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第287話 秋艶74
夕飯を作り終え、風呂の準備も終わって、ソファーに寝ている祥悟の様子を窺うと、ぐっすりと眠っている。
……そうだ。ワインを買ってこないと。
今夜は自分にとって、特別な夜になる。
昼から酒を飲んでいた祥悟はもうたくさんかもしれないが、乾杯して口をつけるだけでもいい。
智也は時計を見た。近所の酒屋がまだ開いているはずだ。もう一度、祥悟の寝顔を確認してから、智也は携帯電話と財布だけ持って、マンションを出た。
一人で祝杯をあげたい時に、いつも買っている口当たりのいいワイン。酒屋は閉店間際だったが、どうにか間に合った。祥悟のお気に入りのスイーツは、仕事帰りに立ち寄って買ってある。
祥悟がまとっていたキツい香水の相手が、気にならないと言ったら嘘になる。
でもそんなのは今更だ。
束縛はしない。ただ、出来る限り、誰よりも彼の近くに寄り添っていたい。
そう心に決めたのだ。
弱い心は封じ込める。痛みなんか何も感じないフリをして。それでも、側にいるだけで満たされる幸せもある。
リビングのドアを開けた途端、悲鳴のような呻き声が聞こえた。
智也はワインの入った袋をその場に落とし、ソファーに駆け寄った。
「祥っ?」
祥悟はソファーの上にはいなかった。部屋の隅に蹲り、タオルケットを頭から被っている。
智也は慌ててしゃがみ込むと、肩の辺りを掴んだ。
「祥?どうしたの?祥」
揺さぶると、祥悟がタオルケットの間から顔をあげた。その表情と瞳に、昨日見たあの恐怖の色が滲んでいる。
発作だ。また起きたのだ。
祥悟は大きく目を見開き、こちらを見上げている。
だがその瞳は焦点を結んでいない。硝子玉のように虚ろで光を宿していない。
智也は祥悟の真ん前に腰を据えて、肩をそっと揺すりながら静かに話し掛けた。
「祥。俺が分かるかい?祥。智也だ」
「……かあ……さん……」
震える彼の唇が、微かな音を漏らす。
瞳は何かを探すように、揺らめいていた。
「祥。夢だよ、それは、悪い夢だ。目を覚まして」
祥悟がカっと目を見開いた。真っ直ぐに向けられた視線は自分を通り越して、別の何かを見ている。
「祥っ」
祥悟が両の手のひらを上に向けた。それをじっと見下ろし、激しく首を横に振る。
「やだ……。やめてよ……。とうさん、やめてっ」
それはいつもの祥悟の声じゃなかった。
まるで幼い子どものような、甲高い悲鳴のような声。
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