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第276話 秋艶63

祥悟を控え用の客室に連れて行き、ベッドに横にさせると、智也は踵を返してドアに向かった。 「救急車とか、呼ぶなよ。みんなに知らせるのもなし」 まだ弱々しい掠れ声で、祥悟が釘をさしてくる。 「うん。大丈夫だよ。ただ、監督に休憩時間を少し調整してもらうだけだ。そろそろ昼の時間だからね。先に昼食をとってもらうように言ってくる」 祥悟は、怠そうに枕を両手で抱きかかえて、無言で頷いた。智也は急いで部屋を出て、スタッフの所へ向かう。 監督には祥悟の状況を正直に説明した。ただ、本人は絶対に撮影を続行したいと言い張っていることも伝えた。 祥悟の言う通り、この大掛かりなロケは、そう簡単に中止して別の機会を作るという訳にはいかないのだ。場所押さえから人や機材の手配や天候など、再び同じ条件を満たすのは難しい上に、納期も迫っている。 監督は祥悟の体調をひどく気にしていたが、延期にする結論は出さず、いったん昼の休憩を挟んで祥悟の体調回復を待つことになった。 智也は、救急用の用意一式と飲み物を持って、祥悟の待つ控え室に戻った。 「どう?」 熱を計りながら、ベッドに横たわる祥悟の頬をそっと撫でる。祥悟はまだ顔色が悪いが、苦しそうだった息遣いは治まっていた。 「んー…だいぶ、楽。ごめん、智也。いろいろさせちゃって」 「そんなこと、気にしないでいいよ。朝から調子が悪そうだったのに、気づかないでごめんね」 祥悟は眉をぎゅっと寄せて、しばらくぼんやりとこちらを見上げていたが、やがてそっと目を伏せ 「たぶん熱はねえの。これ、精神的なもんだから」 「え?」 「ガキんときから、たまになるんだ。発作みたいなもんだから」 智也は祥悟の髪を優しく撫でた。 「同じようなこと、あったの?身体のどこか、悪くしてるんじゃなくて?」 「ん……。病院行っても原因、わかんねえと思う。たぶんこれ、トラウマ?ってやつだからさ」 祥悟の言葉に、智也は眉をひそめ、彼の手をそっと握った。 「自分で原因は分かるのかい?」 祥悟は目を開けて、こちらではなく天井を見上げ 「まあね。いつか、話せるかもな、おまえにも」 いつか……ということは、今は話したくないと言うことか。子どもの頃に体験したことが、原因なのだろうか。 「…そう。いいよ、話したくなったら聞かせて」 「うん……」 祥悟の顔から、感情というものがごっそり抜け落ちている。付き合いが長いのに、こんな儚げな表情の彼を見るのは、初めてだった。 祥悟と姉の里沙が孤児になり、施設に行くことになったことと、きっと無関係じゃないのだろう。 「目を瞑って。少し眠るといい。昼の休憩を少し長めにとってもらったからね」 そう言って、手をぎゅっぎゅっと優しく握ると、祥悟はちらっとこちらに目を向けてから、うっすら微笑んで目を閉じた。 智也は彼の脇に挟んだ体温計を外して、布団を掛け直してやると、そっとベッドから離れた。 やはり熱はない。 ベッドの脇の椅子に腰をおろし、眠る祥悟の顔をそっと見つめた。 子どもの頃から繰り返し見ると言っていた悪夢。 そして、今回の発作。 彼の過去に、いったい何があったのだろう。 知っていても、何も出来ないかもしれない。 でも、彼の苦しさをわかってあげられない自分が、ひどくもどかしかった。

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