。彼らの安堵した感情が伝わってくる。標準化された竜たちは野生竜のように尖ったものをぶつけてこない。彼らは人間がいるのがあたりまえの環境で生きてきたから、人間がいないと不安になる。  タキが選んだ係留地点は巨大な洞窟の一角だった。深い地底にもかかわらず空気は淀んでいない。ひとの目には暗すぎるが、竜たちはわずかな光で十分なようだ。  俺もツェットを着地させ、背からすべりおりてハーネスを外した。出発前に高エネルギー食をたらふく食わせたから、まだ空腹ではないはずだ。やんちゃするなよと語りかけると、ツェットは馬鹿にするなといいたげにひと声「キュイ!」と鳴いた。  洞窟の中央ではキャンプの準備がはじまっていた。飛竜が舟を曳いていたロープはテントの支柱に結び付けられ、ランプの明かりが洞窟の広さをあきらかにする。積まれた荷物はそのままで、キャンプに必要な物資だけが下ろされた。  地竜たちは水辺でゆったりと水を飲み、満足したものから人間が広げた餌へのそのそと群がっている。飛竜はすこし離れたところへ集まり、地竜よりはにぎやかに食事をはじめている。俺も自分の寝場所を確保しようと寝袋を広げた。  俺たちの目標は、城壁都市だ。  城壁都市は帝都を広域でぐるりと囲む円環状の巨大な構造物である。人が住む中枢は構造体のごく一部にすぎず、円環のほとんどは〈地図〉と〈法〉で稼働する、帝都へのエネルギー供給施設になっている。 〈黒〉と変異体がいる中枢部分へ侵入をはかるのが第一隊――俺とタキとシンの三人だ。地竜のいる第二隊は掘削部隊で、中枢とは真逆の円環の向こう側――装置の中継点をめざす。竜の地下水脈の終点から、シュウが用意した道具と地竜を使って地下を掘るのだ。そしてこれからやってくる第三隊は、第二隊の穴掘りのあとで第一隊の補佐にまわる。 『エシュ、タキ!』  通信機から砦にいるシュウの声が響いた。俺はタキのいるテントのそばへ急いだ。 「来たのか? シュウ」 『ああ。更新コードがわかった。今はどの辺り?』 「第一係留地点だ」  タキが答えた。俺の視線の先ではツェットが尻尾で水をぴしゃぴしゃと跳ねさせていた。遊んでいるのだ。あいかわらず落ち着きがない竜だった。 『アーロンはうまくやったらしいね。帝都との定時連絡が傍受できた。これから逐一そっちへ流すよ。第一係留地点ってことは予定通りか』 「第三隊の準備はどうだ? 機材の手当ては?」 『そこは問題ないけど――』急にシュウの声が小さくなった。 『なんだって? おい、それはちょっと――』 「どうした?」  タキが叫ぶようにいったが、通信機はなしのつぶてだ。その時だった。  俺を取り囲む空気に圧力のようなものがかかる。押しつぶされるような、体を横にねじまげられるような衝撃が走り、同時ににゅるりと視界が歪む。ねじれた空間を叩き切るようにきらめく青い光がひらめいた。光の中から黒い翼の影が飛び出し、グワーッ!と声をあげる。 「なんだ?」  タキが叫んだ。俺の目の前、竜の金臭い呼吸が顔にあたるくらいの距離で、野生竜が眸をぎらぎらと輝かせている。孵化場にいた竜――卵を護っていた守護竜だと俺はすぐに気づいた。黒褐色の翼がはためいた次の瞬間、俺の視界、いや頭の中で、こことは別の場所の像が点滅した。  ――孵化場。虹色の卵。取り囲む人間たち。 「おい! 孵化場で何が起きている?」  目の前の竜が俺の問いかけを理解したのかどうかはわからない。竜は――ハーネスもつけていない野生竜は口をくわっとあけた。