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終章 珠玉
夜明けの空はほのかに明るく、地平線の上には薄い雲がたなびいている。南に向かって灰色の巨大な竜が翼をゆっくりとはためかせ、そのすぐ隣を小さな白い竜がついていく。灰色竜の翼が作りだした気流が、横から吹く風の流れとまじりあう。
飛んでいく竜たちを見送るように、そびえたつ岩山の頂上から二頭の竜がならんで南の方角を向いている。ようやく昇りはじめた日の光が彼らを照らす。一頭は黄金にきらめき、もう一頭は首をのばしてさえずりを響かせる。お互いに頭をすり寄せている様子から、二頭のあいだに絆があると知れる。
岩山の上には他にも生き物がいる。人間がふたり、竜の背から降りて南の方角を見守っている。長身の男と、それよりは小柄な黒髪の男。ごく近くまで寄れば、黒髪のあいだに金の房が混じっているのに気づくだろう。夜明けの山の空気は冷たく、ふたりの吐く息は白く凍っている。
わたしはこれらの光景すべてを、わたしの心のなかでみている。
わたしは灰色の竜の翼に守られながら空中をせっせと羽ばたいている、まだ幼い白い竜だ。
しかしわたしは、この世界が最初につくられたときに生まれた竜でもある。わたしはこの世界でもっとも若く、もっとも年老いている。
とはいえ、わたしはこの世界の|理《ことわり》をすべて知るわけではない。今の姿で蘇るまえのわたしの記憶はおぼろげだ。次のことがらは理解している。わたしはもうすこしで消滅するところだった。あの岩場に立つ人間たちが、わたしの卵の殻を破った。この世界はあの人間たちによって蘇り、自立した。
わたしと、わたしを庇護する灰色竜は、南へ向かっている。竜だけが生きられる、人間たちが暮らせない領域に、わたしのふるい棲み処があるのだ。
そのあとのことは、まだわからない。何しろわたしは生まれたばかりなのだ。生まれてまもないわたしの心は、これから自分が出会う世界に期待してわくわくしている。わたしのなかで眠っている、世界でもっとも年老いた心は、ただじっと時を待っている。
黒髪の男が、灰色竜に向かって手をふる。
彼は灰色竜と絆を結んでいる。彼こそがこの竜をこの世に呼び戻し、育てたのだ。世界の果てまで行こうとも、彼と竜の絆は消えないだろう。
灰色竜は黒髪の男の隣に立つ人間も覚えている。この人間たちのあいだに絆があるからだ。
竜は、生き物のあいだに伸びひろがる絆を通して、世界を記憶する。
わたしのなかのおぼろげな記憶は、わたしが生まれるまえの世界は今とすこしちがっていた、と語る。
あのふたりの人間によって、竜は世界を記憶するすべを取り戻した。
記憶の網でこの世界は支えられ、虚空のなかで実体を得る。竜の記憶につつまれたこの世界は、宝玉のように輝いている。
灰色竜とわたしは、輝く世界のなかを飛んでいく。すでにずいぶん遠くまで来た。あの人間たちの眼には、もうみえなくなったにちがいない。
彼らはこれからどこへ行くのだろう。
人の生はとてもみじかいと、わたしは知っている。わたしはいうにおよばず、多くの竜よりもずっとみじかい。しかしあのふたりはこの世界に不可欠な何かとして、記憶の網のいたるところに存在しつづけるにちがいない。
そんな存在のことを、人間は何と名付けたか。
わたしの古い記憶がこたえた。
まるで神のようなものとして?
いったいあの人間たちは賛成するだろうか。
わたしの古い記憶の底から、今度は快活な笑い声が響いた。
そのとたん、わたしは悟る。
彼らはきっと笑い飛ばしてしまうのだ。
神々は去り、世界だけが残った。
(『彼を殺して英雄になりなさい』終)
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