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【第3部 翼の定位】23.反逆

 厩舎は物音ひとつしなかった。仕切りの中で竜たちは首をまるめてうずくまり、微動だにしない。  俺はいちばん端の仕切りに座る竜に触れる。変異体の外見はみなちがう。この竜はヒメル、ティッキーが乗っていた。空色の鱗は宝石のように輝いているが、触れてもぴくりとも動かない。俺は竜の腹側にしゃがみ、呼吸のしるしをさがした。 「新陳代謝が極限まで落ちている」ティッキーがいった。「飲み食いどころか、排泄もない。変異体全部がこのありさまだが帝都の『エシュ』は問題にしていない。俺たちは待機しているだけさ」 「まるで実体化させる前の〈地図〉の精髄(エッセンス)まで還元されたみたいだ」俺の隣でシュウがつぶやく。「形態こそ竜だけど、これじゃ……」  ドルン――いや、皇帝は竜石を使って何をしたのか。 (私は時の流れが作り出す力で生きている)  俺は竜の魂(アニマ・ドラコ―)の言葉を思い出す。あれとは反対に、この竜たちは時の流れを止められてしまったみたいじゃないか? 時の流れ――ふいにさむけが背筋を駆け下りていった。野生竜が俺を乗せて間隙を通ったとき、俺はどんな状態だったのだろう。  俺はヒメルの鱗を撫で、考えをまとめようとする。ティッキーによれば変異体がこんな状態になったのは、皇帝から〈黒〉が出動を命じられなくなって数日後のことだ。それまでは帝都から命令がくるたびに、皇帝が指揮するドルン――といっても皇帝陛下がドルンの背に乗っていたわけではないという――に率いられ〈黒〉は出動した。 「どの出動もすぐに終わった」ティッキーがぼそりと付け加えた。 「戦略もなにもない力技だ。こいつらは俺たちを無視してドルンに従い、焼けるものは焼き、破壊できるものは破壊する。竜たちは無敵で、俺たちの後味は悪かった。で、反乱者たちの動きがほとんどなくなったと思った頃に、あの礼拝がはじまってね。驚いたのなんのって」 『エシュ』が皇帝の隣にあらわれたのはそれ以来だという。まもなく使者が城壁都市へ派遣され、団長――俺ではない俺――のメッセージをもたらした。立体像が〈黒〉全員の前で、竜石を得た皇帝陛下の力で死の淵から蘇り、この世界に連れ戻されたと告げたという。変異体が停止したのはその夜のことだ。 「竜石の力、ね」俺は思わず顔をしかめた。 「山地の〈異法〉もあんな不気味なことはできないぞ」 「あれは模造生物(ホムンクルス)だ」  いきなりシュウが断言する。 「ホムンクルス?」 「人を〈地図〉にすることは禁じられている。でも地図化に失敗した〈精髄(エッセンス)〉のかけらを合成して新種をつくる計画があったんだ。僕が以前いたラボで同僚が取り組んでいた。彼は城壁事件の時に行方不明になり、そのあと計画は中止されたが……たとえ方法が確立されても、実際にホムンクルスを作り出すにはとてつもない〈法〉能力が必要になると当時もいわれていた」 「竜石を手に入れた皇帝にはそれが可能になったということか。しかしよりによって『俺』を作らなくてもいいだろうに、胸糞悪いぜ。そのホムンクルスの登場と変異体の停止には関係があるのか?」 「わからない。僕はホムンクルス計画のことは今の話以上のことを知らないんだ。変異体については……ドルンはどうだ、エシュ? ドルンも他の変異体も、最初はエシュの〈異法〉で群れを作ったんだろう?」 「ドルン――」  俺は孤独な灰色竜のことを考える。あいつは俺と〈(テイ)〉を繋いでいたが、俺以外の竜とも繋がっていた。群れの仲間が強制的に眠らされ、あいつはまたひとりになったのだ。 「――皇帝が竜石で連中を眠らせたというのなら、せいぜい揺り起こしてやるさ。ティッキー、シュウ――俺から離れてくれ」  俺はヒメルをみつめた。空色の鱗に覆われた竜の首は折りたたまれたように体にぴったりくっついている。俺の意識は自然に彼に向かう。伸ばした手のひらがヒメルに届いたとき、いつのまにかそれは人の手ではなく竜の翼に変わっていた。俺の意識の底にいた竜が翼を広げ、首をのばし、鉤爪を蹴って宙に舞い上がったのだ。 (アニマ・ドラコー?)  俺は無意識のうちに遠くへ呼びかけていた。 (俺のなかにいるのは、おまえか?)  いまや翼となった両手を広げ、俺は仕切りの上から厩舎にうずくまるすべての変異体を見下ろし、何度も何度も羽ばたいていた。翼の先から光る力の糸が伸び、からまって繊細な編み目を生み、竜たちをふわりと覆う。俺はさらに羽ばたきを続ける。首を丸めてうずくまったまま光の網に覆われた竜たちは孵る前の卵のようだ。そう考えた次の瞬間、俺はこの比喩が事態を正しくいい当てているのだと思い当たる。  。  