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第286話 秋艶73

智也は祥悟の方に身体ごと向いて、何とか気を取り直して微笑みを浮かべた。 祥悟は大きなクッションを抱え込んで、叱られた子どものような顔でこちらを見ている。 ……あのクッション、相当気に入っているみたいだな。でもそろそろ汚れてきたから、洗い替えのカバーを買わないと。 祥悟に自分の嫌な感情をぶつけたくなくて、なるべく別のことを考えようと、智也は祥悟の顔ではなくそのクッションを見つめた。 「怒ってねえの?」 「うん。でも何処で飲んでたんだい?いつも行く店は、こんな時間から開いてないだろう?」 目の端に、探るような顔をしてこちらを見ている祥悟が映る。彼はんーっと首を傾げ 「女んとこ」 ぽつりと呟いた。 「そうか」 予想はついていた答えだった。はっきり彼の口から聞いても、別に傷ついたりはしない。 「連絡……しなくて、ごめん」 「いいよ、謝らなくて。君が休みの日をどんな風に過ごしたって、それは君の自由なんだからね」 嫌味のつもりで言ってる訳じゃない。それは本当のことだと思っているのだから。 でも祥悟は、それを嫌味と受け止めたらしい。 「ちぇっ、やっぱおまえ、怒ってんじゃん」 祥悟はそう言って舌打ちすると、クッションにむぎゅーっと顔を埋めた。 連絡しなくて悪かった、とは思ってくれているのだ。フラフラになるまで酔っているのに、ここに来ることを忘れずにいてくれた。それだけで充分だ。 夢見が悪かったせいで、嫌な想像をして気持ちが荒れていた。だからいつもと変わらない祥悟のつれなさが、余計にショックに感じただけだ。 智也はそっと深呼吸すると、立ち上がって祥悟に歩み寄った。 「祥。それじゃあ、俺が怒っている方がよかったのかい?」 かがみ込んでそっと声をかけると、祥悟はちょっと驚いたようにクッションから顔をあげた。 柔らかい髪の毛がくしゃくしゃに乱れて顔にかかっている。クッションに押し付けていたせいだろう。形のいい綺麗な鼻の先が、ちょっと赤くなっていて、なんだかすごく可愛らしい。 「んなこと言ってねーし。でもおまえ喋んないからさ。ムッとしてたじゃん。こっち見ねえし。水も飲ませてくれねーしさ」 酔っているせいなのだろう。いつもより舌っ足らずで、子どものように頬をふくらませ、まるで駄々っ子のようなことを言う。 智也は思わず噴き出しながら、しゃがみ込んだ。 「そうか。やっぱり君は、俺に怒られたかったんだね」 「だから~。んなこと言ってねーっつの。ばか智也」 祥悟はムキになって、手に抱えたクッションを投げつけてくる。智也はそれをひょいっと避けて、抱っこしろとせがむように伸ばされた彼の腕を、ぐいっと掴んで抱き寄せた。 「君が無事でよかったよ、祥。おかえり。今夜はここに泊まっていくよね?」 「う…。別に、おまえが嫌じゃねえなら、泊まってやってもいいけど?」 「もちろん、いいよ。大歓迎だ」 智也は祥悟の細い身体を、酒と香水の匂いごと、ぎゅっと抱き締めた。 酔いが醒めるまで祥悟をソファーで寝かせておいて、智也は夕飯を作り始めた。 と言っても相変わらず、そんなに手の込んだ物は作れない。ただ、これまでは自分の腹を満たす為だけの面倒な料理が、祥悟の分も作るというだけでちょっと楽しくなっていた。 ……またこうして泊まっていく機会が増えるのなら、少し凝ったレシピを調べてみてもいいかもしれないな。 そんな風に思える自分の心境の変化が、なんだか不思議だった。

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