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【第3部 翼の定位】25.斬撃

「〈黒〉のエシュだ。陛下の勅令により査察を行う。そこをあけろ」  コンソールに向かっていた役人たちがいっせいに顔をあげる。城壁都市の中央管制室は広く、壁一面がモニターで覆われている。俺はずかずかと歩いていき、後方の司令デスクに陣取る責任者の前に立つ。中年の男は俺をみたとたん怯えた表情になる。 「〈黒〉のエシュ殿……! いつこちらへお越しに」 「いつでも来れるさ。俺の軍団がここにいるんだからな」  周囲で小さなざわめきが起きるがもう遅い。すでに〈黒〉の連中が靴音も高くどかどかと入りこんでいる。俺は全員に席を立つように命じる。 「で、では私がご案内を……」 「いや。全員別室で待機し、そのあいだ職務についての聴取を受けてもらう。必要な場合は呼びに来る。フィル、先導してくれ」  行政区分上、城壁都市は帝都の出先機関だ。日常的な管理は行政庁の役人たちが行っているが、非常時には軍事施設にも転用できる設計だから、帝国軍もこの都市の管理情報を知っている。それどころか、帝国軍の一部は彼ら役人がアクセスできない情報にアクセスできる。  ティッキーがすでに作業にかかっていた。通常モードから緊急モードへ変更し、都市の操作権限を〈黒〉へ移行する。俺は首の通信機に触れ、タキとシュウにつながるチャネルをひらいた。 「こちらエシュ。管制室を掌握。リングの警備システム解除に成功」 『了解。作業にかかる』タキが答えた。 「作業時間は見込み通りか?」 『たぶんね』今度の返答はシュウだ。『集中したいからこっちに〈碧〉が押し掛けないようにしてくれ』 「了解。こっちも作業中だ」  俺はチャネルを切り替えた。管制室のモニターに〈黒〉の変異体が映っている。何が起きているのかを知っているのは今のところ〈黒〉だけ。  とはいえここ何日かのあいだ、何かが変だと察している者がいても不思議はない。たとえば俺とシュウがここへ侵入した時に制服を借りた〈碧〉の隊員は、自分たちがいるはずのない場所で目覚めてさぞかし驚いただろう。通常なら上官に報告したはずだ――もっとも制服を戻したとき、ポケットに軍規違反の葉っぱを入れておいたから、適当なことをいってごまかしたかもしれないが。  高度に情報化された都市は諸刃の剣だ。俺たちは手早く警報や監視映像のシステムに介入し、〈碧〉や〈灰〉が不審に思う情報をシャットダウンする。緊急モードに変更した管制室のモニターはめまぐるしく移り変わった。別室へ入れた役人たちの様子も監視映像に映っている。やがて〈黒〉がここを乗っ取ったと気づかれるにしても、いまは時間を稼げばいい。 「城壁事件」を起こした反帝国のように、俺は防御機構を発動して都市の迷路化を始動。住民がアクセスできる情報を制限し、皇帝陛下の勅令により非常対応の訓練が開始されたという偽の告知を流したうえで、飛翔台の使用を禁じた。この都市のインフラを支配する〈地図〉は管制室につく前に掌握済みだ。  いまごろ、この都市の反対側にあるリング構造体の底部では、シュウが辺境の反乱者と共に帝都のエネルギー基盤を乗っ取っているところだ。〈碧〉が足止めされたのを確認して、俺はまたタキにチャネルをつなぐ。俺が変異体を率いて帝都へ向かうとき、辺境部隊にはこの都市を制圧してもらわなければならない。 「合言葉は〈虹の卵〉だ」そう伝えると、通信機の向こうでタキが笑ったような気がした。 「帝都には〈黒〉が行く。システムと竜を把握して守ってくれ」 『わかった』  すぐさま声がシュウに切り替わる。 『エシュ、作業は順調だ。帝都の生命線はもうこっちのものさ。アーロンから連絡は?』 「まだだ」  偽の『エシュ』が宮殿にいるとなると〈黄金〉に直接連絡するわけにもいかない。しかしアーロンの動きの一部はわかっていた。帝都のメディア報道のためである。アイドルなみに取材を受けている上に、明日の夕刻には帰還祝賀会が宮殿でひらかれると華々しく予告されている。あいつは俺の偽物に会っただろうか? 『計画に変更は?』 「ない。祝賀会のどさくさに紛れてレベルを下げる。気づかれないように、少しずつだ」  ツェットの首が帝都の方向へぐいっとのびる。〈黒〉の変異体たちは闇の中をゆったりと飛んでいる。帝都のあらゆるインフラを動かしているエネルギーのレベルは今、ゆっくりと下がっている。しかし帝都の夜景はまだ地上の星のようにきらめいている。中央部分――宮殿がある地区の上空で、光の花がひらいては散った。 『お祭り騒ぎの最中らしいな。呑気なもんだ』通信機のむこうでティッキーがいう。 