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第111話 揺らぐ水面に映る影10

「なあ。おまえ、ほんとに帰っちまうの?」 玄関で靴を履いていると、祥悟が後ろから近づいてきた。智也は背を向けたまま 「明日の食事の用意は頼んであるからね。あ。何か必要なものがあったら、峰さんに伝えてくれれば」 「おまえもここ、泊まってけばいいじゃん」 珍しくちょっと心細そうな祥悟の声に、心が揺れる。 「ごめんね、祥。さっきも言っただろう? 明日は早朝から移動だから、ここからじゃ無理なんだ。仕事が終わったら、こっちに寄るから」 振り返って顔を見れば、また気持ちが揺れる。 智也は穏やかに答えると、身体を起こした。 「明後日はオフだから、一緒に病院に行くよ。とにかく今夜は大人しく寝てて。峰さんに保冷剤も頼んであるから、それで頬を」 「なあ、こっち向けよ、智也」 祥悟の手が腕に触れる。 智也は、そっと深呼吸してからゆっくりと振り返った。 祥悟は眉間にシワを寄せている。 「俺だけここに置いてくのかよ。おまえのマンション、泊めてくんねーの?」 「祥……。さっきその話はしたよね。君は今、身を隠してなきゃいけないんだから、俺の部屋じゃ」 「さっきからなに、怒ってんのさ、おまえ」 祥悟はこちらの言葉を聞こうともしないで、次々と遮ってくる。智也は微笑んでみせた。 「怒ってなんか、いないよ。祥。お願いだから聞き分けて。明日仕事が終わったらすぐ、ここに来るからね」 「おまえんとこが、ダメならさ、俺一人でホテルに行くから」 「祥」 智也は、ぷいっとこちらに背を向けようとする祥悟の手を、慌てて掴んだ。 「そんな怪我してるのに、外に出て行くなんてダメだよ。まだ腫れもおさまっていないし」 「じゃ、おまえのマンションに泊めてよ」 智也は大きくため息をついた。 「祥……」 「わかったよ。もういい。なんか頭痛いし、もう寝る」 祥悟は智也の手を振りほどくと、くるっと背を向けて廊下の奥に行ってしまった。 「祥……」 聞こえないように、そっと小声で呼んでみた。 突き当りのドアがバタンっと音をたてて閉まる。 智也は宙に浮いたままの手をぎゅっと握り、唇を噛み締めた。 ……ごめんね、祥。 今は……君の側にいたくないんだ。 そのまま背を向けて、玄関を出た。 ドアに外から鍵をかける。 智也はため息をついて、そのドアにもたれかかった。 真っ暗な空を、切れ間のない雲が重なり合いながらゆっくりと流れていく。時折顔を覗かせる月が、辺りをうっすらと青白く照らしていた。 「祥……」 智也は小さく呟くと、両手で顔を覆った。

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