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第105話 揺らぐ水面に映る影4

家の中に入っても、物珍しげにきょろきょろしている祥悟の手をさりげなく引いて、智也は廊下の突き当たりの自分の部屋へと連れて行った。 今はほとんど使われておらず、自分も年に数回来るだけだが、通いの管理人が月に何度か訪れて掃除をしてくれているから、部屋は綺麗に整頓されていた。 「そこに、座ってて。薬箱取ってくるから」 祥悟を椅子に座らせて部屋を出た。 救急箱と洗面器にお湯、タオルも何枚か必要だ。 思いつくものをとりあえず揃えて部屋に戻ると、祥悟は椅子から立ち上がり、部屋の中を歩き回っていた。 「祥。探検は後だよ。ここに座って?」 智也がため息混じりに声をかけると、祥悟は手に取ってしげしげと見つめていた写真たてを棚に戻し、振り返った。 改めて真正面から見ると、祥悟の顔はちょっと酷いことになっていた。血はもう止まって固まっているが、頬が赤黒く腫れ上がっている。 智也が痛々しそうな顔をすると、祥悟はこちらに戻りながら壁際の姿見をひょいっと覗き込み 「うっわ。ひっでー顔」 素っ頓狂な声をあげて笑い出した。 「こら。笑ってる場合じゃないよ」 しぶしぶな様子で、椅子にどかっと腰をおろした祥悟の前に屈み込む。濡らして絞ったタオルで顔にこびり付いた血をそっと拭うと、祥悟は眉を顰め顔を歪めた。 「っぅ……いってぇ……。そこ、痛いっつの」 「痛いのは当たり前だよ。ちょっと我慢して。ああ……これは酷いな。骨が折れてたりしないかい?」 「んー。多分折れてねーし。でもめちゃくちゃ痛てぇ。つかさ、奥の方の歯、ちょっとグラついてるんだけど?」 まるで他人事のように呑気な声を出す祥悟に、智也は深いため息を漏らした。 とりあえずの応急処置は出来るが、早めに病院に連れて行かなければ。 いったい何があったのだろう。 大切な商品であるモデルの顔に拳を叩き込むほど、社長の逆鱗に触れたスキャンダルとは何なのだろう。 祥悟の顔をタオルで清め、傷口の手当をしながら、なるべく考えないようにしていたことが、もやもやと頭に浮かんできた。 なんとなく……想像はつくのだ。 おそらくは……祥悟の交際関係絡みだろう。 あの社長をあそこまで激昴させるということは……きっとかなりの内容に違いない。 何があったのか、問い質したい。 でもその内容を……聞きたくない。 ひと通り手当てを済ませると、智也は部屋を出て台所に向かった。 冷蔵庫を覗いて、買い置きのミネラルウォーターを取り出す。ふと思いついて、キッチン用のポリ袋に氷を入れて、部屋に戻った。 祥悟は、今度は大人しく椅子に座っていた。窓の外をぼんやりと見つめている姿は、妙に脱力していて頼りなげに見えた。 「はい、水」 智也がミネラルウォーターをグラスに注いで差し出すと、祥悟はぼんやりとした表情でこちらを見上げた。 「口ん中、気持ちわりぃ……。ゆすいでいい?」 智也が頷くと、祥悟はグラスの水をそっと口に含んで、くちゅくちゅとゆすいだ水を洗面器に吐き出した。 「くっそぉ……しみる……」 「顔、かなり腫れてるよね。これで冷やしたほうがいい」 智也は持ってきた氷の入ったビニール袋にタオルを巻いて、祥悟の頬にそっとあてた。 祥悟は一瞬、痛そうに顔を歪めたが、目を瞑り、されるがままにじっとしている。 「何が、あったんだい?」 智也は本当は聞きたくはない質問を、穏やかに切り出した。

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