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第87話 甘い試練8

祥悟の言葉に、智也は足を止めた。 でも、振り向きたくない。 正直、心が疲れ果てていて、2人の顔を見るのも億劫だった。 「帰るのは智也じゃなくて、おまえな、アリサ」 「え。嫌よ、祥悟。私、帰りたくない」 「ばーか。ガキが何言ってんのさ。このまま、おまえ泊らせたら、事務所、首になっちまうっつーの。ほら、降りろよ」 愚図るアリサを追い立てて、ベッドから降りると、腕を掴んで智也の横を通り抜ける。 嫌がるアリサを強引に引っ張ってドアを開けると、 「じゃあな。タクシー拾ってちゃんと帰れよ」 そのまま部屋から追い出そうとする。 智也は慌てて2人に駆け寄り、祥悟の腕を掴んだ。 「何やってるの、祥。彼女一人でこんなところから帰す訳にはいかないだろう?」 祥悟は掴まれた腕を振り解きながら 「なんでさ? 勝手についてきたの、こいつじゃん。自己責任だろ」 「そういう訳には行かないよ、祥。俺が送っていく」 「は? おまえは残れよ。こいつ一人で、」 「祥っ。いい加減にしろ!」 思わず、部屋中に響き渡るような大きな声が出た。祥悟は目を見張り、ぴたっと動きを止める。 智也は苛立ちを抑えながら、少し声を落とし 「高校生の彼女をこんな所に連れ込んだだけでも問題なんだよ。分かるだろう? いいから、後は俺に任せて」 祥悟は反論しようと口を開きかけて、むっとしたように口を噤んだ。 でも怒っているのは、こちらの方なのだ。 無言で睨み合い、先に目を逸らしたのは祥悟の方だった。 「分かったよ。好きにすれば?」 首を竦めると、こちらの手を振りほどき、踵を返して部屋に戻って行く。 その後ろ姿を智也は見送ると、アリサに目を向けた。 「帰ろう。水無月さん。車で送っていくから」 アリサは泣きそうな顔で部屋の奥を見つめていたが、やがて諦めたのか、智也の顔をじっと見上げて 「送ってくれなくていい。タクシー拾って自分で帰る」 言い捨てて、ドアの外に出て行った。 彼女をそのまま帰らせる訳にもいかず、智也はアリサを追いかけてホテルを出た。振り向きもせず、先をずんずん歩いていく彼女を大通りまで追って、流しのタクシーを拾う。 大人しく乗り込んだアリサに、お金を渡して行く先を尋ね、運転手に伝えた。 タクシーが彼女を乗せて走り去ると、酷い虚脱感に襲われて大きなため息が出た。 ホテルに戻って、駐車場に直行した。 祥悟の待つ部屋に戻る気はなかった。 車のドアを開けようとしたところで、携帯電話が着信を告げる。 ー祥悟からだ。 智也は、しばらく鳴り続ける携帯電話をじっと見つめていた。いったん止んだ電話がまた鳴り始める。 不意に、携帯電話が歪んでぼやけた。 さっき必死に堪えていた涙腺が、今頃崩壊したらしい。 智也は電話をぎゅっと握り締めると、目頭を指で押さえた。

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