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第2話 呪われた惨めな人生

僕は資産家の家庭に生まれ、何不自由なく暮らしてきた。 エスカレーター式の私立学校に通わせてもらい、医大へ進学。 研修医を経て病院勤務の後、昨年精神科のクリニックを開業した。 31歳での開業は一般的な医師としてはかなり早い。 研修医や勤務医は時間もなければ金も無いのが普通で、開業の準備が出来るようになるのにはもう少し時間がかかるものだ。 しかし、僕の場合は資金や経営について考えなくても良いので早期の開業が可能だった。 というのも僕の患っている特殊な病気のために早く厄介払いしたかった父が金を払ってくれたのだ。 そんなわけで僕は実家を出て、クリニックからほど近いマンションで一人暮らしをしている。 こうしてみると表向きは順風満帆と見えるかもしれない。 でも実際は惨めな人生だ。 西園寺家の長男として生まれた僕は、本来ならば西園寺家の次期当主として育てられるはずだった。 しかし、僕には生まれつき右側の脇腹に(あざ)があった。 赤い、蝶々のような形の小さな痣だ。 母は出産後息子の肌にこの痣を見つけて泣いた。 息子の明るい未来への道が既に閉ざされたことを悟ったからだ。 西園寺家の女性に代々伝わる呪われた痣のことは、一族の間でも一部の人間にだけ知らされていた。 その痣がある者は淫らで、男を誘惑して意のままにすると言われて忌み嫌われてきた。 実際に発作的に見境なく男を求めるという行動に出る者は多く、人間関係においてトラブルを起こすこともしばしばだったのだ。 一族の人間がそのような不祥事を起こす度に、相手に示談金を払ったり事件をもみ消すなどの手間が生じる。 そのような理由から、痣の出た女は一族の中で「病持ち」として疎まれていたのだ。 僕の母も、右側の鎖骨に痣があった。 そして母はこの呪いに苦しんだ末に若くして亡くなっている。 僕の両親は従兄妹同士だった。 父は最初は僕の母ではなく別の女性と結婚した。 母は従兄妹同士であることを理由にずっと父の求愛を拒否していたからだ。 しかし、父は母のことを諦めきれずに一度は別の女性と結婚しながらも離婚し、強引に母を娶った。 元妻だった女性は勿論、周りの親族も母を非難した。 母が悪いわけではなかった。 母は自分の痣を疎み、なるべく男性と接触しないように生きていた。 だが父がわざわざ遠方に隠れるようにひっそりと暮らしていた母を見つけ出して連れ戻したのだった。 そして、母は結婚後すぐに僕を身籠った。 産まれた僕が男の子だったので、跡取りだということで一族が皆喜んだ。 しかし母だけは僕の痣に気づいていた。 他の者は僕が男の子であるため痣のことなど考えもしなかったから、しばらくは気づかれずに済んだ。 明治以前より続く旧家である西園寺家では昔ながらの習わしがまだ生きていた。 その昔、今ほど医療技術が発展していなかった時代には男児のほうが女児より死亡率が高かった。 そのため男児であることが悪霊に知れると連れ去られるという迷信が生まれた。 男児が将来的に家督を継ぐ必要があるなど、それなりの家庭では男児の名前を女性風のものにし、服装も七五三が済む頃までは女物を着せられるという風習があった。 そのせいで僕の名前は静音という女のような名前なのだった。 そうして、5歳頃まで悪霊を欺いた後は名前も変えて服装も男物になるはずだった。 しかし僕が5歳を迎える前に、脇腹の痣のことが父に知れたのだった。 僕が2歳のときには既に弟の咲真(さくま)が生まれていた。 そして僕は痣を持つ男子であった。 父は2人を天秤にかけ、弟の咲真を次期当主に選んだ。 男とはいえ、得体の知れない呪いを受け継いだかも知れない息子に家督を譲る気にはなれなかったのだ。 それは自分自身が妻への執着心に取り憑かれていたことから出た判断でもあった。 痣を持つ女の誘惑がいかに抗いがたいものか、身をもって理解していたのだ。 そんなわけで、僕は長男でありながら次期当主としての道を絶たれた。 さすがに女装はやめさせてもらえたが、名前を変える必要もないとされてそのまま女々しい名で生きることとなった。

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