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第267話 秋艶54
祥悟はじっと目を合わせたままで、こちらの首元に手を伸ばしてきた。優雅な動きのその細い指先が、さらっと顎を掠めてから、ふわりとネクタイに触れる。
「ね、智也……キス、しよ?」
祥悟の眼差しに艶がのる。やっと聞き取れるくらいの囁きにも甘さが増す。
智也は魅入られたように目が離せないまま、それでも周りの状況が気になって狼狽えていた。
ここは自分のマンションじゃない。
自分と祥悟は2人きりじゃ……。
「し、祥…」
「目は逸らさない。ちゃんと俺を見て?智也」
ネクタイをすっと持ち上げて軽く揺らすと、結び目にもう一方の手指を添えて解き始めた。シュルっと絹の擦れる音とともに、首の締め付けがゆるむ。
「祥、ダメだ、ここは…、みんな見てる…」
「大丈夫」
祥悟はふふっと笑って、ネクタイの結び目を完全に解いてしまった。更に、シャツの首元にそのしなやかな指をクイッと引っ掛け、ボタンを外していく。鳩尾の辺りまでボタンの外れたシャツを、祥悟の両手がガバッと左右に開いた。
「っ、祥、」
「ダメ。他は見るな。俺だけ見ててよ。おまえのこれまでのイメージ、俺が壊してやるからさ」
ふふんと不敵な笑みを浮かべた祥悟の指先が、つーっと胸筋の窪みを滑り落ちていく。
こんなのはダメだ。みんなが見ている。
そう言いたいのに、喉が締め付けられたようになっていて、声が出ない。
祥悟の瞳がライトを反射して揺らめく。
うっとりと目を細め、伸び上がってきた彼の唇が近づいてくる。
唇が顎に触れた。祥悟の表情は更に艶を増し、眼差しに官能の色を宿している。
抗えない力で吸い寄せられるようにその誘惑の蜜を受け止めようとしたが、すいっとかわされた。
逃げるそれを追いかけても、また揶揄うようにかわされる。
「智也。欲しいならさ、俺の言う通りに動いて?」
祥悟の目が猫のように煌めく。
智也は抵抗を諦めて、無言で頷いた。
「よーし、お疲れ様。ちょっと休憩入れようか」
監督の言葉と共に、智也は夢から目が覚めたように我に返った。
スタッフたちのざわめきと機材の音が、一気に押し寄せてくる。
無我夢中で動いていた。
祥悟の囁きだけを頼りに。
いつの間にか回り始めたカメラが、2人の動きや表情を余すところなく撮り続けていた。
途中で少し我に返り、撮影が再開しているのは気づいていたが、祥悟は気を散らすことを許してくれなかった。次々と、思わせぶりにボディタッチと甘い囁きで翻弄しながら、ついムキになるこちらの大胆な動きを引き出していく。
まるで魔法でもかけられているような、妙にふわふわとした不思議なひと時だった。
「おつかれ、智也」
祥悟はいつもの彼の皮肉っぽい笑顔に戻って、こちらの肩をぽんっと叩くと、カメラの方に歩いていく。
その後ろ姿を、智也はぼんやりと見送った。
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