俺はせっせと翼を動かし、光を紡いだ。光の源は俺の中からやってくる。俺は翼で竜の名前をなぞった。ヒメル。エーレ。メテオ。クヴェル……皇帝がコレクションした〈地図〉からこの竜たちを実体化し、育てたのは俺だ。  。   光の網のしたでもぞりと丸いものが動く。網目を食い破るようにして竜があちこちで首をもたげる。いくつものくちばしがせわしなく動き、生まれたばかりの仔竜のように俺の翼が紡ぎ出す光の網に食いつく。俺は大きく翼を振り、光の網をまるい珠にまとめ、竜たちへ放り投げる。くらりとうしろに傾く感覚が襲い、肉体の感覚が戻ってくる。  あたりが騒がしい。竜が鳴いているのだ。背中が冷たかった。俺は床にのびているようだ。照明が眩しすぎて目を閉じる。竜の羽ばたきと唸り声につつまれて、心の底から安らぐのを感じた。顔のすぐ上でティッキーの声が聞こえた。 「たしかに、おまえはエシュだな。他の誰にこんなことができる」  俺は目をひらく。〈黒〉の連中が取り囲んでいる。士官室にいた者たちだけじゃない、全員だ。ティッキーが俺の横にかがみこんでいた。全身が心地よい疲労と脱力感に満たされている。竜の意識が感じとれた。目覚めたばかりで、まだ腹が減っている。俺を群れの一員だと認めている。俺をみおろす〈黒〉の連中の目にもそれがみえる。 「いったいこれからどうする気だ? ――にやにや笑うなよ」 「悪いな。前任者ゆずりさ」  俺はゆっくりと体を起こした。まだ頭がくらくらする。それでも、前に黒鉄竜に対して竜石の〈異法〉を使った時のように消耗していないのが不思議だった。 「タキ、シン、姿をみせてくれ。いいか、〈黒〉は城壁都市を獲るんだ。俺たちは帝国から独立する」 「まったく、カードなんかやってる場合じゃないな。死んだはずの人間が帰還するのが流行りらしい」  帝都の速報を告げるジャーナルをティッキーがテーブルにほうった。フィルがすばやく拾い上げる。 「〈黄金〉のアーロンが生還?」 「おまえがいった通りになった」 「だろ」  士官室の椅子の感触は帝国の標準仕様だ。呆れ顔のティッキーへにやりと笑ってみせ、俺は湯気のたつマグをそっと吹く。 「で、離脱希望者は?」  俺の問いかけにティッキーは首をふった。 「あいにくだが団長、ひとりもいない」 「そいつはおかしい。おまえたちは帝国に忠誠を誓ってるはずだ。何人か離脱するのは予定のうちだぜ。そのかわりしばらく閉じこめられてもらうが」  ティッキーは俺の前の椅子にドカッと腰をおろした。 「そうだな。エシュとあの反帝国のふたりだけなら違ったかもしれないが、竜が息を吹き返した。おまえを群れの長と仰いでな。で、〈黒〉はみんな|竜《あいつら》と離れたくないんだ」 「それに本当の意味で帝国への反逆になるかどうかはわかりません」  フィルがジャーナルをめくりながらいった。 「〈黒〉は皇帝の直属部隊ですが……皇帝の、です」  おいおい。俺はフィルに向かって目配せした。なるほど、彼がこんなことをいうとは、俺のいないあいだに帝国軍の雰囲気はずいぶん変わったものだ。  フィルは俺のいいたいことをくみとったらしい。 「〈黒〉が竜石作戦から帰還して以来、帝都の状況はめまぐるしく変わっています」 「状況報告をまとめてくれるとありがたい。シュウも知りたいだろう」  フィルはうなずき、俺は杖をふるとテーブルの上に城壁都市の構造図を呼び出した。  この都市は一度、反帝国に乗っ取られたことがある。しばらく続いた占領状態を解除したのは、イヒカが率いる当時の〈黒〉だった。いわゆる『城壁事件』だ。あのときは俺とアーロンも一役買った。  つまり俺たちはこの都市を攻略する手順を知っている。  この都市には全体の構造を支配する〈地図〉がある。これを操作することでいつもの道は迷路になり、全住民に行動制限をかけられる。この都市が非常時に帝都を守る最後の要塞になるよう、設計されているためだ。さらに城壁事件のあとに強化された監視のシステムとその〈地図〉もある。  この都市にあるものはそれだけじゃない。帝都の主要な動力源となる設備とその〈地図〉もあるのだ。そしていま、その動力源に向かって、辺境の砦から地底の竜の道をたどっている部隊がいる。  迷路化した城壁都市で鍵になるのは竜たちだ。上下の移動に使われる飛竜、それに〈黒〉の変異体。以前ここを押さえた反帝国は、辺境ではなく都市からやってきた連中だった。彼らは竜をうまく扱えず、失敗した。  今度は逆のことが起きるだろう。 「では団長、作戦会議を」 「ああ。全員を集めてくれ」  俺はカップを傾け、慎重に熱い飲み物を啜る。一年ぶりに味わう帝国軍のモカが、脳髄と全身にしみわたる。

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