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第121話 硝子越しの想い1

祥悟の顔の痣が薄くなるまでの間、智也は仕事の状況が許す限り、祖父の屋敷に寝泊まりをした。 それは智也にとってこれまでで1番、祥悟に近く寄り添えた日々だったが、同時に近すぎる距離が苦しい日々でもあった。 祥悟の、兄を慕うような無邪気な信頼は、相変わらず続いていた。 人目を避ける為に怪我が良くなってきても外出も出来ない祥悟は、智也が仕事を終えて屋敷に戻るまで、退屈を持て余していたらしい。 智也が玄関の鍵を開けて入ると、リビングのドアを開けて、少し不機嫌そうな顔で出迎えてくれた。 峰さんの都合がつく時は、なるべく食事の用意をお願いして、日中、祥悟が1人きりにならないようにはしていた。でもたまに彼女の都合がつかなかった日は、祥悟はいつもよりもぴとっとくっついてきて、少し甘えて構って欲しがった。 自分の帰りを待っていてくれる気紛れな猫。 これが恋人同士ならば、なんて幸せな日々だろう。ちらっとそんなことを思ってせつなくなったが、多忙な祥悟を独り占め出来ているという喜びも感じていた。 そんな日々が10日ほど過ぎたある日、智也が屋敷に戻ると、見慣れない車が1台、門の外に停っていた。 ……誰だろう。社長の車じゃないな。 ここの存在を知っているのは、ごく一部の限られた人間だけだ。 智也は慌てて車を門の外に乗り捨て、玄関に向かった。鍵を開けて中に入る。見慣れない靴は女物だ。智也は眉を潜め、忍び足でリビングに行き、そっとドアを開けた。 「……もう泣くなって。おまえさぁ、美人が台無しじゃん。きついこと言って悪かったっつーの。おまえの気持ちはよーくわかったよ。社長には俺から話すからさ。な?……んじゃさ、仲直りのキス、な」 聞こえてきたのは、いつもよりトーンの甘い祥悟の声。 そっと覗き込む智也の目に映ったのは、こちらに背を向けてソファーに座り、顔を寄せ合っている祥悟と女の横顔だった。 ……っ。 女はアリサだ。 祥悟が謹慎になる原因を作った人。もしかしたら祥悟の子どもをお腹に宿し、祥悟と結婚するかもしれない人。 2人の唇がまるでスローモーションのように静かに重なっていく。 智也は耐えられずにぎゅっと目を瞑り、顔を背けた。 心臓に鋭い刃を突き立てられたような痛みが走り抜けた。不意に足から力が抜けそうになって、智也は必死に踏ん張り、じりじりと後ずさりした。 ……ダメだ……。ここに、いちゃ、いけない。 ふらつく足でリビングのドアから離れ、向かいの壁に背中をあてて寄りかかる。 自分が来たことに、2人は気づいていない。 ……早く、ここから、消えないと。

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