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第19話 八咫烏と葵祭
服を着替えてリビングに戻ると、賀茂さんはソファやテーブルの汚れを拭いてコーヒーカップも片付けてくれていた。
「今度は紅茶にしようか」
「あ、俺やります」
「いや、おかしな話を聞いて疲れただろう。火傷でもされちゃ困るからね。ほら、いいから座ってて」
そう言ってダージリンを入れてくれた。
高校時代に紅茶なんて飲む趣味はなかったけど、賀茂さんの家に揃えてある紅茶はいろんなフレーバーがあって、最近は自ら好んで飲むようになった。
ずっと家に籠もってテレビを見たり本を読んだりしているから、その間飲み物をよく飲むというのもある。
今入れてくれたのはダージリンのファーストフラッシュだ。
春摘みの紅茶で、渋みが無くて爽やかな味。見た目も、想像する紅茶より明るい黄金色をしているので最初紅茶だと思わなかっだくらいだ。
「美味しい」
「よかったよ。今日はもうよそうか?」
「俺なら大丈夫です」
「そうかい。じゃあ、続きはこれを飲み終わったら散歩しながら話そうか」
紅茶を飲んで一息ついた後、外に出た。
賀茂さんは今日のようにたまに一日中家にいる事がある。それは平日のこともあれば、土日のこともある。
家から少し歩くと御殿山庭園が見えてきた。高低差のある庭園で、人工滝が目を惹く。下に降りていくと池があり、辺りにはしっかりと緑が生い茂っている。中にいるとここが都内でしかも品川駅から徒歩15分ほどの距離だとは信じられないくらい静かだ。今日は平日なので誰もいなかった。
「亜巳くんは八咫烏 って聞いたことある?」
「ヤタガラス?いいえ、知りません。すいません何も知らなくて…」
俺は知らないことばかりで申し訳なくなる。
「いや、いいんだよ。じゃあサッカー日本代表のエンブレムは見たことある?」
「あー…そう言えば黄色地に黒い鳥…まさかあれが?」
「そう、あの黒い鳥が八咫烏なんだ」
「へえ」
それなら見たことがあった。
「八咫烏というのは日本神話に登場する三本足のカラスで、元々は初代天皇である神武天皇を大和へ導いた神の化身といわれている。そして、八咫烏は賀茂建角身命 が変身した姿と言われてるんだ」
「えーっと、カモタケなんとかはさっきの神社の…」
「そう。下賀茂神社の祭神だ」
「なるほど」
「八咫烏が神武天皇を案内した後どうなったかは諸説あるが、また賀茂建角身命に戻って一族を引き連れ、山城国――今の京都――に移住したとも伝えられている」
「それで京都に下賀茂神社があるんですね。そして、それをつくったのが賀茂さんの祖先ってこと?」
「伝説ではそうなる」
「へぇ、すごいなぁ」
俺は初めて知る日本神話の話がちょっと面白くなってきた。
初代天皇って、神様の化身に案内されたんだな。
神話っていうとギリシャ神話とか北欧神話くらいしか思いつかない。しかもそれだって詳しいわけじゃない。
「賀茂氏はその後も代々天皇の身の回りのお世話を行ったり、陰陽道や神道に通じていて天皇家の行う祭儀などを取り仕切っていた。京都の葵祭 は聞いたことがあるかな?」
「すいません…祇園祭くらいしか…」
「あはは、いいんだ。今は祇園祭のほうが有名だよね。だけど、平安時代に貴族がただ”祭”といえばそれは葵祭を指していた。朝廷と賀茂氏で行っていた国家的な行事だったんだ。今でも毎年5月に当時の朝廷風の衣装を纏った500人余りが行列を成し、馬や牛車などを伴って京都御所から出発する。そして下賀茂神社から上賀茂神社まで練り歩くというのをやっているよ。関西に住んでいたら毎年ニュースで見かけると思うんだけど東京じゃ見かけないよね」
「へぇ…今でもそんなお祭りをやっているんですね」
俺と賀茂さんは小枝を踏み鳴らしながら園内を歩く。
池の畔の行き止まりまで来て立ち止まる。
「賀茂神社の神紋が二葉葵と言って葵の葉っぱ2枚の絵でね。葵の葉っぱが3枚だとなんの紋かわかる?」
「あ、徳川の…葵の御紋?」
「そうだ。はっきりしてはいないが、賀茂神社の二葉葵と徳川家の三つ葉葵は関係があるっていう研究者もいるよ」
「へ~。賀茂神社ってなんかすごいんですね。全然知らなかった。修学旅行でも清水寺とか金閣寺は聞くけど…あまりメジャーじゃないですよね」
「そうだね。観光地としてはそこそこってところかな。最近は縁結びに力を入れて若い人を呼び込もうとしてるけどね。インスタ映えする可愛いお守りを出したり」
「インスタ映え…」
「建物が立派だったり美しかったりする方が観光向けだよね」
こんな話の合間にインスタの話が出てきて俺はクスッと笑ってしまった。
今観光としてメジャーな寺社仏閣って必ずしも力が強いというわけでもないのかなぁ?
「ところで葵祭には斎王代という斎王の代理が出てくるよ」
「え、今もですか?皇室ゆかりの女性がなるとか?」
「いや、毎年一般の女性の中から選ばれるんだ」
「へ~。美女コンテストみたいな?」
「いいや、斎王代を務めるだけで数千万円の費用がかかる。なのでそれを負担できる裕福な家庭のご令嬢が務めるのが一般的だ」
「数千万…ですか…すごいですね、斎王代って」
「まあ、君は本物の斎王の血を継いでるんだからもっとすごんだけど」
なんというか、神話の話から国家レベルのお祭りの話…
でもそれが今も脈々と続いてるってことに俺は衝撃を受けた。
「ちなみに葵祭は源氏物語にも出てくるよ」
「へ~!読んだことありませんけどすごいですね」
「結構面白いから暇な時読むと良いよ」
そう言って賀茂さんは笑った。
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