「ああ、人間はまだ気づいていない」 『人間以外なら?』 「竜はわかる。あんたのヒメルも感づいているぞ。もう少し暗くなれば騒動がはじまるはずだ」 『帝都のから連絡は?』  もちろんそれはアーロンのことだ。たったひとりでも部隊といえるだろうか。いや、エスクーとあわせればふたりか。帝国軍の竜はにぶいかもしれないが、エスクーはちがう。アーロンと〈(テイ)〉で繋がっているのだ。  俺は返事を保留して、ツェットの背中に座ったまま飛翔する竜たちの意識をたどる。俺たちがあとにしてきた城壁都市の内部ではとっくに混乱が起きている――いや、起きていた。というのも、早々に鎮圧されたからだ。  何者かに都市の中枢を乗っ取られたと気づいた官僚やその他の住民たちが騒ぎだしたときはもう遅く、外へ出ようとしても彼らには手段がなかった。迷路化した街路には武装した者たちがいて、人々を住居の中へ強制隔離している。飛翔台に通じる入口は封鎖され、飛竜たちは都市の周囲をひらひらと飛び回っている。俺は彼らにこの都市を守り、外に誰も出すなと命じた。地上づたいに帝都へ行こうと考えた者がいたとしても、飛竜の目は見逃さない。  さて、アーロンは帝都の竜たちを叩き起こせただろうか。 『これだけ接近しても哨戒竜も飛んでこないぞ』 「タキが城壁都市から偽情報を流したからな」 『なるほど。辺境には人材がそろっているとみた』 「それはどうだか」 〈黒〉が乗る変異体は夜間飛行の規則を無視し、暗い空にとけこんでいる。煌めく星の海のように輝いていた帝都の周辺がパッ、パッとまたたきはじめる。次に中心が丸く、闇におちた。 「はじまった。行くぞ!」  急に速度をあげたツェットの上で俺は背中を丸め、空気抵抗を小さくする。〈黒〉がめざすのは宮殿ではなくその隣にある行政庁の区画だ。地上は真っ暗――すぐに機能するはずのバックアップが動かないのは、シュウがサブの供給システムまでハックしたせいだ。 「何が起きた? 確認しろ! 通信は?」 「〈碧〉か? 怪我人が出ている、救助を――」  いきなりすべてのエネルギーがカットされ、混乱しきった状態のなかで、官僚たちが右往左往していた。ツェットが速度をゆるめて旋回するなか、俺以外の〈黒〉は五つの小隊に分かれ、行政庁の敷地に分散する。  そのときだ。エスクーの鳴き声が聞こえたように思った。いや、実際に竜の声が耳へ届いたのではなく、俺の〈(テイ)〉に響いただけなのだが、それを悟るまで数秒かかって、俺はつい左右をきょろきょろと見回してしまった。ツェットの目がぐるりとうごいて、眸が俺を馬鹿にしたように縮まる。あいかわらず生意気な竜だ。 「ティッキー、行政庁がにぎる〈地図〉をすべて確保しろ」 『了解、団長』  変異体の背から〈黒〉の連中が地上へ降りるのがみえた。また竜が鳴いた。今度は本物の鳴き声だ。一頭ではない、何頭もが唱和している。俺は何も命令していないのに、ツェットは迷わず翼を羽ばたいていた。竜が首をのばした先で、俺は黄金の竜を確認する。 「エスクー!」  帝国軍の竜たちが宮殿を取り囲むようにして羽ばたいていた。エスクーは地上に降りている。俺は瞬時にエスクーの目に乗りうつっていた。アーロンがこっちへ手をさしのべている。  ――アーロン。  俺はそう呼びかけたつもりだったが、人間の言葉のかわりに飛び出したのはエスクーのさえずりだった。アーロンがぎょっとしたように俺をみた。 「エシュ、そこにいるな?」  俺はうなずき――次の瞬間、ふたたび自分の体に戻っていた。あいつが俺をみて、わかった――それだけなのに、喜びで頭がはちきれそうだ。くらくらしながらツェットのハーネスを握りしめると、竜体が鞍の下で大きく揺れた。ツェットは二度、三度と翼を大きく動かしている。  おかしい。どうしてこんなに羽ばたく必要がある?  答えはすぐにわかった。風が止まっているのだ。さっきまで穏やかに吹いていた風が、急に不気味なほど静まっている。と、金臭い匂いがあたりに充満した。宮殿を取り囲んでいた竜たちが何かに押されるように離れていく。空間が揺らめき、空中に巨大な灰色のかたまりがあらわれる。 「ドルン!」  俺は鞍の上に立ち上がり、叫んでいた。棘だらけの灰色竜は空中をゆらゆらと飛んでいるが、眸には薄い膜がかぶさっている。 「! !」  俺はまた叫び、杖をかまえた。〈法〉の一撃が竜へふりかかる。  とたんにドルンの眸が青く輝いた。くわっとひらいた口腔にも青い光が充満し、せりだして光の矢になると、俺に向かってまっすぐに撃ちだされた。

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