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第5話

        +++  ジャムシードが村に入ると、アバク老人は、キラとミールが去った家を眺めながら庭の切り株に腰かけていた。  木を削り出して作ったおもちゃの刀――ミールのものだろう――を魂が抜けたような表情でいじっている。一晩でずいぶんと老けたように見えた。 「お戻りになると思っておりました」  馬上のジャムシードを見上げて、アバクは穏やかな表情で目を閉じる。 「知らなかったこととはいえ、王族の寵妃をおとしめた罪が許されるとは思っておりません、ひと思いに首を」  ジャムシードは馬にまたがったまま腰の短刀を鞘ごと引き抜き、沙汰を待つアバク老人に投げ渡した。緩くカーブを描いた護身用の短刀は、シンプルな造りながら柄に緑と赤の石が交互に並んでいる宝飾品だった。貧しい村で生まれ育ったアバクは、それがエメラルドやルビーと呼ばれる宝石であることを知らないだろう。 「これで自害を、ということでしょうか」  ジャムシードが首を振って「生活の足しにしなさい」と言い含めるので、アバクが瞠目している。罪を不問にされるどころか、物品を与えられるとは思っていなかったのだろう。  ジャムシードは、自分が複雑な表情をしているのがよく分かっていた。心境としては今すぐにでもこの村を焼き払いたかったからだ。それをしてしまえば、あの親子が深く傷つくので懸命に耐えているのだ。 「この五年の彼の暮らしを思うと、憤怒に我を忘れそうになるが……彼らの涙は、この家では安全だったことの証左であろう。両親を早くに亡くした彼の家族になってくれたこと――礼を言う」  アバクはごくりと喉を鳴らし、渡された短刀を見つめ忍び泣いた。 「斬り捨てていただきたかった……こんな静かな家で、今日からどのように生きればよいのか分かりませぬ」  アバク老人もまた、嘘から始まった家族の存在が日に日に大きくなっていたのだろう。それを急に失ったがために、生気をなくしてしまったのもうなずける。 「それがお前の犯した罪の重さだ。長生きして彼らの里帰りを待つことが、お前のできる唯一の償いだ」  里帰り、という言葉に反応したアバクは耐えきれず嗚咽を漏らしていた。 「ああ……言える立場でも身分でもないのですが、キラとミールを……どうか、よろしくお願いいたします」  アバク老人はミールのおもちゃの木刀を、ジャムシードに差し出した。 「……王太子がこの村での仕打ちを知ることはないだろう。だがお前の病死、老衰以外の死に方は許さぬ、自害すれば私が村ごと焼き払う。覚えておけ」  老人の敷地を出ると、村人たちが集まってのぞき込んでいた。 「キラをどこへやった」「羊の世話を頼んでたのに」「キラを下働きとして連れていくなら代金をよこせ」  彼らは好き勝手に並べ立てる。 「下働き? 何を言う、輿入れだ。〝祖父〟には許可をもらっている」 「何を――キラには番が」 「だからなんだ、ただの噛み跡ではないか。所有の印でもなんでもない。そしてお前たちの所有物でもない。ずいぶんと面倒見のいい村だったようだな、村長」  内幕を知られていると察したのか、そろって視線をそらす群衆。その背後に、身なりのいい白髪の老人が立っている。村長と呼ばれた彼は、ゆっくりと前に出た。 「どなたかは存じませぬが、高貴なお方とお見受けします。キラのような元奴隷があなたさまにふさわしいとは思えませぬ。村の娘を用意いたしますのでぜひ……」  若い女性数人が前に出た。紅潮しつつも表情に自信をにじませ、上目遣いで秋波を送ってくる。 「遠慮しておこう。貧しいオメガのサンダルを盗むような、気品ある女性たちだ。私にはもったいない」  覚えがあるのか、ある女性はうつむき、ある女性は逃げ去った。 「いいか村長、村を焼き討ちにされたくなければ、キラ親子や私のことを金輪際話してはならない」 「……と申しますと?」  村長は上目遣いで笑っていた。口止めをするならば、それなりの見返りをもらうのが当然、という魂胆が透けて見える。ジャムシードは小さく息を吐いてまくし立てた。 「では率直に言おう。お前たちは彼が元奴隷だと、まだ思い込んでいるのか? 男のオメガは希少価値が高いため人身売買もされやすいが、貴族階級の寵愛を受けることも多いと聞いたことはなかったか?」  ジャムシードのせりふの意図に気づいた村長の顔が、土気色になっていく。 「こう言えば彼のうなじの噛み跡が誰のものか、ある程度想像はつくはずだ。お前たちはその彼と子どもに嘘を教え、陰湿ないじめを繰り返し、重労働を強いてきた。その罪を箝口だけで見逃してやると言っているのだ」  ジャムシードの怒りを汲むように、興奮した馬が頭を振ってぐるりと一周する。その手綱を引いて落ち着かせながら、ジャムシードは村人たちを冷たく見下ろした。 「脳が少ない者でも理解できるな?」  村長はその場でひざまずき「仰せのままに」と地面に額をこすりつけた。その様子で村人たちは自分たちの置かれている状況に気づき、顔から血の気が引いていく。村ぐるみのはかりごとが暴かれたのと同時に、自分たちが搾取してきた相手はやんごとなき身分の番だった、と知らされたのだから――。 「私は今日ほど忍耐を試された日はない、拾った命は大切にするといい」  上品な笑みと青筋を浮かべたジャムシードは、ミールのおもちゃを腰に差し、馬頭をキラ一行に向けて駆け出した。

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