牙がぎらぎらと輝いて俺は首をすくめたが、竜は翼を広げ、鉤爪をもちあげ、俺の頭の中にさらに像を送りこんでくる。  ――卵、翼、そして寒気の闇。死の静けさ。  その意味を理解すると同時に俺はつぶやいていた。 「わかった。おまえと行く」 「エシュ?!」  タキが叫んだが、俺はすでに野生竜の鱗に手をのせていた。背中によじ登り、首のごつごつした突起にしがみつく。問いかけるようにツェットが鳴いたが、竜は元帝国の騎乗竜をじろりとみただけだ。俺が首の根元のコブに足をのせたとたん、野生竜は翼を大きくひらいた。鱗におおわれた体が宙に浮くと同時に俺もふわっと持ち上げられたような感覚につつまれる。  くるりと視界が反転した。  洞窟の天井の、むき出しになった鉱物の結晶が星屑のように輝いている――そう思ったのもつかのま、尖った星屑が矢のように俺の上に降ってきた。星の矢は俺の体、俺の全身に刺さり、切り裂き、つらぬいた。俺は叫び声をあげ、竜の鱗をかきむしる。ぶわっと青い炎が鱗の表面でゆらめく。  はじまったときと同様に、唐突に痛みが消えた。目の前が暗転して、また明るくなる。遅い午後の光がみえた。地底にはない太陽の輝きだ。俺は目を瞬いた。  キイィィィィーー!!  竜がいっせいに鳴いた。標準種ではない、野生竜たちだ。何頭もの野生竜がひらひらと虹色の卵の上を飛びかい、卵に手をかけようとする人間たちを追い散らそうとしている。俺は孵化場の真上を飛んでいた。ハーネスも鞍もなしで飛ぶ竜に乗るなど、トゥーレ以来だ。急降下する竜の首にしがみつく。虹色の卵の真上で竜は鳴いた――いや、吠えた。  グォオオオオオオオオ!!  全身が咆哮でびりびりと震える。その瞬間、俺は竜の怒りの原因を理解した。  ここにいる人間たちは虹色の卵を持ち出そうとしていた。卵にはふさわしくない場所、極寒の無人地帯へ。竜が岩の上に鉤爪をのせるのと同時に俺は背中からすべりおり、杖を握った。使い古された法道具だ。 「ここから下がれ! 何をしている!」 「エシュ? どこから現れた? どうしてここに」  ユルグの禿げ頭に俺は古めかしい杖を向ける。浴びせたのはただの砂礫だが、喧嘩のやり口としては効果的なはずだ。ユルグはいまいましそうな表情でさっと後ろに退いた。 「たしかに作戦中だ」俺は杖をあげたままいった。 「アーロンが帝都へ潜入して帝都の竜を寝返らせると同時に、こっちは城壁都市を乗っ取る。帝都に動力を供給するエネルギー変換環を押さえ、反帝国が失敗した『城壁事件』を成功させ、帝国の中心を内と外から押さえる――ほかの長老たちも賛成しただろう?」  一歩前に出て足をひらき、片手に杖を握ったまま腕を組む。もうすこしガタイがよければいいのに、というどうでもいい考えがうかぶ――アーロンの方がサマになるだろう。 「ところがキャンプの用意をはじめたとたん、守護竜が迎えに来た。たった|今《・》のことだ。俺はどうやら、竜の|間隙《かんげき》を通ったらしいぜ」  間隙。口に出したとたんにざわめきが起きた。ユルグは苛立った声でいった。 「馬鹿な、ひとは間隙をくぐれない――」 「じゃあなぜ俺はここにいるのかな。で、どうしてその卵を動かそうとする」  黒褐色の竜の翼が威嚇するようにもちあがったが、ユルグはひるまなかった。 「たしかに私以外の長老は認めたが、おまえのその作戦が必ずうまくいくといえるのか。この卵は最後の希望だというのに。おまえの軽率な計画が神の声に従ったものといえるか? 私たちはこれを守らなければならない」  俺は腕を組みなおした。 