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第175話 濡れて艷めく秋の日に2
わかっていてもなかなか踏ん切りがつかずにいたのは、自分が本当にやりたい事に自分の力量が足りているのかという不安もあったが、やはり一番の理由は、祥悟のことだった。
距離を置くと決めてから、祥悟とプライベートで会う機会はなくなった。事務所や現場で顔を合わせても、軽い挨拶を交わす程度だ。そういう関係がずっと続いている。
時折、無性にもっと話がしたくなって、去っていく彼を呼び止めたい衝動に駆られたが、祥悟は自分のそういう態度を特に気にしている風ではなかった。
事務所の先輩と後輩。それ以上でも以下でもない。
寂しくても自分で決めた彼との距離感だ。
その細い糸のような彼との繋がりを、完全に断ち切ることが出来ないでいる。
「真名瀬。おまえは今後、どんな風にやっていきたい?」
智也は橘社長の探るような視線からすっと目を逸らした。
「それは……自分でもよくわかってます。いろいろと、考えてはいるんですが」
「もしおまえが望むならな、真名瀬。時期を見てスタッフとして……という道もあるぞ。おまえは人当たりがいいし、面倒見もいい。うちの連中だけじゃなく対外的にも人望がある」
「社長」
「ん?」
「もう少し……考えさせてください。返事はそれほどお待たせしないと思います。自分のことは……自分で決めたいので」
「……そうか。わかった。さっきの件は引き受けてくれるな?」
「はい」
「いいだろう。スケジュールは徳田の方から連絡させる」
「ありがとうございます」
智也は立ち上がり、橘に一礼すると、社長室を後にした。
廊下に出ると、ちょっと途方に暮れた気持ちで、ぼんやりと歩き出した。
社長から告げられたのは、やんわりとした引退勧告だ。今回の祥悟との仕事が終わるまでに、何らかの答えを出さなければいけない。
「潮時……かな」
小さく呟いてみる。
そろそろ…とは思っていたから、特別にショックはない。むしろ、今自分の心がざわめいて落ち着かないのは、祥悟と組まされた仕事の方だった。
祥悟がデビューしたての頃には、一緒の現場で仕事をしたこともあったが、キャラクターも需要も全く違う彼とは、その後同じ仕事で絡むことはなくなっていた。
今回のような対外的な撮影で、祥悟と絡んでの本格的な撮影の仕事は、実は初めてなのだ。
智也は立ち止まり、無意識に握り締めていた自分の手を解いて見つめた。
……なんだよ、俺。震えてるのか?
しっとり汗ばんだ手が、小刻みに揺れている。
動揺し過ぎだ。
智也は苦笑すると踵を返して、いったん通り過ぎてしまった洗面所に向かった。
自分が今、どんな顔をしているのか不安だった。気持ちを落ち着けてからじゃないと、人に会うのも億劫だ。
開けようとしたドアが勝手に動いて、智也は思わずたたらを踏んだ。そのままバランスを崩し、焦って足を踏ん張る。
「うわっ」
声がして、前のめりの身体を誰かが受け止めてくれた。その声に、ハッとする。
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