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第3話

 屋内で祖父が打ち明けたのは、信じがたい真実だった。 「僕は……孫じゃない……?」  祖父――ことアバクという名の老人は、下を向いたまま淡々と語った。  妊娠中のキラが川辺で倒れていたのを発見したこと。その足に奴隷用の足輪がはめられていたこと。目覚めるとキラは記憶がなかったこと――。 「流行病で村の若者が多く死んだ。たとえ奴隷でも人手が欲しかった。逃げ出されても困るので、妻と息子が早くに他界したわしが、お前の身内のふりをして受け入れることになった」 「そ、そんなの嘘だ。だって僕の番が作った借金のことは」 「お前を村から出さないための嘘だ。記憶喪失のわりには下働きの仕事が身についていたので使い勝手がいいと分かり、誰かが言い出して次々と広がった」  テーブルの上で組んだ手が勝手に震える。 「では僕の番が死んだというのも……」  アバク老人はゆっくりうなずいた。 「うなじにその跡があったため話をねつ造した。この村にアルファなどいたことがない、村の大人全員が共犯だ」  春だというのに手が指先から冷えていく。地面が沈んでいくように、平衡感覚を保つことができなくなった。その場にへたり込むキラの腕を、同席していたあの男が支えた。 「そんな、じゃあ僕は……ミールは……一体」  話が理解できていないミールも、キラが床に倒れ込んだのを心配して駆け寄ってくる。 「そこからは私が話しましょう」  帯刀した男は、落ち着いた声で言った。  隣国アーフターブ王国のジャムシードと名乗った彼は、荷物から手の平大の絵を取り出した。のぞき込むと、どこかで見たことのある青年が微笑んでいる。 「あの、これは……」 「母さまだ!」  ミールが絵に飛びついた。 「ええ、あなたです。これは人捜し用に複製されたもので、本物の大型絵画はアーフターブ王国に飾られている」  首をかしげるキラに、ジャムシードは膝をついて深く頭を下げた。 「あなたはアーフターブ王国の後宮から失踪したオメガ――現王太子の寵妃です」  ジャムシードの言葉が理解できないまま、キラは何度もまばたきをした。アバク老人も杖を取り落とす。 「僕が……王太子のオメガ……?」 「ええ、まさか記憶をなくしているとは思いませんでしたが……道理で見つからないわけだ」  ジャムシードがうなずいて、経緯を説明する。  五年前、アーフターブ王国の後宮から身重のオメガが失踪した。国内では見つからず、捜索網は周辺国にまで広がった。 「国外では王太子も自由にできないので、各国に密偵を送り何年もかけて捜索しました」 「でも他人のそら似かも」 「いいえ」  ジャムシードは膝をついたまま、まっすぐキラを見上げた。 「あなただ」  つややかな黒髪の束が、肩でさらりと揺れる。 「どうか、お立ちになってください。僕なんかに膝をつくなんて――」  目上や尊敬する相手に対して行う礼儀作法であって、水汲みや洗濯、羊の世話で汗どろどろの自分にすることではない、と。 「では、あなたは王国から捜索に派遣された憲兵さんなのですか?」  キラの質問に、ジャムシードが首を振った。 「……いいえ、騎士です。お捜ししました……ご無事で何よりです」  ジャムシードはキラの爪に自身の額を当てた。これがアーフターブの礼儀作法のようだ。また、背中に小さな痛みが走った。 「きし! ほんものだあ……!」  キラにしがみついていたミールが、目を輝かせる。子どもたちにとっては憧れの職業なのだ。 「ご子息はおいくつですか」  ジャムシードはミールに視線を送る。五歳になったことを告げると、目を細めたジャムシードは、失踪前のキラがすでに妊娠後期だったことを明かし、こう断定した。  妊娠周期を逆算すると、そのお腹の子こそミールである、と。 「ではミールは、アーフターブ王室の血を……?」 「王太子唯一の御子、ということになりますね」  ミール自身は、理解できずにきょとんとしている。  にわかには信じがたかった。新手の詐欺も疑ったが、後宮のオメガが失踪した日と、キラが川辺で発見された日が三日しか差がなかったため真実味は増した。 「……ところで、なぜ靴を履いていないのですか」  膝をついたので視界に入ったのか、ジャムシードはキラの汚れた足を凝視する。なくした、と言おうとした矢先、ミールが打ち明けた。 「せんたくばでいつもぬすまれるの、みんなで母さまをいじめるんだよ」  ジャムシードが立ち上がって曲刀を抜く。切っ先を、椅子にへたり込んだアバク老人に向け「どういうことだ」とすごんだ。 「やめてください!」  キラは慌てて背中で老人をかばい、両手を広げた。 「キラ……」  アバク老人――もとい祖父の声が震えている。向かうジャムシードは、斬り殺さんと殺気を放つ。 「もし僕が王太子のオメガだったとしても、僕はおじいちゃんに感謝しています! この村に来たいきさつが本当なら、野垂れ死ぬ運命だってあったはずなんだ。血もつながっていない僕とミールを家に住まわせるなんて普通はできない。おじいちゃんは、僕のおじいちゃんです」  キラは祖父を振り返り、手を取った。 「おじいちゃん心配しないで、過去なんて関係ない。いつも通りしっかり働きますから、ミールとここにいていいでしょう? 羊たちの世話だって僕たちがいないと――」  キラは自分の手が震えていることに気づいた。決して恵まれた毎日とは言えないけれど、ミールや祖父と暮らすこの家には小さな幸せがいくつもあった。それがこの村以外での記憶のない自分のすべてなのに、この騎士に一瞬にしてなかったことにされそうで。 「それは叶いません、あなたを――あなたとご子息をアーフターブに連れて帰ります」 「嫌です」  祖父にしがみついて泣いた。 「僕にはおじいちゃんとミールだけなんだ。お引き取りください、僕の幸せを奪わないでください。それに失踪したってことは、後宮が嫌で逃げ出したかもしれないじゃないですか!」  それはありえません、とジャムシードが首を振る。 「ある者たちの謀略があったことまでは調べがついています。王太子とあなたの関係は良好でした」  分からない、信じない、と言いながらも、時折見る悪夢をキラは思い出していた。番が懐妊を喜んでいる夢や、身重の状態で床に手をついて誰かに命乞いをしている、あの悪夢――。 (あれはただの夢じゃなかったのか)  ジャムシードの冷たい声が降る。 「あなたがあらがえば村だけでなく国を巻き込んだ争いになるでしょう。もともとアーフターブとチャーンドは表面的な国交はあっても、水面下では小競り合いが続いているのですから」  ぽん、と肩をたたいたのは祖父だった。 「すべてわしらの罪だ、村ごと焼き払われても文句は言えまい。行きなさい……これから村の誰も信用できない状態で暮らすのは、お前もミールもきっと苦しむ」 「おじいちゃん……」  母を心配して顔を寄せるミールを抱きしめて、子どものように泣いた。  神は非情だと思った。ひどい仕打ちにも耐えてきたのに、こんなにあっという間に自分と息子から日常を奪うだなんて――。

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