「あいにく竜は逆効果だといってるぜ。あそこは寒すぎる。おまえには竜の意思が伝わらないから、わざわざ俺を呼びに来たのさ」 「何をいう。私は竜どころか、神の声を聞いているのだ。ずっと――おまえが山地を離れるまえから」  神ね。  あの竜の空間で話していたやつら、この世界の設計主、俺をこの世界へ連れてきたやつら。  俺はユルグをみつめながら、同時に竜たちの眼を借りる。頭の中に複数の視界、無数の情報がなだれこむ。一瞬のうちに考えをめぐらし、俺は賭けに出た。 「わかるぜ。なぜなら俺も神によってこの世界に呼び出され、うっとうしい命令を押しつけられてきたからさ。なあ、ユルグ。おまえが最後に『神』の声を聞いたのはいつだ?」  ユルグのひたいに皺がよった。 「最後などない。神はずっと私を見守りつづけている」 「ほんとうにそうか?」俺は竜の翼を背にして、大きく一歩、ユルグに近づく。 「俺とアーロンが竜に呑まれたあと、神の声は消えてしまったんじゃないか? そのかわりこの虹の卵があらわれた。おまえは世界竜の棲み処へ行こうとしているんだろう、ユルグ。その卵から生まれるのは世界竜の跡継ぎだと信じているからだ。ひょっとしたらその予想は正しいかもしれない。だが竜の卵は繊細なんだ」 「――そこまでだ。ユルグ」  数人の声が同時に響いた。長老たちがユルグを囲む。シルト老が一歩前に出た。 「皆が合意したことを勝手に破るな。おまえの弟子をたきつけるのもやめておけ。不安はうろんな行動ではなく、言葉で伝えるものだ」  太陽の光が斜めにかたむき、俺は時間を意識した。作戦はまだはじまったばかりだ。俺はユルグをみつめたままいった。 「この卵は守護竜に任せろ。彼らは役割を持っているし、その声は俺に届く。間隙を無理やり通されるとは思わなかったが、彼らは必要ならこうやって、俺を運ぶ」  ユルグは不満そうにうなずいたが、シルト老の眸は対照的にきらりと光った。卵を持ち出そうとしていた若者たち――ユルグに同調していた一団――が他の長老に囲まれて引き下がると、野生竜の興奮はたちまち静まった。空は夕暮れの色に染まりつつある。早く戻らなければ。 「エシュ、本当に間隙を通ったのか?」  ところがシルト老の口調は好奇心丸出しだった。このまま質問攻めにされても困るというのに。実際のところ、俺はただ竜の首にしがみついていただけだ。 「一瞬で転移したんだ。そうとしか思えないだろう。寒かったし痛かった」 「痛い――そうか」 「面白がるなよ。俺は早いところ戻りたいんだが」  俺は虹色の卵をふりむいた。俺をここまで運んだ竜がまた乗せてくれる――ようにはまったく見えなかった。もう用事はすんだとばかりの無関心ぶりで孵化場をうろうろしている。  まったく、必要な時だけ呼び出すのか。しかしまた竜の首にしがみついて間隙を通るなど、ぞっとするのもたしかだった。アニマ・ドラコーといい、竜が人を転移させるやり方はなんとも乱暴だ。 「僕の(ファウ)で一緒に行こう」  きびきびした声が背後でいった。 「シュウ、さっきは大丈夫だったのか?」 「ああ、保温器がどうとかいってユルグの弟子がうるさかったんだ。第三隊の準備ができたと今タキに伝えたよ。エシュがここにいるってこともね」  シュウは腕に抱えた箱をのぞきこんだ。 「帝国軍の傍受もできるようになったし、機材の調整もすんだ。エシュ、城壁都市には僕も行く。侵入部隊に加わりたい」

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