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第231話 挿話『ネコの気持ち(祥悟視点)』3
あの時耳打ちされた噂を、すぐに調べた訳ではなかった。その夜はもう1軒よく行くバーをハシゴして、結構酔って自分のマンションに帰って寝てしまったのだ。
そのまますっかり忘れていたその情報を、思い出したのはその1ヶ月後。
社長室に呼ばれて、新しい統括マネージャーだと、城嶋と顔合わせした時だった。
元大手事務所のベテランマネージャーで、橘社長が引き抜いてきただけあって、なかなかの切れ者だった。事務所に来て1ヶ月ほどでめきめきと頭角を現し、大抜擢の上トップモデルの統括マネージャーに任命された。
仕事は出来るが誰に対しても低姿勢で、落ち着いた穏やかな人柄で所内での評判も上々なその男を、祥悟だけが最初から、胡散臭げな眼差しで見ていたのだ。
祥悟はその後、夜の街に繰り出す度に、独自の情報網を使って城嶋の噂を調べていた。
そして、表向きは巧妙に隠している城嶋の裏の顔を探り当てていたのだ。
……なーにが人柄のいい敏腕マネージャーだよ。
集めれば集めるほど、胸くそ悪い情報しかない。
人を見る目には定評のある橘社長も、今回ばかりはすっかり騙されているわけだ。
ただ、調べた情報を社長に教えてやるつもりはなかった。そんな義理はまったくない。むしろ、騙されている社長には、ざまーみろという気持ちしかない。
橘の家を出る前から、社長とはどうにもウマが合わずに険悪だったが、里沙絡みのことが原因で家を出てからは余計に、あの男に対していい感情は持てなくなっていた。
城嶋のタチの悪い性癖は、どうやら自分のような華奢な身体つきの男には向けられないらしい。
仕事で関わる限りは、城嶋は事務所内の評判通りのデキル男だった。だから手に入れた情報を使う必要もなかったのだ。
……あることに気づくまでは。
ここ半年ほど、どうやら自分をわざと避けている節のある真名瀬智也。それが何故なのかはわからなかったが、自分が智也に対して取ってきた態度が、決して誠実なものではないと自覚していたから、智也の方から態度を軟化させてくれるまでは、自分から近寄るつもりはなかった。
嫌われてしまったのなら仕方ないと、諦めていたのだ。
居心地のよい存在が、永遠に自分の側にいるわけではないのだと、嫌になるほど知っていたから。
だが、状況が変わった。
猫をかぶって大人しくしている城嶋が、どうやら智也のことを酷く気にかけているらしい。
いったんそれに気づいて慎重に様子を見守っているうちに、疑惑は確信に変わった。
智也は優しい。
自分に対する態度だけでなく、事務所の後輩たちの面倒見もよく、誰にでも好かれている。
彼が側にいた頃は、いつも穏やかな時間を感じていられた。過去の出来事が枷になって、思うようにならない自分の人生だが、智也の側だけはまるで陽だまりのような暖かさを感じていられた。
他の誰にもない独特の雰囲気で、包んでくれる男だった。
だが、智也ははっきり言ってお人好しだ。
自分よりかなり年上の癖に、自己への過小評価が過ぎる鈍感で天然な男だ。
もし、城嶋が裏の顔を剥き出しにして、智也に手を出せば……ひとたまりもなく餌食にされてしまうだろう。
それだけは、許せない。絶対に。
次の現場に到着する前に、祥悟は目を覚まして、そっと隣の城嶋の様子を窺った。城嶋はスケジュール表をじっと見つめて、何やら考え込んでいる。
……こいつから、目を離さないようにしないとな。
珍しく自分から動いて、ようやく取り戻したのだ。智也という居心地のよい存在を。
再び距離が近くなって、以前よりも彼の暖かさを必要としている自分に気づいた。
……こんな変態野郎に、絶対に渡さねえし。
祥悟は心の中で呟くと、またそっと目を閉じた。
※挿話「ネコの気持ち」ーendー
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