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第209話 秋艶1

智也はその日、朝起きてから出掛けるまで、何度も何度も鏡をチェックしていた。 職業柄、求められているものに応える為に、体調管理や肌の調子、傷などには常に気をつけている。 だが、今日は特別だ。 祥悟との撮影の仕事初日なのだから。 朝シャワーを浴びた時も、全身くまなくチェックした。大丈夫だ。どこにも傷はないし、飲酒は控えていたから浮腫もない。 今は印刷技術が優れているおかげで、多少の肌の調子悪さは驚くほど綺麗な修正が入る。シミやシワどころか、ホクロだってアザだって消せるのだ。 だが、今回の広告媒体は雑誌やポスターなどの紙刷りに留まらない。プロモーションビデオなどの撮影もあるから、気は抜けない。 だが、気持ちが落ち着かずに鏡ばかり覗き込んでしまう最大の原因は、これが祥悟と一緒の仕事だという点だった。 今からこんなに緊張していてどうする?と、自分に突っ込みたいくらいだ。 「ああ、もう、落ち着けよ」 鏡の中の情けない顔をした自分に、ため息をつきながら言い聞かせる。 「俺はあくまでバーターだ。そんなに出番はないんだぞ」 撮影の詳細は聞かされていないが、今回の企画の主役は祥悟だ。絡むと言っても、ほとんど顔は出ないかもしれないと、社長からは釘を刺されている。 それでも、緊張してしまうのだ。 仕事をしている祥悟に会うというのは。 先日、自分の一方的な距離の取り方を、祥悟からの奇襲でなし崩しにされてから、彼とはプライベートで2度、食事に行っていた。 離れていた期間などまったくなかったかのように、祥悟の態度は以前とまったく変わらない。 あの日の夜の妖しいムードすら、夢だったのかと思うほど、祥悟はごく自然に自分に懐いてくれている。それに救われて、智也も以前の距離感を取り戻してはいたが、ふと油断をすると、あの夜の祥悟の媚態を愛らしい声や仕草を表情を、思い出してしまって、ドギマギする。 距離を置く前よりも、自分は間違いなく、祥悟への想いを募らせてしまっていた。 智也はもう一度大きなため息をつくと、自分の両頬を手でパシパシと叩いた。 「しっかりしろよ。これは大切な仕事、なんだからな」 気合いを入れるように、ちょっと大きな声で鏡の自分に言い聞かせると、椅子に掛けていたジャケットを掴んで、洗面所を後にした。

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