121 / 349
第121話 硝子越しの想い1
祥悟の顔の痣が薄くなるまでの間、智也は仕事の状況が許す限り、祖父の屋敷に寝泊まりをした。
それは智也にとってこれまでで1番、祥悟に近く寄り添えた日々だったが、同時に近すぎる距離が苦しい日々でもあった。
祥悟の、兄を慕うような無邪気な信頼は、相変わらず続いていた。
人目を避ける為に怪我が良くなってきても外出も出来ない祥悟は、智也が仕事を終えて屋敷に戻るまで、退屈を持て余していたらしい。
智也が玄関の鍵を開けて入ると、リビングのドアを開けて、少し不機嫌そうな顔で出迎えてくれた。
峰さんの都合がつく時は、なるべく食事の用意をお願いして、日中、祥悟が1人きりにならないようにはしていた。でもたまに彼女の都合がつかなかった日は、祥悟はいつもよりもぴとっとくっついてきて、少し甘えて構って欲しがった。
自分の帰りを待っていてくれる気紛れな猫。
これが恋人同士ならば、なんて幸せな日々だろう。ちらっとそんなことを思ってせつなくなったが、多忙な祥悟を独り占め出来ているという喜びも感じていた。
そんな日々が10日ほど過ぎたある日、智也が屋敷に戻ると、見慣れない車が1台、門の外に停っていた。
……誰だろう。社長の車じゃないな。
ここの存在を知っているのは、ごく一部の限られた人間だけだ。
智也は慌てて車を門の外に乗り捨て、玄関に向かった。鍵を開けて中に入る。見慣れない靴は女物だ。智也は眉を潜め、忍び足でリビングに行き、そっとドアを開けた。
「……もう泣くなって。おまえさぁ、美人が台無しじゃん。きついこと言って悪かったっつーの。おまえの気持ちはよーくわかったよ。社長には俺から話すからさ。な?……んじゃさ、仲直りのキス、な」
聞こえてきたのは、いつもよりトーンの甘い祥悟の声。
そっと覗き込む智也の目に映ったのは、こちらに背を向けてソファーに座り、顔を寄せ合っている祥悟と女の横顔だった。
……っ。
女はアリサだ。
祥悟が謹慎になる原因を作った人。もしかしたら祥悟の子どもをお腹に宿し、祥悟と結婚するかもしれない人。
2人の唇がまるでスローモーションのように静かに重なっていく。
智也は耐えられずにぎゅっと目を瞑り、顔を背けた。
心臓に鋭い刃を突き立てられたような痛みが走り抜けた。不意に足から力が抜けそうになって、智也は必死に踏ん張り、じりじりと後ずさりした。
……ダメだ……。ここに、いちゃ、いけない。
ふらつく足でリビングのドアから離れ、向かいの壁に背中をあてて寄りかかる。
自分が来たことに、2人は気づいていない。
……早く、ここから、消えないと。
ともだちにシェアしよう!