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第277話 秋艶64
また悪夢でも見てうなされるのではないかと心配で、智也はベッドの傍らで祥悟の様子を見守っていた。
祥悟はぐっすりと寝入っていて、ピクリともしない。逆に息をしていないのではないかと不安になるほど静かだった。
……どんな過去のトラウマが、君を苦しめているのだろう。
撮影中はまったく変わった様子はなかった。
表情にも仕草にも。
いつも以上に凛としていて、どの瞬間を切り取っても絵になる、冴え冴えと美しい姿を魅せてくれていた。
自分でも馬鹿じゃないかと思うくらいに、祥悟ばかり見ていたから…分かる。
だから驚いたのだ。声をかけた瞬間の、彼のあまりにも生気のない顔に。
智也は立ち上がり、ベッドの端にそっと腰をおろした。揺らさないように慎重に身を乗り出して、祥悟の顔を覗き込む。
顔色はさっきよりだいぶいい。
白い額に手をあててみる。
やはり熱はないようだ。
監督からもらったタイムリミットまでは、あと1時間ほどある。それでも祥悟の体調が戻らなければ、今日の撮影は残念ながら延期だ。
今の時期、陽射しの変化は早い。陽が傾き始めると、撮れる絵の雰囲気もガラリと変わってしまう。
額から手を外し、屈み込んでそっと唇を押し当てた。
……君を苦しめている過去の何かを、全部吸い取ってあげられたらいいのに……。
祥悟の目蓋がぴくぴく震えて、ゆっくりと開いていく。目が合うと、彼は眩しげに瞬きをした。
「もう、時間?」
「あと1時間ぐらいかな」
「じゃ、30分ぐらい寝てたのか、俺」
「うん。喉、乾いてないかい?」
「欲しい」
「水?それとも甘いものがいいかな」
祥悟は目線をこちらの唇に向けて、布団から手を出すと、指先で唇に触れてきた。
「水でいい。な、飲ませてよ」
智也は一瞬目を見張った。
……これは…口移しで、ってことだよな……?
智也は部屋に備え付けの簡易冷蔵庫から、ミネラルウォーターを1本取り出してベッドに戻り、腰をおろしてペットボトルの蓋を開けた。祥悟はこちらの動きをじっと目で追っている。
「口移しで、いいの?」
「ん……」
智也は水をひと口含むと、覆いかぶさって祥悟に口づけた。うっすらと開いた彼の口に、冷たい水を零さないように流し込む。
祥悟はこくっと喉を鳴らして飲み下した。
「もっとかい?」
「ん…。もっと」
再び含んだ水を祥悟の口に注ぎ込む。
性的な意味合いのまったくないキスは、それでも蕩けるように甘く感じた。
心や身体が弱った時、こうして甘えてくれるくらいには、自分は祥悟に信頼され必要とされている。そのことが嬉しい。
もっと甘えてくれていいのだ。
辛かったら、吐き出してくれたらいい。
……それで君が少しでも楽になれるなら、どんなことでも受け止めてあげられるのに。
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