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第88話 甘い試練9
「……はい」
『なんですぐ、電話出ねえの?』
苛々した祥悟の声が響く。智也はそっと深呼吸すると
「ごめん。今、運転中だから」
出来るだけ穏やかに答えた。
『ふーん。ほんとにあいつ、送って行ったんだ?』
「……ああ。悪いけど、切るよ」
『待てって。おまえ、戻ってくるんだよな?智也』
「……いや。彼女を送ったら直接帰る。悪いけど、祥……」
『戻って来いよ? 帰ったりすんな。おまえ来るまで、寝ないで待ってるからな』
「ごめん、祥。おやすみ」
まだ何か言っている祥悟の声を無視して、電話を切った。そのまま携帯電話の電源を落として、ポケットに仕舞う。
祥悟のことが好きだ。
もう4年も、彼に片想いを続けている。
でも今は、会いたくない。
彼の顔を見たくなかった。
まるで便利屋のように呼びつけられて、面倒事の後始末をさせられたことにも、もちろん怒りは感じていた。
でも1番ショックだったのは、アリサにキスする寸前に見せた祥悟の顔。あの残酷な流し目に、激しく動揺してしまった自分の心だ。
祥悟に何も見返りは期待しない。
ただ心密かに想うだけでいい。
そう自分に言い聞かせながら、もう後戻り出来ないほど、彼に囚われてしまっている自分の心が。そして、そんな自分の気持ちを、恐らくは華奈に見透かされてしまったことが。
「なに、やってるんだろうな、俺……」
祥悟の仕打ちを残酷だと思うのは、自分の身勝手だ。彼は、兄貴代わりの自分を頼りにしてきただけなのだ。
だって祥悟は知らないのだから。
自分がずっと、彼を心密かに愛し続けていることなど。
知られないようにしてきた。
決して悟られないようにしてきた。
だから、祥悟は悪くない。
自分の気持ちを真っ直ぐにぶつけて、祥悟にキスをねだるアリサの方が、よほど潔い。
あの唇を誰よりも欲しているくせに、彼の全てを独占したいと浅ましく切望しながら、臆病な自分の心を守り続けている自分は……情けなくて卑怯だ。
「くそ……っ」
智也は、車のハンドルに掌を叩きつけた。
そのまま車を発進させ、ホテルの駐車場を後にした。
マンションに戻り、真っ直ぐに寝室に向かう。
何も考えずに、今は眠りたかった。
心は疲弊していたが、服のままベッドに寝転がり布団を被って目を瞑っても、なかなか安らかな眠りは訪れない。
苦しくて何度も寝返りを打った。
うつらうつらしては、目が覚めた。
祥悟の顔が、あの目が、柔らかそうな唇が、目蓋の裏をちらつく。
久しぶりに抱き締めた祥悟の身体は、相変わらず華奢で……愛おしかった。
彼を抱き締めたい。もっと強く。
もっと狂おしく、彼と抱き合いたい。
散々、悶々とした挙句、智也は眠るのを諦めて、目を開けた。
ベッドヘッドに置いた携帯電話に手を伸ばす。
電源を入れてみると、着信通知が数回。
全部、祥悟からだった。
時計を見ると、0:23。
事務所が公式発表している祥悟のプロフィールとは違う彼の本当の誕生日は……もう過ぎてしまっていた。
愛しい想い人の記念すべき二十歳のBIRTHDAY。
それは偶然にも、自分の25歳の誕生日でもあった。
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