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第275話 秋艶62

現場に入り撮影が始まると、祥悟の雰囲気は一変した。まだ眠そうで気怠げだった表情に独特の冷たさと艶がのる。 今日のロケで撮るシーンは5パターンだ。 まだ紅葉シーズンには早すぎるが、ここの紅葉は夏の終わり頃から綺麗に色づく品種のものが多く植えられていて、庭園は季節を先取りしたような艶やかさだった。 スタッフが事前に用意していた大量の紅葉の葉が、小さなクレーン車の上にセットされる。 控え室で白一色の浴衣に着替え、薄く化粧を施した祥悟がその場に姿を現すと、空気がピンと張り詰めた。 いよいよ撮影スタートだ。 智也は少し離れた場所に立ち、祥悟の表情を見守った。 監督の合図で、クレーン車から紅葉が舞い落ちる。カメラの前で祥悟が立ち姿のポーズをとる。 智也は感嘆の吐息をそっと漏らした。 何をさせてもどんな表情も華のある人だが、今日のこの演出は、中性的で生々しさを感じさせない祥悟の独特の個性を際立たせている。 ……綺麗だ……祥……。 今、柔らかい木漏れ日の下で、舞い散る紅葉と戯れているのは、秋陽を身に纏った森の精霊だ。 さっき、子どもみたいな顔でサンドイッチにぱくついていた彼とは、まったくの別人だった。 悲しい訳でもないのに、じわりと目の奥が熱くなり、智也は慌てて瞬きをした。 衣装を変え演出やセットを変えて、4パターンの撮影は休憩を挟まずに続いた。 外での撮影は天候や陽射しに写りを大きく左右される。 人工の光では出せない味わいのある陽射しは、一日のうちのわずかしか得られない。 周りのスタッフたちが慌ただしく動く中で、祥悟だけは常に静けさを纏っていた。 撮影の間中、智也は魅入られたように彼の姿だけを目で追っていた。 「よし。少し休憩を挟もう」 監督の声で、智也ははっと我に返り、ゆっくりと祥悟に向かって歩き出した。 「お疲れさま」 パイプ椅子に腰かけている祥悟にそっと声を掛けると、何故かビクッと飛び上がって顔をあげる。 その顔色を見て、智也は息をのんだ。 「祥っ?どうしたの、顔が真っ青だ」 「とも、や。手、貸して。……吐きそう」 唇まで真っ白になった彼が、弱々しく手を伸ばしてくる。智也は慌てて祥悟の手を取ると、脇に手を入れて抱え起こした。 そのまま足早に、屋敷の中に連れて行く。 洗面所で、祥悟は苦しそうに空嘔吐を繰り返した。吐き気はするのに、戻せないらしい。 目に涙を溜めて震える祥悟の身体を支えながら、背中をさすり続けた。 「大丈夫?祥。救急車、呼ぼうか?」 祥悟は顔を歪めたままこちらを見上げ、首を横に振る。 しばらくして、ようやく吐き気が治まったのか、祥悟の身体から急に力が抜けた。しゃがみ込みそうになる身体をぐいっと抱き寄せ、顔を覗き込む。 まだ苦しそうに荒い息をしているが、頬に赤みが少し戻ってきていた。 「祥。監督に言って、今日はこのまま帰らせてもらおう。病院に…」 「ばーか。んなこと出来るかっての。大丈夫。も、治まってきたからさ」 「でも、無理をしたらまた」 「撮影は最後までやる。ロケはそう簡単に代替えきかねーし。な、智也、手貸して。控え室でちょっと横になるからさ」 やっぱりどこか悪くしているのだ。このまま無理にでも病院に連れて行きたかったが、祥悟は頑として譲らない。 智也はいったん説得を諦めて、祥悟の身体を両手で横抱きに抱えると、とりあえず控え室に向かった。

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