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第289話 秋艶76

「え……」 泣いているのは自分じゃない、君だよ。 そう言おうとして気づいた。自分の頬に伝い落ちる涙に。 智也は慌てて目を瞬かせた。 祥悟の指が、また目元をそっと撫でる。 その指先を不思議そうにじっと見つめて 「おまえの涙……あったかいな。生きてるんだよな」 ため息のように呟いた。 智也は自分で涙をぐいっと拭って、祥悟の手首を掴む。 「祥。大丈夫?俺が……わかるかい……?」 祥悟はゆっくりと視線をあげて、ぱちぱちと瞬きをした。 「そっか……俺、また……」 「酷い夢を見ていたみたいだね。なかなか正気に戻ってくれないから、俺、焦って、」 「それでおまえ、泣いてたんだ?ごめん……驚かせて……悪い」 智也は祥悟の身体をぐいっと抱き寄せた。 「謝らなくていい。ちょっと買い物に出ていたんだ。気づくのが遅くなってごめん」 祥悟はまだぼんやりとした声で、苦笑混じりに呟いた。 「ばーか。おまえこそ謝るなっつの。そっか。夢、見てたのか……俺は」 「ねえ、祥。嫌じゃなかったら教えてくれるかい? その、繰り返し見る夢って、昔の記憶か何かなのかい?」 智也が思わず問いかけると、祥悟の脱力していた身体が強ばった。 発作の度に何もしてやれない自分がもどかしくて、つい勢い余って聞いてしまった。 祥悟は何も答えない。 智也もそれ以上は聞けずに口を閉ざした。 息が詰まるような重たい沈黙が続いた後、智也が口を開くより先に、祥悟がため息混じりに答える。 「ごめん、智也。言いたくない」 「い、いや、いいんだ。俺の方こそ余計なことを聞いてすまなかったよ」 祥悟はふわっと身体の力を抜いて、顔をこちらの胸にすりすりと擦りつけると 「いつか、話す。言える時が来たらさ」 「うん」 智也は祥悟の髪の毛をそっと撫でた。 腹が減ったと言い出した祥悟に、智也はほっとして身体を離すと、手を貸して引き起こし、2人でキッチンに向かった。 作っておいた夕飯のスープご飯を火にかける。バケットを薄く切ってトースターで軽く焼いていると、傍らでこちらのすることを眺めていた祥悟が、くんくんと鼻を蠢かした。 「なんか美味そう。これってスープ?」 「うん。野菜スープの中に雑穀ごはんを入れてるんだ。洋風の雑炊みたいなもの、かな」 「ふーん……」 祥悟はお玉で鍋の中をかきまわして 「わ。カリフラワーとか入ってんじゃん。俺これ苦手」 「ふふ。苦手なものは避けて食べたらいいよ。なるべく食べやすいように小さく刻んだんだけどね」 祥悟は口を尖らせながら、鍋の中身をチェックしている。もうすっかり顔色は元通りだし、表情もいつも通りだ。

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