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第154話 見えない糸6
「智くん?」
瑞希の声が聴こえて、智也は白昼夢から解放された。途端にスタジオのスタッフの声や機材の音が、うわーっと一気に押し寄せてくる。
「ぁ。うん? なんだい?」
咄嗟に普通の声を出そうとして、思ったより声が大きくなった。瑞希は目を丸くして、人差し指を自分の口に押し当てると
「智くん、声」
「あ、ああ……ごめん」
智也はちらっと周りを気にしてから苦笑した。瑞希は笑いをこらえながら伸び上がってきて、智也の耳元にそっと囁いてくる。
「大丈夫? 智くん、なんか……魂飛んでた」
智也もつられて苦笑すると
「大丈夫、だよ。ここ、暑いからね、ちょっとぼんやりしただけだ」
瑞希は首を傾げながら頷いて、再びセットの方に目を向ける。
「祥悟さん、やっぱりすごい綺麗だ」
声を潜めながら感嘆のため息を漏らす瑞希に、智也はほっとして頷き、でも祥悟の方に再び目は向けられなかった。
もう大丈夫だ。
自分は祥悟を忘れられる。
この3ヶ月、自分にそう言い聞かせてきた言葉がぐらついている。彼の姿から目が離せなくなるのが怖い。
瑞希をつれて、のこのことここに来てしまったことを後悔し始めていた。
……少し……痩せた、かな。
もともと華奢な骨格で細身だが、身体にぴったりと沿う黒の衣装に身を包んだ彼は、性別を感じさせない独特の雰囲気を醸し出している。
姉の里沙との双子モデルとしての仕事は以前より減ったが、単体でのオファーは逆に増えて、多忙な日々を送っているようだった。数ヶ月前のスキャンダルは、それほど大きなダメージにはならなかったらしい。
……1人暮らしで……きちんと食事、出来ているのかな。
そんな母親じみた心配をしてしまうのは、さっき思わず見蕩れてしまった彼の頬が、照明の加減なのか少しやつれて見えたせいだ。
「あ……っ」
不意にぴったりと隣に身を寄せている瑞希が、小さな声をあげた。
セットの方でカランっと金属が落ちる音がして、周りのスタッフがざわめく。何事かと目を向けると、祥悟が手に持っていた小道具が床に落ちて、アシスタントが側に駆け寄っていた。
「どうしたの? 祥悟くん」
カメラマンが訝しげな声をあげる。
「いや。何でもない。ちょっと手が滑っただけ」
答える声に思わず視線を向けると、祥悟はカメラマンではなくこちらを見ていた。
さっき心を鷲掴みにされた祥悟の顔が、真っ直ぐにこちらに向けられている。
「……っ」
目が合って智也は息をのみ、もたれていた壁から背を離した。
祥悟は遠目にも分かるほど、不機嫌そうな表情をしている。形の良い細い眉を片方だけあげ、目を細めて睨みつけていた。何か言いたげに唇を動かしたが、直ぐに唇を閉じふいっとそっぽを向く。
視線をはずされても、智也は金縛りに遭ったように固まっていた。
3ヶ月ぶりにまともに目を合わせた祥悟は、酷く冷めた目付きで自分を睨んでいたのだ。
「よーし。次の衣装を撮る前に、少し休憩を入れようか」
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